鹿島アントラーズ 過小評価イレブン

 鹿島アントラーズの歴史のなかで、過小評価されていると感じる選手と監督を選んでみました。世間的な評価とクラブからの評価と、両方が入ってしまっているかもしれません。
 また、Jリーグが開幕したころ、僕は小学生になったばかり。その頃の印象は薄いのが正直なところです。
 そうした条件や世代の問題はありますが、長くアントラーズを見てきたなかで、思うところを書いてみます。
 こう言うのは逃げみたいで嫌いですが、多くの異論反論があると思う(それを聞きたいとも思う)ので言っておきます。
 「あくまで個人的な主観です」

CB ファビアーノ (2000-2002)
 ディフェンダーの華麗さを彼から学んだ。クレバーなポジショニングとカバーリング、前線への正確なフィード。第二次黄金期の個性豊かな日本人選手のなかにあって、絶妙の存在感を発揮した助っ人だった。ジョルジーニョやマルキーニョスと並び立つかは微妙だが、間違いなく栄光の歴史に名を残す一人。

CB 青木剛 (2001-2016)
 あえてのCBでの選出。ボランチとして3連覇を支えたが、晩年はポリバレントの象徴として活躍した。いずれの時代も、青木がいれば大丈夫と思わせてくれた。彼のサイドチェンジは野沢のトラップ並みに変態。なぜか脇役的な扱いだが、問答無用のレジェンド。

右SB 内藤就行 (1992-1999)
 元祖(?)ポリバレント。右SBのレギュラーだったかと思えば、ボランチも難なくこなし、サブになっても準備を怠らず出ればきっちり仕事をこなす。文字通りチームを支える貴重な存在だった。彼のように寡黙な職人気質の選手がいま必要とされているのではないか。

左SB 宮崎智彦 (2009-2010)
 数々の猛者たちが挫折した鹿島のSBの難易度は高く、しかもなぜか左利きの左SBは苦しむ。しかし彼が2010年シーズンの天皇杯で見せた輝きはそのジンクスを破るかに見えた。だがなぜか次のシーズンにはレンタルで放出され、戻ることはなかった。その後名波監督にボランチで起用されるクレバーさを鑑みれば、もっと見たかった選手。

ボランチ フェルナンド (2003-2006)
 悪魔の左足を持つブラジル人。在籍期間に年間タイトルが無かったのは彼の助っ人としての力不足、とは思わない。正確なロングパスと、驚異のFKで氷河期の鹿島を支えた大恩人。日本平での直接FKは誇張ではなくロベカル級。いまもYouTubeで見られるのでぜひ。

ボランチ 熊谷浩二 (1994-2004)
 レジェンドという認識は持たれているだろうが、本来受けるべき賞賛には程遠い。第二次黄金期では、経験豊富なベテランと、きら星のごとき若手タレントの間をつなぐ存在だった。豊富な運動量と時折見せる攻撃センス。ボランチの働き者として彼以上の存在が、果たして日本サッカーの歴史上に何人いるだろうか。怪我に泣かされた不運もあったが、そうした経験すべてをユースの監督としていかし、高円宮杯を制した。たまたま聞いた青森弁の怒声は強烈だった。

2列目 平戸太貴 (2016,2019)
 そんな熊谷監督が率いた2015年ユースの中心にいたのが平戸。データに表れない魅力があり、試合の機微を感じてプレーができ、必殺のセットプレーを繰り出す鹿島らしい選手。レンタル先の町田で成長し満を持して臨んだ2019年、けが人が相次いだ右SBで使われたり、組織を構築できない監督だったり、不運に見舞われ半年で退団。力を発揮できる環境では無かった。町田浩樹とともに鹿島を担うべき選手だったし、僕は今でも彼の帰りを待っている。
 ちなみに、当時のユースはトップを含めても大好きなチームのひとつで、千葉、大里、色摩などもこのリストに入れようか迷ったほど。

2列目 中村充孝 (2013-2019)
 加入時から13番を与えられた期待の高さに応えられなかった。持続性のなさや怪我の多さなど本人にも責任はあるのだろうが、加入時期も悪かった。セレーゾは細かい指示で選手を縛り、中盤の役割が固定され、流動性や即興性が発揮しにくかった。確かな技術とポジショニングの巧みさは鹿島らしくあり、彼がポジションを獲得するのを願ったが叶わなかった。しかし2015年ナビスコカップや2016年1stステージなど、タイトル獲得に貢献したのもまた事実。

FW 佐々木竜太 (2006-2010, 2012)
 選手権での活躍が認められ急遽入団が決まった異色の経歴の持ち主。当時のFW陣はマルキーニョス、柳沢、田代、興梠、大迫…これだけのメンツのなかである程度の出場機会を得て、ある程度の結果を残しただけでも凄い。パワフルなドリブルと抜群の得点感覚を兼ね備え、当時の印象的なシーンには意外なほど彼の姿がある。スーパーサブの適正もあり、もっと使われるべき選手だった。

FW アレックス・ミネイロ (2005-2006)
 フェルナンドと同じく氷河期の鹿島を支えた大恩人。ここぞの決定力とシュートセンスに加え、安定感のあるポストプレーや労を惜しまないチェイシングなど、鹿島のFWに求められるすべてを持った男。特に2005年の野沢との2トップは華麗で、野沢の一人立ちにも貢献した。ただ、お互い完璧なオールラウンダーである柳沢とのコンビネーションはすこぶる悪く、アントラーズ七不思議として語り継がれているとかいないとか。

監督 パウロ・アウトゥオリ (2006)
 2006年の1年のみだったが、岩政をはじめ多くの選手が彼の貢献を語っている。セレーゾのマンネリをぶち壊し、篤人だけでなく中後や田代も重用、時には本田泰人をスタメン起用するなど、フラットな目線でチームを再構築し、翌年からの3連覇の礎になった。終盤に定着した、中後ファビオサントス野沢本山のダイヤモンドはもっと見たかった。

GK 曽ヶ端準 (1998- )
 GKを最後にしたのは、企画の趣旨からして変化球の選出だったので。
 もちろん彼は120%殿堂入りするレジェンドで、それは誰もが知るところだろうが、まだ足りない。鹿島生まれ、鹿島育ち、ユース出身、ワンクラブマン。20年以上アントラーズのゴールを守り、あらゆるタイトルを獲得した。こんな奇跡があるだろうか。鹿島サポだけでなく、Jリーグ、いや世界から賞賛されて然るべき存在。

【スタメン】
  佐々木  アレックス
中村         平戸
 フェルナンド 熊谷
宮崎         内藤
 ファビアーノ 青木
     曽ヶ端

【監督】アウトゥオリ
【サブ】高桑、パクチュホ、山本、ルイスアルベルト、増田忠俊、ロドリゴ、真中

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