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選手化するAI、AI化する選手 ~プレー原則の未来を考える~

文:hana(@hanasoccer4)

■要約すると
・AIが人間に近づく進化を遂げた
・選手は「プレー原則」等によりAIに近づいている
・今後、プレー原則はなくなるかも?

hanaといいます。大学で情報科学系の勉強中です。サッカーは、たまに地上波でやってたら見るくらいだったのが今年(2018)くらいから一気に、とりわけ戦術界隈の沼にはまりました。今は分析なんかもやっていますし、将来この戦術好きを生かした仕事をしたいと思うようになりました。今回は専門に近い情報の分野と絡めた内容ですが、他分野からサッカーに取り込める要素はまだまだ沢山あると感じています。

AIの「人間化」

近年話題となったAIはその多くが「機械学習」で成り立っている。世界トップレベルの囲碁棋士に勝利した「AlphaGo」などはその筆頭格だが、その機械学習の仕組みはある意味で人間に近づこうとするものと言える。

機械学習を用いない従来のAIは、人間の書いたプログラムに従って行動する。ここではサッカーゲームの選手AIを例にとってみよう。

例えば味方が攻撃している時のCBの動きであれば

・ハーフウェーラインより相手ゴール側に近づかない
・半径5m以内にいる相手プレーヤーのうち最も近い位置にいる選手に近付く(マークする)

など、AIは明確な決まりに従って動いていると考えられる。なぜ明確な決まりなのかと言えば,不明確なプログラムは書けないからだ。「数値化できない」と言い換えてもよいだろう。「むやみに上がるな」「FWが上がってきたらマークしろ」とは、プログラムには書けない。

上の例で言えば、「ハーフウェーラインより相手ゴール側」かどうかは選手の位置座標をハーフウェーラインと比較することで判定でき(下図参照)、「半径5m以内にいる相手プレーヤーのうち最も近い位置にいる選手」は自分と全相手プレーヤーの座標から距離を算出して比較することで求められる。

これに対して「むやみに」は数値化にはほど遠い曖昧な概念である。また「FWが上がってきたら」では、どこまで上がってきたらなのかを数値化できいないし、複数のFWが上がってきた時にどうするのか明確でない。

しかし機械学習のやり方によっては、AIはこの不明確さを「理解」出来る。CBの例であれば、例えば自由に動くように設定しておいて、自分より自陣ゴールに近い側で相手がボールを受けた時に直前の動きにマイナス点をつけ、その動きが次回以降出にくいようにする。逆に自分よりゴール側へボールが出る前にカット出来たなら、直前の動きにプラス点をつけて出る確率を高める。このようなシミュレーションを何度も繰り返していくうち、この選手AIはCBとしての「いい動き」をする確率が高く、逆に「悪い動き」をする確率が低いAIになると考えられる。

これは単純化した例ではあるが、概ねこのようなプロセスで機械学習は行ななわれる。この学習の手順は、ある意味では「経験」と言える。すなわち色々な状況を与え、こう動くとダメだった、こう動いたら良かった、という「経験」をAIに積ませることで賢くしていく。この流れを一秒に何百万といったペースで繰り返すことで、AIは一部の分野で人間を凌駕する性能を持つに至った。曖昧さを経験で理解するようになった、という点で、AIは人間に近付いていると言える。

またこの機械学習の手法で性能を上げたAIは、前述の明確な決まりに従って動くAIと違い、なぜその判断をしたのかが見えにくくなる。

明確な決まりに従っているなら、その判断は全て理解・解釈できる。今この選手にマークに行ったのは、この選手が5m以内まで近づいて来たからだな、とか、こっちの選手にマークを変えたのは、こっちの選手の方が自分に近くなったからだな、とか。

対して機械学習を用いたAIを、そういった文脈で理解することは出来ない。確かに言えることは、こういう動きをして上手くいった経験があったんだろうな、という程度になってしまう。

選手の「AI化」

いわゆる司令塔タイプ、あるいは天才肌と称されるタイプの選手は、ある意味でこの機械学習型のAIに近い特性を持っていると言える。すなわち、その見えている世界が常人には理解できない。このタイプの選手は、トップレベルであっても、考えてプレーしている訳ではない場合が多い様だ。スペースを察知したり、味方を察知したり、一見すると予知しているかのように見えるプレーでさえ、論理ではなく直感に基づいているらしい。

しかし最近、創造性を前面に押し出すタイプの選手は減少傾向にある。この記事で提言したいことの一つは、「プレー原則」という考え方の浸透とこの減少傾向とが、少なからず関連しているのではないかということだ。

プレー原則の普及がなぜ、創造的な選手の減少傾向に繋がるのか。重要なのは選手の意識である。プレー原則がある以上は、選手はそれに従って動こうと意識するだろう。この意識するというのがポイントで、創造的なプレーというのが選手の直感によるものとするなら、「○○なプレーをしよう」と考えている時点で創造性を多少失っていると言えるはずだ。逆に言えば、直感から少し離れ、考えてルールに従う方向へ意識を調整することが、プレー原則を取り入れる上で求められる一つの姿勢なのではないだろうか。

ただし押さえていて欲しいのは、これはあくまで変化の方向についての話であるということだ。選手は「完全に創造的なプレー」からは離れる方向へ動いているが、創造性が完全に失われるわけではなく、直感が無意味になったわけではない。

選手とAIの交錯

ここまでの内容を整理してみる。まずAIは、ある意味で人間に近付いて来た。予め定められたルールで動くより、経験から学習する方がより高い性能が出せるようになった。
それに対して選手は、直感ではなく原則で動くことに、より価値を求められるようになった。

この変遷は対照的と言えるだろう。判断のプロセスが外部から解析可能かという点で言えば、両者は真逆の動きをしている。なぜその判断を下したのか、論理に従っているのなら解析は可能だが、経験・直感に従っているなら解析は難しい。AIはプロセスが見えないように、選手はプロセスが見えるように、変化してきているのだ。

プレー原則、そして選手の未来

AlphaGoを開発したDeepMindは、その後新たに「AlphaGo Zero」に関する記事を発表した。AlphaGo Zeroの特徴は、AlphaGoが過去人間が残した棋譜データを学習したのに対し、それを一切行わず、自分の中でシミュレーションを行うだけで強くなったということだ。そのシミュレーションを3日行った時点で、AlphaGo Zeroはトップ棋士を破ったAlphaGoに対して100戦100勝するほどの強さに達したという。

人間の棋譜データを学習することは、過去の棋士達が残してきたセオリーを学ぶことと考えることが出来る。棋士は自らの直感や経験を生かして打つ場面もあるだろうが、学んだセオリー、定石に従う手を打つこともまた少なくないだろう。そこには定石に従ったという文脈がある。自らの直感・経験より、知識・決まりごとから考えて打った手と言える。AlphaGo Zeroは、人間が蓄積してきたこの「決まり事」を完全に捨て、自らの経験のみに従ったと表現できるだろう。

このことを選手・プレー原則に応用してみよう。AIはルール・論理を完全に捨てる方向で結果を出している。プレー原則の考え方は広まりつつあるようだが、今後はAIと同じく、プレー原則を選手の判断に用いないやり方でアプローチするチームがトップレベルでも増えて来るかも知れない。論理・判断ではなく、経験がより重要視されるかも知れない。もちろん選手はAIではなく、1秒間に何百万回のシミュレーションなど不可能だ。しかし現時点で人間は、応用力という点でAIよりはるかに優れている。経験の質によっては、少ない経験でも高い応用力を発揮することはあるだろう。

既に選手の無意識へアプローチする方法が注目されている例もある。無意識へのアプローチとは、今回用いてきた文脈で言えば、経験によるアプローチであると言える。練習で質の高い経験を積ませることで選手の無意識を変え、意識的な判断ではなく、無意識の段階、すなわち直感的な部分で良いプレーを引き出す。

近い将来、選手にとってのプレー原則は無くなり、いかに質の高い経験を積ませられるかが焦点になってくるかも知れない。

<了>

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