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親目線から受験を振り返る

受験シーズンですね。

先日、職場で受験の話をしていた方がいて、娘の受験を思い出しました。

◎中学受験

娘にとって初めての受験は、中学受験でした。

そもそも中学受験する予定は全くありませんでした。

当時、私の仕事が忙しく、終電で帰ることもしばしばで、娘の勉強を見てあげる時間がありませんでした。

小学3年生か4年生の頃だったか(はっきり覚えていません💦)

ある日、進学塾から無料体験教室の案内が届きました。

勉強というより、イベント的なもので、楽しそうだから行ってみたいと娘がいいだしました。

私は仕事で付き添うことはできませんでしたが、当時は実家に居候していたので、母が連れて行ってあげてもいいと言ってくれたので、お願いしました。

体験教室の当日、仕事から帰宅して様子を聞くと「すごく楽しかった! また行きたい!」と笑顔で答えたのです。

私が家で勉強を見てあげられる時間がないので、学習塾として通わせてもいいかもしれないと思ったのは、勉強をクイズのように楽しんだ様子を生き生きと話す様子を見たからでした。

その後、塾の説明会があり「受験するつもりはないのですがいいでしょうか」と尋ねると、もちろんいいと言われました。

そりゃそうですよね。笑

塾としては生徒が一人増えれば授業料収入が確保できるのですから、NOというはずはありません。

しかし、真剣な面持ちで説明会に参加している親御さんたちを見ていて、私は場違いなところにいるのではないか? という気持ちになり、学習塾気分で来ていいところではなかったのではないかと思い始めました。

その一方で、娘は楽しく遊び感覚で通い始めました。

最初は週に3回程度だったと思いますが、毎回父か母がバスと電車を乗りついで塾まで送り迎えしてくれていました。

娘はほぼおじいちゃん、おばあちゃんに育ててもらったと言っても過言ではありません。

他にも習い事をたくさんしていた娘ですが、両親の助けがなければ叶わなかったでしょう。

さて、そのようなわけで受験する気のない娘でしたから、5年生くらいになって塾も生徒も本気モードになってきても、自主的にやったほうがいいとされる分厚いテキストもまったく手も付けず、のほほんと楽しく通っておりました。

小学生に勉強を教えるのは意外と難しく、特に算数の鶴亀算などはすっかり忘れているうえに、私の時代とは考え方も教え方も全然違うので、下手に教えるのはかえって子供を混乱させるのでよくないと言われました。

漢字の書き順も、昭和とは変わっているものもあるため迂闊に手出しできないのです。

たしか塾からも、教えないでくださいと言われたような気がします。

でもまあ、勉強を楽しいと思ってくれるだけでも素晴らしいことなので、楽しく塾で勉強してくれるだけで御の字と、完全に塾にまかせっきりでした。

そして6年生になったある日。

娘が突然「受験したい」と言い出しました!

え? 今から? 間に合う?

もう、すぐに塾に相談に行きましたよ。笑

とても面倒見の良い塾で、個人面談も学校より多いくらいでした。

思えば5年生の時に、いくつかの中学校の学園祭に行ったのが娘の心に火をつけたのかもしれません。

どこの学校の生徒も生き生きしていて、学校生活をエンジョイしている様子が伝わってきました。

地元の公立中学でもオープンキャンパス的なものがありました。

近隣の学区の小学校と中学校の授業参観が同じ日に開催され、保護者は自由に見学できるシステムでした。

地元の中学校は私の母校でもありました。

もともと私が入学したのは別の中学で、家から徒歩30分もかかる場所で、クラスも12クラスもありましたが、生徒が増えすぎたことから二つに分かれることになり中学3年生のときに新設の中学校の第一期生となりました。

当時は〇〇の学習院などと呼ばれ、先生も生徒も自分たちでよい学校を作り上げていこうとする心意気がありましたが、久しぶりに訪れた母校は荒れ果てていました。

公開授業参観にもかかわらず、授業中おしゃべりしながら歩き回る生徒に、それを注意することもなく無視して淡々と授業を続ける先生たちと、授業も惨憺たる光景でした。

この光景をみて、私自身も地元の中学に進学させたくないなと思っていたところに娘の一言で、受験生の親になることを決意しました。

とはいっても、塾の説明会や志望中学の説明会に参加したりするだけで、本当に塾頼みでした。

当然、小学校の先生より塾の方が受験に関する多くの知識を持っているため、塾に頼らざるを得ないのですが、先生だけでなくサポートしてくださったスタッフの方には本当にお世話になりました。

しかも6年生の時に、運悪く子供会の役員になってしまい、仕事と子供会と受験で私自身のストレスもかなりのものでした。

なにより一番つらいのは、私が当事者ではないことです。

自分が頑張ればどうにかなるものではないこと、勉強は娘自身が頑張るしかないというところが、しんどいところでした。

怒ったところで成績が上がるわけでもなし、親にできることは限られているからです。

しかし幸いなことに、6年生から突然勉強に目覚めた娘は、勉強疲れしていませんでした。笑

3年生、4年生くらいから受験を目指して早くから頑張りすぎて、息切れしてしまうお子さんもいるそうなので、そういう意味ではエンジンがかかるのが遅かったのは娘にとってはよかったのかもしれません。

毎月のように行われる公開模試は大学のキャンパスなどを借りて行われるため、週末は朝から電車に乗って出かけていき、試験時間はひたすら待つという生活でした。

いくつかの学校を受験しましたが、試験時間中、親はただひたすら待つしかなく、何もできないというのが正直一番つらかったです。

昨今は合格発表もWEB上で行われますが、第一志望の学校に合格したときは親子で抱き合って泣きました。

一番頑張ったのは娘でした。最後の追い上げがなければだめだったかもしれません。

おかげで6年間学友にも先生にも恵まれ、楽しい学校生活を送ることができました。

私立の良いところは、何十年経っても先生が変わらないことでしょうか。

公立では定期的に異動がありますが、私立校は定年までいらっしゃることが多いようです。

塾のスタッフも、受験当日は校門の前で塾名の幟旗のぼりばたを掲げて待っていてくれ、生徒一人ひとりに声をかけてくれました。

早朝から本当にありがたいことでした。

いつも塾でお世話になっている方の顔を見ると、それだけで子供の緊張がほぐれるのが分かりました。

中学受験は親子の戦いだったといっても言い過ぎではないでしょう。

受験当日まで子供に伴走する、それが中学受験だったように思います。

しかしほかの親御さんに比べたら、我が家は本当にたくさんの人に支えられての受験でした。

ひとりで塾に通うようになったある日、帰りの電車で一駅乗り過ごした娘は動揺して泣き出してしまったことがありました。

その時、近くにいた若い女性が声をかけてくださり、泣きじゃくる娘に優しく理由を聞いてくれて、次の駅で降りて反対のホームまで付き添ってくれたことがありました。

この電車は、通勤快速、特急、急行、普通と4種類あり、電車によっては駅を通過してしまったり、途中で待ち合わせがあったりと大人でも迷うので、親切な方に助けていただいて感謝しています。

優しい人に助けられた中学受験の思い出です。

受験日当日、保護者のために食堂が解放され、サンドイッチがふるまわれたこともありました。あのサンドイッチはとても美味しかったなぁ。

そして子供たちが受けている試験問題と同じ試験用紙が保護者にも配布されました。待ち時間に問題を解きながら、娘はこの問題解けただろうか? とやきもきしたことも、今となってはよい思いです。

◎大学受験

時は移り、大学受験の頃になりますと、もう親の出番はほとんどありません。

受験料を捻出するくらいしかできることはありません。

あのころ私は結構娘の勉強の邪魔をしてしまいました。今となっては手遅れですが、そのことを深く反省しています。

当時、学校と提携していたのか、とある学習塾が学校で無料の受験対策などをしていたことがきっかけで、ついに娘も塾通いを始めました。

娘の中学入学と同時に、実家を出て今の家に引っ越した私たちですが、相変わらず私の仕事は夜遅くなることが多く、車も持たないため夜道が心配で家庭教師を頼んでいました。

しかし受験となると、やはり塾の情報量にはかないませんし、模試などもあり塾の方がよいということになりました。

大学受験でも何校も受けるため、スケジュール管理が大変でした。

入学料の支払い期日と、ほかの大学の試験日との兼ね合いを一覧表にして管理していました。

そんななか、大きなハプニングがありました。

元々受験する予定のなかった大学を、塾の勧めで1校追加したのです。

当日、送り出した後、仕事を休んでいた私はたぶん洗濯物を干すか掃除をしていたのか、電話に気づきませんでした。

しばらくして留守番電話に気づき、娘が泣きながら電話してきていたことを知るのです。

なんと、試験日を間違えていたのです。

願書を出した学科の試験は、前日に終わっていました。

あんなにスケジュール管理していたのに、なぜかその大学だけ娘も私も受験票を確認していなかったのです。

そして二人して試験日を勘違いしたまま当日を迎えたというわけです。

動揺する娘にどう対処したらいいのか、娘のメンタルが心配でした。

翌日以降にこの動揺した気持ちが引っ張られてしまう可能性があったからです。

すぐに塾に電話して伝えると、とにかくお母さんは冷静に、気持ちを切り替えるようにしてあげてと言われました。

電話口で娘は、「高い受験料を払ってもらったのに試験を受けられなくてごめんなさい」と泣いていましたが、「元々受けるつもりがなかった大学で、最初から縁がなかったんだから気にすることない」と言ったことを覚えています。

逆に、塾の勧めで受験したことを後悔したくらいでした。

願書を出さなければ、こんな思いもしなくて済んだのですから。

こんな時にも、お金のことを心配させてしまう自分の不甲斐なさに、かえって娘に申し訳なく思いました。

娘はしばらく駅のトイレかどこかで泣いていたようですが、自分なりに気持ちを整理して、帰宅したときには翌日に向けて頑張ろうと、気持ちを切り替えていました。

強いなぁ、とわが子ながら感心したことを思い出します。

その年、東日本大震災が起こり、入学式は行われませんでした。

多くの方の命が失われ、娘と同じように未来に向かって夢を持っていたであろう若い方の命も失われました。

◎大学院受験

ここまで来ると、もう私にはさっぱり分かりません。

海外の大学院に進学を決め、自分で試験を受け、授業料の工面まで娘がひとりでやり遂げました。

私には大学院まで行かせてあげられる経済力はなかったので、娘はそれまでの貯金と奨学金で賄ったようです。

本当に私の娘だろうか? と、疑うほど自立した子に育ちました。

しかし留学中の食生活はかなり悲惨だったようで、時々は食材などを送りましたが、当然送れるものも食材も限られてくるため、生活費を切り詰めて豆腐や納豆ばかり食べていたようです。

栄養失調で、爪がボロボロになったと言っていました。

ついには納豆を自分で作るまでになり、本当に切り詰めた生活だったんだろうと思います。

自分の子供を褒めるようで申し訳ないですが、自慢の娘です。

こんな頼りない親の元に生まれたというのに、頑張って夢を叶えました。

就職先が日本の事務所に決まり帰国して数か月後に流行り病が世界中で暴れ始め、すぐにテレワークとなりました。

この先もいろいろあると思いますが、彼女のことですからきっとたくましく生きていってくれることと思います。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

2月に入ってから、北風が強く寒い日が続いています。

あちこちで大雪による被害も出ています。

受験生の皆さんにとっては、交通機関の遅れなども心配の種かと思いますが、事故に気を付けて頑張ってください。

小学校受験、中学受験、高校受験、大学受験。

もう合格発表が出ているところもあるかと思いますが、それぞれの受験生の皆さんに春が訪れますように。

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