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【連載】#4 念ずれば通ず。人との出会いで人生は変わる|唯一無二の「出張料理人」が説く「競わない生き方」

職業「店を持たない、出張料理人」、料理は出張先の素材を最大限に生かしたオンリーワンのレシピを考案して提供する――。本連載は、そんな唯一無二の出張料理人・小暮剛さんが、今までの人生で培ってきた経験や知恵から導き出した「競わない生き方」の思考法&実践法を提示。人生を歩むなかで、比べず、競わず、自由かつ創造的に生きていくためのヒントが得られる内容になっています。

※本連載は、毎週日曜日更新となります。
※当面の間、無料公開ですが、予告なしで有料記事になる場合がありますのでご了承ください。

中学生のときから、将来は一流のフランス料理のシェフになり、30歳になったら、お店を開いて、立派な経営者になりたいと考えていました。

その夢を実現するには、どうしたらいいのか――。

自分なりに考え、遠回りかもしれないけれど、大学まで行って経営とフランス語を学び、それから、憧れのフランス料理の先生がいる大阪の辻調理師専門学校(辻調)と、そのフランス校に行って、本場のフランス料理を修行して来ました。

私が修行した当時、今から40年近く前には、大学を卒業してから調理師専門学校に行き、さらにフランス修行までしている料理人はいませんでしたから、帰国後に就職したレストランでは、妬みによる、それはそれがヒドいいじめに遭ったことは、この連載でも少しお伝えました。履歴書には、本当のことを書かずに、「中卒・未経験」とウソを書けばよかったと、真剣に後悔したほどです。

毎日仕事に行くのが憂鬱で、いつも下を向いて歩いていましたし、せっかく、フランス料理に憧れ、一流のシェフになりたくて頑張ってきたのに、こんな理不尽なツラい目に遭うぐらいなら、死んだほうがマシだと思ったこともあります。

そんなどん底の私を救ってくださったのが、フランス料理界のレジェンド、熊谷喜八シェフでした。

毎日が憂鬱で仕方なかった当時、たまたま見かけた料理雑誌に「熊谷喜八シェフが手がける、日本初の洋風無国籍料理店KIHACHIが南青山にオープン」との記事がありました。

熊谷喜八シェフと言えば、かつては、葉山の海沿いに建つオシャレな海鮮フレンチ「ラマレードチャヤ」で一世を風靡した伝説のシェフで、限られた一流シェフしか出演できないNHKの料理番組に出演されたり、格式のある女性誌「家庭画報」にも定期的に登場されていて、私から見たら、遠い雲の上の手の届かないような、スター的な存在のシェフでした。

私は「封建的な日本のフランス料理のレストランでは、もう働けないかも」と思い悩んでいたときだったので、「洋風無国籍料理ってどんな料理なのだろう」という興味から、オープンして半年後ぐらいのKIHACHIに行ってみました。

地下に生簀があって、そこで好きな魚介類を選び、レストランで料理してもらうこともできる。しかも、和洋中のジャンルを飛び越えた好きな料理法で。レストラン内は、華やかで笑顔あふれる素敵なお客様ばかりで、いつも満席。オープンキッチンのカウンター席に座ると、目の前で繰り広げられる、活気あふれるシェフたちの料理パフォーマンスに見入ってしまいます。中には女性シェフもいて、明るく楽しそうに頑張っている姿が印象でした。そこには、イジメの微塵もありません。日本のフレンチの古くて封建的な重い枠にはめられて、身動きできなかった私にとっては、KIHACHIのすべてがまぶしくて新鮮でした。

私はその数日後、イジメに遭っていたお店を辞め、すぐにKIHACHIに電話して働きたい旨を伝え、熊谷喜八シェフに面接していただきました。

最初はものすごく緊張してしまい、言葉が出なかったのですが、熊谷シェフの優しい笑顔を見ているうちに、だんだん緊張もほぐれ、今まで経験してきたツラかった経験のすべてを聞いていただきました。

熊谷シェフも、かつては、たくさんの理不尽なツラい経験をされていること、これからの夢など、貴重なお話をたくさん聞かせてくださいました。

そして……、

「何かを始めるのに、やる気があれば、遅いことはない。キミが今まで、肉や魚を触らせてもらえなかったのなら、魚は、毎日三崎の漁港や築地からトラック数台でたくさん来るから、鯛でも何でも(私が教えてあげるから)私の隣りでさばきなさい。肉だったら、子牛を半頭仕入れて、私が直接さばき方を教えてあげるから。キミは料理が好きで、せっかく料理の道に入ったのだから、つまらぬイジメなんかに負けないで、夢を実現しなさい。私が教えてあげるから大丈夫」

と言ってくださったのです。

南青山のKIHACHIの事務所から表参道の駅までの道すがら、私の目は感激の涙であふれて止まりませんでした。その後のKIHACHIでの修行時代は、よい先輩、仲間にも恵まれ、本当に料理のすべてを夢中で吸収させていただいたことは言うまでもありません。

ここで、皆さんにお伝えしたいことが、いくつかあります。

人生は、人との出会いで大きく変わります。どんな人に出会うか、どんな人と仕事をするかで、その後の人生が大きく変わります。

ある人にとって「常識」だと思うことが、別の人にとっては「非常識」ということは、たくさんあります。

あなたは、そのとき、どちらを選ぶかが大切です。

やはり、同じ価値観、同じ方向性を持った人と一緒にいるほうが楽しいですし、はるかに大きな成果につながります。自分を信じ、自分を大切にして、自分と同じ価値観を持つ方とのご縁を大切にしていきましょう。

もしあなたがまだ、そんな人に出会えていないなら、そのチャンスはもうすぐやってきます。

なぜかって?

「念ずれば通ず」との格言もあるように、「私は、こうしたい。こういう方と出会いたい」と常に思っていれば、必ず叶いますから。それは、私が何度も経験していることでもあります。

ただ、1つだけ注意点があります。

人生を変えてくれる出会いを、あなたの無駄なプライドや過信、怠け心、わがままでつぶしてはいけません。残念ながら、せっかくのご縁をチャンスに変えられずに去っていった人たちを何人も見てきました。その点だけは、あなたの人間力、学ぶ姿勢が問われますのでご注意を。

【著者プロフィール】
小暮 剛(こぐれ・つよし)
出張料理人。料理研究家。オリーブオイルソムリエ。1961年、千葉県船橋市生まれ。明治学院大学経済学部卒業後、辻調理師専門学校を首席で卒業。渡仏し、リヨンの有名店「メール・ブラジエ」で修業。帰国後、「南部亭」「KIHACHI」「SELAN」にて研鑽を積み、1991年よりフリーの料理人として活動開始。以後、日本全国、海外95カ国以上で腕をふるう「出張料理人」として注目される。その土地の食材を豊富に使い、和洋テイストを融合させて、シンプルに素材の持ち味を生かす「小暮流料理マジック」に、国内のみならず世界中から注目が集めている。近年は、出張料理人として活躍しながら、地域食材を最大限に生かしたレシピ開発を通じた地方再生や、子どもたちの食育講座などを積極的に行なっている。また、日本におけるオリーブオイルの第一人者としても知られ、2005年には、オリーブオイルの本場・イタリア・シシリアで日本人初の「オリーブオイルソムリエ」の称号を授与している。その唯一無二の活躍ぶりは各メディアでも多く取り上げられており、TBS系「情熱大陸」「クレイジージャーニー」への出演歴も持つ。最終的な夢は、「食を通して世界平和を!」。

▼本連載「唯一無二の『出張料理人』が説く『競わない生き方』」は、下記のサイトで過去回から最新話まですべて読めます。


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