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【先読み】ユダヤの家庭教育がスゴい。

フォレスト出版の寺崎です。

今日は7月に発売予定の新刊『ユダヤ 賢者の知恵』(石角完爾・著)から内容を一部先行してご紹介します。

ユダヤ人はエジプトで奴隷として囚われていた旧約聖書の時代から、現代のホロコーストに至るまで、長い苦難の歴史を持つ民族です。そんなユダヤ人が、どんなにひどい境遇に陥ろうとも、絶対に人から奪われることはないと考えている唯一のものがあります。

それはなにか?

答えは「頭のなか」。

「教育」こそが民族存亡を左右すると考えたユダヤ人

財産や土地を奪われても、鍛えた頭脳、培った知性、自由な思想はけして奪われることはない。そんなわけで「教育」にたいへん力を入れる民族となった歴史的経緯があります。

 ユダヤ人は苦難の民族の歴史の中で他の民族から拉致され、ユダヤの子どもを虐殺される目に何度も遭っている。
 一番最近ではホロコーストでユダヤ人の子どもたちが何十万人もナチス・ドイツにより殺された。このような苦難の歴史の中から私たちユダヤ人は「子どもこそユダヤの光である」という思想を生み出し、子どもを非常に大切にする宗教を生み出してきた。
 その中から子どもに語り継ぐということの重要性を生み出してきた。
 これがユダヤの子どもに対する家庭教育という形で実現してきたのである。こういうこともあって、ユダヤ人は非常に教育熱心な民族になり、また多くの学者、作家、音楽家、詩人、思想家を生み出してきた。
 たとえば、最近ではアインシュタンやフロイト、カール・マルクス、ドラッカー、キッシンジャー、グリーンスパン、バーンスタイン、トーマス・マンなどである。

ユダヤ家庭は子どもに「質問」を繰り返す

では、そんな優秀な人材を輩出するユダヤの「家庭教育」とは、どのようなものか興味がわきますよね。

《子どもに質問を繰り返すユダヤの家庭》

 私がユダヤ教に改宗したことによって、多くの人から「ユダヤ人の家庭教育とはどんなものですか」という問いを聞くようになった。
 もちろん、それを一言で言い表すことはできない。
 だが、頻繁に家で行われる質問を紹介して、読者の皆さんにその一端を紹介してみたいと思う。「問いの民族」「議論の民族」とユダヤ人は呼ばれる。その理由がうかがえるのではないだろうか。

「風は目に見えないし、形も色も匂いもない。けれども、どうして感じることができるのか?」

 読者の皆さんは、どのように答えるだろうか。ユダヤの家庭では3歳ぐらいの子どもにこの質問をする。もちろんこれに正解はない。問いかけられた子どもは、「見えない風を感じる理由」について、一人一人が違う発想で答える。
 ユダヤ人によると、この質問の狙いは、子どもの議論する力を育むためだ。これは代表的なものだが、ユダヤの家庭では親が子どもに頻繁に問いかける。

「どうして?」「なぜだと思う?」と子どもに問いかけるのだそうです。それも3歳ごろから始めるってのがすごいです。私にも今年6歳になる娘がいますが、同じ質問を先日してみました。結果・・・固まってました笑(「宿題」ということにしてあります)。

《「二人の泥棒」の話は何のため?》

 もう一つ、もう少し大きくなった子どもに行う質問がある。

「ある日、煙突から居間に二人の泥棒が入ってきた。一人の顔にはすすがついていて真っ黒だった。もう一人の泥棒には全然すすがついていなくて真っ白だった。さて、どちらの泥棒が顔を洗うだろうか?」

 読者の皆さんは、どのように答えるだろうか。この質問は説話とともに行われる。少し長くなるが、紹介してみよう。
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  ある時、農夫がユダヤ教のラバイ(宗教指導者)のところに行き、「私にタルムード(ヘブライ聖書の注解議論集)を教えてくれないか」とお願いした。するとラバイが「お前にわかるわけがない」と突き放した。
 農夫が「何とか教えてください」と懇願する。「よしわかった」とラバイがこの質問を行った。すると農夫は、「汚れている方が顔を洗うに決まっていますよ」と答えた。
「だからタルムードをお前に教えるのは無理だ。それは間違いだ」とラバイが応じた。「それは一体どういうことですか」と農夫が再び聞き返した。ラバイが「つまり、物事には次元の違いがあるということだ」と言うと、「もう一度、よく考えてから来ます」と言って、農夫は帰った。
 翌日またやって来た農夫は答えた。
「先生、わかりました。すすのついていない方が顔を洗うのですね。自分の顔は見えないけれど、もう一人の人間が汚れているから、洗おうと思うはずです。見る場所で、ものの見え方が違うのですね」
 と農夫は答えた。
 するとラバイが再び、「だからお前には教えてもわからない」と言ってこう付け加えた。「そもそも同じ煙突を降りて一人が汚れていて、一人が汚れていないということはありえないのだ」
 と、また違う次元の見方があることを教えた。
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 ユダヤ人に聞くと、この話には深い狙いがある。
「事実」「認識」「真理」の違いを子どもに教えるための説話なのだ。「顔の汚れた泥棒と汚れていない泥棒がいる」という事実が、質問によって示された。
 しかし、その事実を受け止める認識は、見る場所によって異なる。だが、同じ煙突を通った二人の泥棒のうち、一人が汚れていないことはありえない。真理とは事実や認識とも異なる。
 次元を変えることで、事実と認識は変わっていく。さらに、真理は別に存在する可能性があるのだ。この質問に「この設問はおかしい」と、疑問を持つ子どもの反応を親は期待するという。

恐るべし、ユダヤの家庭教育。
ものごとには「事実」と「認識」と「真理」がある。このことを教える説話なのですが、大人の感覚をもってしても、かなり高度な問いだと思います。

ユダヤの家庭における「問い」の大切さ

 ユダヤの家庭では、子どもの問いを、家庭で積極的に促す。
 たとえば、アインシュタインは5歳のときに、父親に磁石セットを買ってもらった。そして父親と一緒にいろいろと実験をした。これが「私が物理学を学ぶきっかけになった」と回想する。
 アメリカの物理学者のリチャード・ファインマンは、量子電磁力学という新しい分野を開拓し、ノーベル物理学賞を受賞した。彼は『ご冗談でしょう、ファインマンさん――ノーベル賞物理学者の自伝』(邦訳・岩波書店)など、また、軽妙な語り口の物理学の講義や著述・講演によってメディアでも有名になった。
 彼が科学者になったきっかけは、幼いころ父親が博物館に連れていってくれ、さまざまなことを議論したことだったと回想している。父親はビジネスパーソンで、その説明は後から振り返ると間違いも多かったが、ファインマンの科学への興味をかきたてたそうだ。
 もちろんユダヤ人に限らず、世界のどの民族でも、親は誰もが子どもの知的好奇心を広げようと、さまざまな工夫を凝らしている。
 ただ、その中でユダヤ人の親は特に熱心だ。
 子どもが質問し、問いを行うことを、とても大切にしている。
 アインシュタインやファインマン、そして多くユダヤ人の知の巨人たちは、こうした背景の中で育ったのだ。
 ユダヤ人が素晴らしい学問的業績を上げ、または頭脳を使ってビジネスで成功する人を輩出するのは、「問い続ける」姿勢と、それによって生まれる議論好きの態度にあると私は考えている。

もう一つユダヤの家庭教育には特徴があります。それは「成功体験ではなく失敗体験を教えること」です。

最もよい教師とは、最も多くの失敗談を語れる教師だ。

ついつい私たちは「成功体験」をドヤ顔で教えたりしてしまいがちですが、ユダヤ人は「成功体験を教えるのは意味がないばかりでなく、有害である」と考えるようです。どういうことでしょうか?

 ユダヤの両親が子どもに教えることはいっぱいあるが、教えることで特に重要なことは次の二つである。

①トーラ(モーゼ五書=ヘブライ聖書)の勉強
②失敗の体験の継承


 ここでは②を説明しよう。ユダヤの両親の子どもへの教育の中で一番重要なことの一つに失敗体験の承継がある。この失敗体験を教えることは、成功体験を教えても意味がないとユダヤ人が考えているからである。成功体験の伝承は子どもの将来にとって参考にならない。というより、むしろ害になるとユダヤ人は考える。
 なぜ成功体験を教えることが子どもの将来に有害無益であるのか?
 それは、ある人がこうして成功したからといって同じことをしても、時代、タイミング、環境、周りの人々が違えば成功するとは限らないのみならず、たいていは同じことをしても失敗してしまうからである。
 これに対し、失敗体験は、ある人がこうして失敗したからということは、同じことをすると、時代、タイミング、環境、周りの人々が変わっても、同じように失敗することが多いからである。
 ユダヤ人は長い民族の苦難の歴史の中で、失敗体験には再現性があり、成功体験には再現性がないことを知っている。
 そこでユダヤでは、民族の小話や伝承で失敗談を主として語り継いで子どもに教えるのである。
 アメリカ人のゴールドマン・サックスに勤めていた証券マンの友人がハーバード・ビジネス・スクールに入学した子どもに、「金融をやりたければニューヨークのゴールドマンに勤めるのが一番だ」と教えても、その子どもにとっては何の意味もない。
 そもそもゴールドマンという会社がその子にとって合うかどうかもわからないのに、単に金融ナンバーワンということだけで勧めるのはナンセンスだ。
 それより重要なことは、ゴールドマン・サックスに勤めていた父親がゴールドマン時代にどんな罠わなに陥ったことがあったか、どんなことで人々の信頼を失ったか、どんなことで躓いたかを教えることである。
 そのような失敗談は、仮にその子が金融の分野に進まなくても参考になる。そのような失敗の体験は必ず子どもの将来にとって参考になるのである。
 くどいようだが、失敗体験は再現性があり、成功体験には再現性がない。だからユダヤでは、こうすれば成功するということは教えない。
 
 こんなユダヤの小話がある。
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 ある国のお姫様が森の中で道に迷った。何日間も森から出られなかった。
 とある日、森の奥で一人の白髪の老人に出会った。その老人にお姫様が聞
いた。

「どちらの道をたどれば、この森から出られるのか教えてください。私は、
もう7日間も道に迷っているのです」

 老人は、こう答えた。

「わしは、この森でもう40年間も道に迷っている。わしが教えられるのは、どの道を進めば森から出られないか、ということだけだよ」
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 最もよい教師とは、最も多くの失敗談を語れる教師をいう。
 これがユダヤの教えである。

いかがだったでしょうか?

これらユダヤの知恵をまとめた石角完爾先生の新刊『ユダヤ 賢者の知恵』は、2020年7月20日発売予定です。コロナ時代を見据えた「生存戦略」をユダヤ4000年の知恵から学ぶ1冊。ご期待ください。

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日本人はなぜ、質問ができないのか?
https://note.com/forestpub/n/n16ce0163e84a


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