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残念な「オス」という生き物を語る。

フォレスト出版編集部の寺崎です。

今週、2冊ほどリメイク書籍を担当させていただいた藤田紘一郎先生がお亡くなりになられたニュースが社内を飛び交いました。

報道によると、5月14日に誤嚥(ごえん)性肺炎のためにこの世を去ったとのことです。このご時世ですから、葬儀はご家族だけで、このような形で後日に報じられたわけですが、とても残念です。

藤田紘一郎先生は現役医師ながら、『笑うカイチュウ―寄生虫博士奮闘記』(講談社)を手始めに、『清潔はビョーキだ』(朝日新聞社)、『50歳からは炭水化物をやめなさい』(大和書房)、『脳はバカ、腸はかしこい』(三五館)などのベストセラ―を世に生み出し、数多くの作品を残されました。

私が担当したのは『人生100年時代の老いない食事』『残念な「オス」という生き物』という、いずれももともと単行本として発刊されたものの新書化リメイクでした。

藤田紘一郎先生の文章は科学的論拠を示しながら、随所に挟まれるユーモラスな筆致が特徴的で、独特の持ち味がありました。

そこで、藤田先生への追悼の意を込めて、『残念な「オス」という生き物』の内容の冒頭(8000文字弱)をご紹介します。

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『残念な「オス」という生き物』
まえがき

 かつて私は、寄生虫の一種であるサナダムシを6代にわたり、15年間自らの腸の中に飼うという実験を行っていました。
 その理由は、寄生虫によるアレルギー抑制の機序(メカニズム)を明らかにし、それを証明したかったからです。医学界からの反響や反発はとても大きかったのですが、このことから私は「寄生虫博士」と呼ばれるようになりました。
 初代のサナダムシには、サトミちゃんという名前をつけました。2代目はヒロミちゃん、3代目がキヨミちゃん、4代目がナオミちゃん、5代目がカツミちゃん、最後の6代目がホマレちゃんです。
 よく、「サナダムシたちの名前の由来は何ですか?」「かつて先生が好きだった女の人の名前ですか?」「ずいぶんいらっしゃいますね……」などと聞かれますが、残念ながら違います。
 答えは、サナダムシは雌雄同体なので、イチローとかハナコのような、性別が明確に分かれているような名前はつけられないのです。つまり「ゴウヒロミ」のように、男でも女でも使える名前を選んで命名したのでした。
 サナダムシなどの寄生虫をはじめ、カタツムリ、ナメクジ、ミミズ、アメフラシなど、生物界を見渡すと、雌雄同体の生き物はけっこう多く存在しています。雌雄同体の中にも、オスになったりメスになったりと、ひとつの身体で自由自在に性を転換できる生き物もいるのです。
 このように、オスとメスの個体が必ずしも存在しなくても繁殖できる生物がいる一方で、人間のように「男」と「女」の性差を有する生物がいるのはなぜでしょう。
 私はこのことを昔から不思議に思っていたのですが、みなさんは考えてみたことがありますか?
 自らの若い頃を思い出しても、女性に関しては、思いどおりにいかなかった苦い経験ばかりです(端的に言えば、女性にモテる男友達を遠くから指をくわえて見ていただけということですが)。
 好きな異性のことを考えていると、夜も眠れなくなるし、カッコつけなければならないし、オシャレもしなければなりません。失恋をしてしまえば、悲しくて何日も落ち込んだり、食欲がなくなったり過食したりと、精神的に大打撃を受けます。悩みや面倒が多くなって煩わしいはずなのに、この世には「男」と「女」が存在するのです。
 これらのことをいくら考えても一向に答えは出てきませんでしたが、改めて生物界から「男」と「女」を俯瞰(ふかん)することで、見えてきたことがありました。
 それは、性差があることで、いろいろな物語が生まれてくることです。私たち人間でも、男女のお付き合いや恋愛の駆け引きなどの話は、雑誌やバラエティー番組などでも多く取り上げられるように、みんなが大好きなトピックです。
 しかし人間に限らず、昆虫や鳥類や動物でも、オスとメスの間に繰り広げられる不思議な物語があるのです。
 特に「オス」に注目してみると、何と残念な生き物なのだと思わせる物語がたくさん出てきます。単独では子孫を残すことができない「オス」の必死な行動や悲哀の先には愛おしさがあり、やはり「男」と「女」の存在は、地球上の生物が進化するうえでの素晴らしい戦略だったと思わざるを得ないのです。
 ここ最近になって、やっと多様性について議論される世の中となってきました。性別はどうして存在するのだろう、という疑問や好奇心がそれぞれの性差の存在を認めることにつながり、多様性を受け入れるきっかけになるのではないかと感じています。
 本書がその一端にでもなれば、著者として大変嬉しく思います。

第1章 生物界は「残念なオス」だらけ!?

◎男女の役割が激変する日本の社会
 私は、過去二十数年間、毎年1回ニューギニアを訪れていました。
 多くのニューギニア人と接触しているうちに、彼らが属している社会が私たち日本人の構成している社会と大きく異なっていることに気がつきました。
 彼らは狩猟採集社会に属しています。狩猟採集によって得た食糧は、部族全員に平等に配られ、平和な社会が維持されていました。男性も女性も生きるために良好な環境が部族全体に行きわたっていたのです。
 狩猟採集社会から農耕社会を通じて男女の役割はきれいに分かれていました。男は一家の長であり、男の言葉がその家での法律でした。家族を外部の脅威から守り、必要なものを与えるのが男の役割でした。
 一方、女性は子どもを育て、家庭の生活を守る役目をずっと続けてきました。
 それに比べて、私たちが住んでいる現代の日本社会は、とても生きづらい社会になっていることに私は気がつきました。
 狩猟採集社会から農耕社会に移行した結果、平等はなくなり、貧富の差が出てきたのです。そればかりではありません。男女の役割も大きく変化してきました。
 特に男性は、今の時代に生き続けることが大変になってきたのです。

◎なぜ、男は自殺率が高いのか?
 20世紀に入り、先進国では男女の不平等について問題視し、議論を重ねて解消に向けて少しずつ歩み始めているとされています。 男女の不平等をなくすために始まったフェミニズム運動は、台所に縛りつけられていた女性の鎖を断ち切りました。
 その結果、先進国では女性の大半が、望むと望まないとにかかわらず仕事をするようになりました。女性は子どもを産み、育て、今まで そんな中、2015年のデータですが、1960年以降で女性の自殺率は34 %減っているのに対し、男性の自殺率は逆に16%増加しているという統計が出ています。
 男女の不平等をなくすために始まったフェミニズム運動は、台所に縛りつけられていた女性の鎖を断ち切りました。その結果、先進国では女性の大半が、望むと望まないとにかかわらず仕事をするようになりました。女性は子どもを産み、育て、今まで男が担っていた仕事も受け持つようになったのです。
 現代のイギリスでは、5世帯に1世帯は父親のいない母子家庭だとされています。このような状態は、女性にとって生きづらい社会ではないかと思われる人が多いと思いますが、実際には逆です。
 どちらかというと、男性のほうが生きづらい世の中なのです。
 子どもさえつくれば、女性にとって男性はもう不要という状態だからです。もしかするとこれが、男性の自殺率増加の原因になっているのかもしれません。
 私たちがこれまでつくってきた文明は、便利さ、快適さを達成しました。私たち日本人は、その文明の中にどっぷりと浸かり、ひたすら豊かさを享受してきました。
 しかしそれは、私たちの心や身体を少しずつ蝕んでいったのです。
 現代では男も女も生きづらい社会になってしまいました。環境汚染によってダイオキシンのような環境ホルモンが放出され、男性の女性化が起こったり、ストレスや活性酸素を多く浴びる生活で、男性も女性も非常に弱い生き物になっています。
 男女ともども性欲を失い、子どもを産もうとする意欲がなくなり、そのストレスのためか異性間のトラブルも世界各地で増えてきました。
 現代において、私たちの生存を脅かしているものは、実は私たちがつくり上げてきた「文明」そのもの。私たちに今必要なのは、自然の中にいる生物の生き方をもう一度振り返ることなのです。

◎もともと動物であったことを忘れてしまった人間

「人間についてわからなくなったら原点に帰れ。答えは動物に訊けばよい」

 この言葉は、生物学の権威である京都大学名誉教授、故日高敏隆氏のものです。
 今日の日本では、せっかく苦労して結婚しても、離婚してしまう夫婦が増えています。それも結婚して割と早い時期、ある統計によると結婚した夫婦の約4割が、結婚後4〜5年で別れるという調査結果が出ています。
 昔は夫婦で過ごす期間が長くなるにつれて倦怠期が訪れ、離婚の危機に直面すると思われていましたが、ある調査では、もっとも離婚率が高くなるのは結婚初期の4〜5年目頃で39%、それを過ぎると破局の危険性はぐんと減り、10年のカップルで離婚する率は20%足らず、結婚40年目で離婚率は1%にまで下がるとのことです。
 また、一生の間、結婚を一度もしない人も増えてきています。
「生涯未婚率」は、正確には生涯を通じて未婚である割合を示すものではなく、50歳の時点で結婚したことのない人の割合のことです。50歳で未婚の人は将来的に結婚する予定がないと思われると定義し、生涯独身でいる人がどれくらいいるかを示す統計指標として使われています。
 生涯未婚率は、2015年の国勢調査では男性23・37%、女性14・06 %と、前回の2010年の結果と比べて急上昇し、過去最高を更新しました。
 特に男性は2005年の調査に比べて7ポイント以上も増えています。
 さらに最近では「夫源病」という言葉が女性の間で話題になっています。文字どおりに夫が原因の病で、頭痛やめまいなどの症状が表れる女性が多いとのことです。
 世界一便利で豊かになったといわれ、健康情報が街にあふれ、美味しい食べ物がいつでもどこでも手に入るようになった日本なのに、男女の関係はねじれてこんがらがってしまい、結果的に女も男も疲れ切ったり、心を病んだりしているのです。
 なぜこんなことになっているのでしょう。
 それは私たちが「人間はもともと動物である」ことや「男の考え方、女の考え方はそれぞれ違う」ことを忘れてしまっていることが原因です。

◎完璧を目指すよりまず終わらせろ
 現在の私たちになるホモ・サピエンスが誕生したのは、たった20万年前のことです。地球上に生物が初めて出現した38億年前に比べて20万年というのは、まばたきする一瞬にすぎません。私たちの本来の姿は、動物とあまり相違ないのです。

 Done is better than perfect.
「完璧を目指すよりまず終わらせろ」


 この言葉はソーシャルネットワークサービス(SNS)を提供するフェイスブック社内の壁に貼られているモットーだそうです。完璧だけを目指していたらフラストレーションが溜まり、失敗を恐れて何もできなくなり、成長もないということです。
 動物の世界を見ていると、どれも完璧など目指していません。かなりいいかげんで、目的がある程度達成されると、途中でその仕事をやめてしまいます。
 たとえば多くの野生動物や昆虫は、同じ餌 食べ残されたアブラムシは、触覚で自分の仲間が少ないことを察知します。アブラムシのメスは春から夏にかけて単為生殖をするため、短期間で一気にたくさんの子どでいつまでも食べ続けることはしません。同じ場所で食べ続けていると、餌場にいる餌はだんだん少なくなり、しまいには枯渇してしまうからです。鳥の研究者であるオックスフォード大学のジョン・クレブス博士は、このことを「最適採餌(さいじ)戦略」と定義して論じています。
 例を挙げると、テントウムシは植物についたアブラムシを食べていますが、全部食い尽くすことはしません。適当に食い散らかして、次の植物に移っていきます。
 食べ残されたアブラムシは、触覚で自分の仲間が少ないことを察知します。アブラムシのメスは春から夏にかけて単為生殖をするため、短期間で一気にたくさんの子どもを産み、あっという間に元の個体数へと戻すことができるのです。
 このように、完璧を目指すことは自らの生存をも脅かすということを、動物や昆虫はすでに知っているのです。彼らの生存するための知恵の一つといっていいでしょう。
 私たち人間も、完璧とは程遠い生き物です。にもかかわらず、いつも完璧を目指そうとしています。男女の関係にも同じことがいえて、不完全な生き物同士が互いに完璧を目指そうとするから行き違いや歪みが生じてくるのです。
 女性はいつも「男ってバカね」と不満を口にします。
 男性も「女はバカだ」と思っています。
 この男女の違いが、現代を生きる私たちのさまざまな悩みの原因になっています。

 女性が言っていることが本当か、男性の思っていることが本当なのか……。
 ここからはその真実について、さまざまな生物を例にとりながら検証していくことにしましょう。

◎ひたすらモテるために美しく進化したオス
 クジャクのオスは身体に飾りをいっぱい着けて、長く美しい尾を持っています。オナガドリのオスも体長の2倍以上の美しい尾を持っています。
 飛行能力が低下したり、目立つために天敵にやられたりしてしまう危険性があるのになぜでしょうか。
 生物の進化論は今から約160年前、ダーウィンが『種の起源』の中で「自然淘汰(とうた)」という考えを明らかにし、それを中心に考えられてきました。つまり、生物が変異する中で、自分が生き抜くために必要なものだけを選抜するというものです。
 しかし、クジャクのオスは、派手な飾りを着けて長い尾を持つことで捕食者に狙われやすく、逃げ遅れることが考えられます。
 それが生き抜くために必要な選抜とは思えません。
 そこでダーウィンは「性淘汰」という考え方を導入しました。つまり自然淘汰上は不利であっても、その性質が繁殖に役立つのならば、それも進化の要因になるという考え方です。
 クジャクやオナガドリのオスが派手な羽根飾りを着けているのは、「メスにモテるため」であり、視覚的な刺激を与えて、メスを交尾に誘い込むために用意されているのです。そして、メスも相手を見てじっくり選んでいるということです。
 その他にも、オスの目立ちすぎる求愛行動はさまざまな動物で見られます。
 オスのヒツジは同性の仲間と頭突きをして、メスに自分の強さをアピールします。また、カエルのオスは大きな声で鳴けば鳴くほど、交尾の成功率が上がるといわれています。
 そして、極楽鳥と呼ばれているフウチョウは、鮮やかな色の奇抜なデザインをした飾り羽を背負い、コミカルな求愛ダンスをする姿が有名です。
 オスはあらゆる手段を用いてメスに必死のアピールをしているわけです。
 ところで、このフウチョウのオスたちの求愛ダンスを西洋人で初めて目撃したのが、ダーウィンと並んで進化論を提唱したイギリスの博物学者アルフレッド・ラッセル・ウォレスでした。彼は極楽鳥を追ってニューギニア地方のアルー諸島に渡り、のちに極楽鳥についての観察を細かく書き記した本を出しています。
 私も20年以上、毎年のようにニューギニアヘ現地調査に行っていましたが、この極楽鳥のダンスはたった一度しか見たことがありません。しかしそれを目撃したときは、その美しさに息をのむと同時に、自分を格好良く見せようと必死になるオスの悲哀を感じたものでした。
 他にもシリアゲムシのメスは、オスの色やサイズだけではなく「左右対称」にも反応しています。彼らの世界ではオスがメスにモテる条件は、左右の翅(はね)の完全な「対称」なのです。バランスが良いと運動能力に優れ、餌を捕るのも上手であり、良い遺伝子を残せるということからでしょうか。
 私たち人間についても、「身体の部分の左右バランスが良い男は、アンバランスな男よりも3〜4年早く性体験を持つ」という研究結果があります。
 進化の先端を走っていると思われている人間でも、動物と同じように「性淘汰」が影響しているのです。

◎「騙したもの勝ち」のオスとメスの熾烈な世界
 いくら残念と思われようが、男には捨てることのできないプライドがあります。
 プライドを堅持したままモテればいいのですが、そうもいかないのが現実です。
 恋敵に勝つために、時にはプライドをも捨てなければなりません。
 ハチの一種である寄生コバチでは、メスが出すフェロモンをオスが嗅ぎつけるやいなや、たちまちオスが集まってきて求愛を始めます。1匹のメスに対して、多い時で15匹ものオスがプロポーズのために集まることもあるといいます。
 求愛するとき、まずオスは第一作戦に出ます。この作戦は、他にライバルのオスがいないときに実行される戦術です。
 オスはメスのいる葉の端に降り立ち、翅を羽ばたいて低音の魅力で口説きます。そしてそのままお腹を上に押し立てて足場を振動させ、メスヘのさらに意味深なメッセージを送ります。
 その振動に心地よくなったメスは、翅をたたんで頭を垂れます。こうなるとメスからの嬉しいOKサインであり、オスはメスの上に乗ってめでたく交尾となるわけです。
 しかし、ライバルが多くいる場合は勝利の確率が下がります。
 そこで第二作戦の実行です。

 オスがメスに求愛している最中、他のオスがやってきたのを確認すると、自分の求愛をやめて、他のオスが求愛するのを息を殺しつつじっと見つめます。
 恋敵が足場を振動しはじめ、メスがそれにうっとりしてOKサインを出した途端、その場を静かに見つめていたオスは「今だ!」とばかりに突進してメスに飛び乗り、交尾をしてしまいます。
 メスを奪われた恋敵は啞然(あぜん)でしょうが、普通に求愛をして交尾に至るまでの時間が平均13秒であるのに対し、この便乗作戦だと8秒しかかからないとのことです。卑怯(ひきょう)ではあるものの、非常に合理的な戦法といえます。
 そしてもう一つ、もっとすごい作戦があります。
 第三作戦はなんと女装です。

 オスがプロポーズにめでたく成功して交尾にこぎつけても、メスのフェロモンを嗅ぎつけて次から次へと他のオスが近づいてきます。
 近づいてくる恋敵にメスを奪われたくないオスは、ライバルに対してメスを装います。メスが交尾のOKサインを出すのと同じように、翅をたたんで頭を垂れる格好をするのです。このハチのオスとメスは外観にほとんど違いがないので、不幸にも恋敵はその姿を見てメスだと勘違いして、交尾をしようと乗り上がってきます。
 しかし、もちろんオス同士なので交尾はできないため、恋敵は無駄な時間を過ごしてしまいます。そうやってオスとオスとでくっついている姿を見て、「構っていられないわ」と言うのかどうかはわかりませんが、メスはさっさと別の場所へと立ち去ってしまうのです。
 卑怯だ、姑息(こそく)だと言われようとも、寄生コバチのオスはきっと、騙されるほうが悪いのだと涼しい顔なのでしょう。
 それにしても必死でオス同士が不毛な交尾を演じている間に、メスは我関せずで立ち去ってしまう……ここではメスが一枚上手なのかもしれません。

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このように『残念な「オス」という生き物』には、これでもかというほど残念な生物界の「オス」が出てきます。

人間も生物の一種と考えたら、これはけして他人事ではありません。

残念ながら男という存在が残念なのは、人間だけではなく、ありとあらゆる生物においても当てはまることのようです(汗…)

非常に残念なことですが、そんな残念なオスのあなたにも、残念なオスに苦しめられている女性にもおすすめできる、けして残念ではない科学読み物です。


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