保育の専門性に「塩梅」があります
どうも、主任やまもです。
幼稚園教諭をしたり、大学で講義をしたり、主任やまもの園内研修室を運営したりしています。
前回、保育者の専門性が子育ての邪魔をするか、といった話をしました。
その時の専門性は「先読み力」でした。
今日は違う専門性を考えてみます。
保育の質や専門性などを言語化することが課題になっている最近です。
みなさんの考えのスパイスとしてお使いください。
保育の専門性:いい塩梅(あんばい)
塩梅という言葉、ご存知ですか。
ぐあい、ようす、といった意味ですね。
字のごとく、料理(調味料)が語源だそうです。なるほど。
私は、保育の専門性の一つに「塩梅」があると考えています。
例えば、子どもが着替えで手こずっているとしましょう。年齢は2歳くらいだとします。
「声をかける」か「見守る」か。 どうしますか?
困ってるんだから、と無条件に声をかける人がいます。
困難にぶつかる機会は大切、と全く手を出さない人がいます。
昨日は時間をかけたら出来たから、まだ見守るべきとする人も、
出来なくて調子を崩したら、この後の用事に支障が出るから今日は手伝おうと判断する人もいて、
いろんな対応の可能性がありますね。
この中からその時の”状況”に合う、さらにその”子ども”に合う対応を選び出すのが保育者の専門性です。
毎回同じ声かけをするのではありませんし、同じ場面でも子どもによって答えは違います。
それを瞬時に判断できることこそ、保育者の専門性でしょう。
ちなみに、瞬時に判断はしますが、その判断の根拠となるところは普段から子どもの姿をよく見ることが絶対条件です。成長の様子、今日までの流れ、その日の機嫌や調子、その子のたくさんの情報と心の読み取りがあってこその判断となるわけですね。瞬時と言いつつ、中身は非常に濃く長い時間です。
ラーメン屋のスープみたいですね。仕込みに〇時間、飲み込むのは一瞬、みたいな。喉を通るその瞬間に〇時間の深みがギュギュギュっと……スープおいしいですよね。20代の時は最後にライスを頼んでスープごはんを食べていました。最近は塩分を気にしてすっかり飲み干さなくなりましたね。
…逸れました。
とにかく、瞬時に塩梅を調節する保育者の専門性が見えたと思います。
たくさんの塩梅
声をかけるか見守るかの塩梅の話でしたが、他にもあります。
「見守る」と「放任(放置)」の塩梅もあります。
違いは何だ?から議論が始まりそうな二つですね。
友だち同士のトラブルへの仲裁タイミングもあります。
製作で行き詰った場面なんかも選択肢は多いです。
代わりにその工程を保育者がやる選択肢もある。口だけ出すこともあれば、口も手も出しつつ子どもにさせたり、保育者が横で同じものを作ってみても良い。「できないなら今日はやめようか」なんて声をかける選択もあるかも?正解を言ってしまうのか、ヒントだけ伝えるのか。それとも、ニコニコしてその場でずっと眺めているか。
この中に目の前の場面の答えがあるか分からないですよね。保育者が作ってあげたけれど、実は自分で折り紙折れます!なんてよくある話です。本当に折れなくて困ってる子に「いいから言われたとおりに折って」と無理難題を投げてしまったり。心が痛みます。
子どもの育ちや心、そしてその場の状況から”いい塩梅”を考えられるのが保育者の専門性です。
まとめ
保育者の専門性の一つ「塩梅」について考えてみました。
いかがですか。
保育者の方に共感をいただけると嬉しいですし、保育者以外の方に「たしかに。」と思われたら最高です。
保育者はこの”いい塩梅”を15人に対して、20人に対して毎日瞬間瞬間で考えています。
我が子ひとりなら出来るかもですが、そうではないのです。
専門性と苦労と保育のやりがいが伝わりますように。
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