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マックの裏側 第18回目 最終

 故・藤田田氏は組織固めに懸命になった。故・藤田田氏にとって、個人的な利益追求と組織固めは同じであった。故・藤田田氏はマクドナルドの金(支出)の流れを明確にし、藤田商店に商流を把握させ、違法なリベートでなく、合法的に手数料を藤田商店に集めることであった。購買部を作り、マクドナルドの食材購入と店舗の建設費,調理機器購入費等を把握させることをまず行った。
 次に米国マクドナルドへの機器輸出を考えた。元々故・藤田田氏はトランジスターラジオの輸出をしており、日本の優れた電子機器を輸出するのが夢であった。そのため、日本の電子機器メーカーとの接点を維持していた。藤田商店にはソニー共同創業者の故・盛田氏の甥の盛田三吾氏が在籍していた。故・藤田田氏が着眼したのは、マクドナルド店舗で使うPOS(電子レジスター)の開発であった。1970年代中頃に米国マクドナルドはPOSを開発していたが、ソフトウエアーは良かったが、ハードウエア―の信頼性が低かった。そこで故・藤田田氏は信頼性の高い日本の電子機器メーカーに開発させ、米国にも輸出しようという壮大な計画の実施に取り組んだ。そこで社内に情報システム部を作り開発させることにした。その責任者として、日本無線からさらに部長級の人をスカウトすることにした。それが松本氏だ。POSの開発は、当初東芝に開発させたが、後にパナソニック系の松下電子にさせた。パナソニックの創業者の故・松下幸之助氏はパナソニックのコンピューター開発からの撤退を悔やんでおり、POSの開発と米国への輸出に陣頭指揮で取り組んだ。故・松下幸之助氏は直系の親族を責任者として、米国に駐在させ開発にあたらせた。さらに日本向けのPOS開発後は米国向けの開発の加速ため、情報システム部の松本氏を米国マクドナルドに長期間滞在させることにした。最終的に米国で一部採用され、膨大な売り上げを上げ、藤田商店に莫大な手数料が入るようになった。

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