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29歳-21アップの暴力性/意思決定後の撮り始め

 映像を見終えた。数年前に撮ったものも見返した。やっぱり、昨年末に亡くなってしまった撮りたいと思っていたEちゃんが本当に面白い。彼を見ていると、ひとりでに笑いが出てくるような。それにしても当時の私は、想田さんの影響を強く受けてだと思うけど、ものすごく顔をアップにしている。ちょっと暴力性を感じるほどに。
 そしていま土本典昭の水俣を見てみると、やっぱりアップが多い。けれどそこまでの暴力性はなくて、静かにすーと迫っている感じ。私の場合はずずっと、寄っていっている感じ。Eちゃんはそれをも構わず、一人語りを朗々と続けるような役者的な素養があった。そういう人がいるとドキュメンタリーは途端に面白くなる、と思う。
 ブラジルのIさんは、そのような人の一人だったのかもしれない。ただ、せっかくなら、ポルトガル語を勉強してから、訪れてみたい。個人的にはスペイン語の方が習得しやすそうで、できることならスペイン語圏の南米で何か撮れたらとの思いが強い。
 大事なのは今であって、どんな素材からでも、見れるもの、は作り出せると思うのだ。必ず。そう信じて明日から編集に進む。とにかく今週末で30分に縮めて指導教員たちに送る。
 アップに関しては考えるところがあって、今回の撮影中はやはり暴力性を感じてそこまでアップにできなかった。小森さんが、近い、といっていた理由がやっとわかった。それは何か家にずけずけと上がっているような感覚だった。でもちょっと合間を見て、近づくことは必ず必要になってくる。アップしきれなかったかな...表情を美しいと思っていなかったのもあるんだろうか。
 それから、やっぱり撮り始めてから動きすぎだ。設定も変えすぎ。これはデジタル世代の弊害なんだろうか。こうやって撮ると設定と画角を決めて、それからボタンを押す、それからは考えが決まってからでないと動かない、というのを改めて、今後は必ず、徹底したい。します。ただLUMIXは少し光が明るすぎる。随分と暗めに撮ってちょうどいい色彩感、ということがままあった。遮光フィルターも買った方がいいんだろう。

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