キリスト教に関するヨーゼフ・ゲッベルス

https://www.satanslibrary.org/666BlackSun/Goebbels.htm

以下は、第三帝国のトップリーダーの全員が強く反キリスト教的であっただけでなく、キリスト教の「道徳」を否定していたことを明らかにしている。

以下の引用は、ゲッベルスの日記、編集・翻訳、ルイス・P・ロクナー著 © 1971 (The Goebbels Diaries, Edited and translated by Louis P. Lochner)、by Universal-Award House, Inc.; 1948 by Doubleday & Company; Garden City NY.

「ゲッベルスはまた、キリスト教会に激しく反発していることを明らかにしている。彼は、戦争が終わったら教会を相手にして、無力化しようと計画していることを明らかにしている。」*編集部挿入、9ページ

「帝国指導者のマルティン・ボルマン(Martin Bormann)は、1941年にヘスがセンセーショナルなイギリスへの亡命をした後、ルドルフ・ヘス(Rudolf Hess)の後継者として党務におけるヒトラーの副官となった。彼は最も過激で妥協を許さないナチスの一人であり、教会への憎しみに満ちていることが分かった。」99ページ

「アメリカの新聞は、スターリンがキリスト教を救うようにあらかじめ定められていると主張している。」108ページ

「ルーズベルトは、イースター休暇に向けて、新しいキリスト教のプロパガンダを考えた。彼は、ヨーロッパの敗北した人々の道をゴルゴダへの道と比較して、すべての人々の中で、彼はキリスト教を新異教(neo-paganism)から守るために、他の誰でもない自分が神に召されたと主張した。もちろん、これは、過去にその宗教的狂信性で際立っていた、例外的にキリスト教を信仰するソビエト人の助けを借りてのことである!」182ページ

注*共産主義は、一般に信じられているような反キリスト教ではありません。中国で印刷された聖書の数は8000万冊に上る-Christianity Todayへの記事へのリンク。

「一方では、党のある措置、特に十字架に関する命令が、司教たちが国家に対して喚き散らすことをあまりにも容易にしていることは否定できない。」[ナチスは学校や教会や病院から十字架を撤去するように主張した]編集部挿入「ゲーリングも…キリスト教会やキリスト教の宗派に対する彼の全態度は、極めてオープンで真っ当なものだ。彼は彼らを見抜いており、彼らを自分の保護下に置くつもりは一切ない。」163、164ページ

「カトリック教会があらゆる方法で破壊活動を続けることは汚く卑しいことだ…ユダヤ人の次に、これらの政治的神格者[政治的猿(politisierenden pfaffen)]は、我々がいまだに帝国に匿っている嫌なゴロツキである。戦後、この問題を全面的に解決する時が来るだろう。」168ページ

「ベルリンの売春は最近、我々の頭痛の種となっている。捜索の結果、逮捕された女性の15%が性病に罹患しており、そのほどんとが梅毒にも罹患していた。私たちは今、この問題をなんとかしなければなりません。長期的には、ハンブルグやニュルンベルグなどの大都市にあるような「歓楽街」を帝国の首都に設立することを避けられません。400万人の都市をブルジョアの道徳観念に従って組織し、管理することはできません。」189ページ

「総統は、上級聖職者と下級聖職者の傲慢さを非常に軽蔑的に語った。キリスト教の贖罪の教義の非常識さは、現代にはまったく合わない。総統は例外的に劇的で、一部はグロテスクな例さえ挙げた。最も学識があり、最も賢明な科学者たちは、生涯を通じて、自然の神秘的な法則の一つを研究しようと奮闘してきたが、バイエルンの小さな田舎町の司祭は、彼の宗教的知識に基づいてこの問題を決定する立場にある。このような不愉快なパフォーマンスには、軽蔑の念しかありません。」421ページ

「カトリックの聖職者は、真に反逆的な方法で、我が国の敵に協力している。今さら罪を問うことはできないと思うと、怒りが込み上げてきます。復讐は後回しにしよう。」429ページ

多くのカトリックとプロテスタントの牧師が死刑を宣告された。彼らは最も卑怯な方法でドイツ軍を怒らせたのです。私は総統に法廷の意見とともに判決を公表することを提案しました。」544ページ

以下の引用は次のとおりです:「ナチスドイツの性と社会(Sex and Society in Nazi Germany)」ハンス・ペーター・ブリューエル(Hans Peter Bleuel)著© 1972年、1973年、J・マックスウェル・ブラウンジョンによるドイツ語からの翻訳、「綺麗な帝国(Das saubere Reich)」は1973年11月に「Strength through Joy」というタイトルでイギリスで出版されました。

「ゲッベルスはかつて、反動派(反動とは、歴史用語、政治用語で、革命勢力から見て反革命的な姿勢、行動のこと)の前世紀的な道徳観念や、彼らの仲間たちが持つトラクター的精神を揶揄した。ヒトラーはこの言葉をヒントに、自らを激怒させてこう言った。「私は慎重さと道徳的な詮索を嫌う…それが我々の戦いになんの関係があるというのだ?これらは、フーゲンベルグ(Hugenberg、アルフレッド・フーゲンベルグのことか?)のような反動的な老婆の古い概念であり、美徳的な習慣や緊縮財政の面からしか国家の復興を考えられないのである。「美徳同盟」や「国家の物質的損失を精神的利益に置き換える」など、その他のすべての汚い愛国主義的なマンボジャンボ(ちんぷんかんぷんの意)がある。我々の蜂起は、ブルジョア的な美徳とはなんの関係もない。我々の蜂起は、我が国の強さから生まれた蜂起であり、その腰の強さから生まれた蜂起でもあるのだ。私は部下の誰に対しても甘えはない。彼らに最大限の要求をするならば、彼らが好きなように蒸気を放出することを許さなければならない。教会の年寄りに合わせてではなくね。私の部下たちは天使ではないのだから。」5-6ページ

「ゲッベルスは、自分が所属するベルリン・ガウの機関紙「デア・アングリフ(Der Angriff)」にこの攻撃を掲載することで、自らを進歩的な聖道徳の擁護者とし、「不自然な人々」の惨劇を描いた。その道徳観念は、いざとなれば「尼僧院での共同生活」を支配するかもしれないが、「現代の文明国家」にはまったくそぐわないものであった。懸命な革命家である彼は、町や国に「貞操委員会」を設置し、新しいドイツをおんぼろげで偽善的な荒野に変えること以上のことは何も望まなかった道徳的な詮索好きな人々を、隅々まで軽蔑しました。彼はこの行為を、Bettschnüffelei[ベッド嗅ぎ]と呼び、ミュラーとシュルツ[スミスとジョーンズ]の性生活や、ダンサーや舞台スターの道徳的に有害な活動を監督することを目的とした「資質不足」の道徳を主張する人たちを、卑劣な偽善とうわべだけの傲慢さで告発した。自尊心のあるドイツ人女性は、エスコートされずに出かけるべきではないし、タバコを吸うべきでも、酒を飲むべきでも、ドレスアップするべきでも、断髪するべきでもない。これらは、卑劣な偏屈者や傲慢な道徳的裁定者が主張する礼儀作法の規則でした。」

「国家社会主義は人生の側面ではなく、楽観主義と生きる喜びを国民に広めることを目的としていたのではないでしょうか?」

「これが、私たちが労働者にもお祝いの日に華やかな服装をする機会を与える理由です。これが私たちが喜びを通じて力を掻き立てる理由だ。そしてこれこそが、私たちが愚かな偽善者たちを払い除け、彼らの不朽で悪意に満ちた衒学によって、世俗的な存在の困難、心配、窮乏に対抗するものとして非常に不可欠な喜びを、絶えず更新され、意図的に生命を肯定することから、生存のための困難な戦いの力を引き出すあらゆる理由を持っているまともな国家のために、略奪させることを拒否する理由なのです。」101-103ページ

ホームページに戻る


*「」、[ ]は原文。( )は翻訳者。