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偶然ってすごいありふれてるっていう話

こんばんは。といっても現在は夜の一時半。多少の眠気とともにいます(笑)
今回は前の記事で書いた、偶然論について書いてみます。

偶然ってどんなところに存在している?

今回の問いはこれで行きます。
そもそもどこまでが偶然と呼べるのかについてまず考えてみます。
自分はほぼ全て、なんなら100として認めるものが偶然です。

例えとして出してみましょう。
今日あなたの家に友人が来る予定です。来る確率は何パーセントでしょう。
このように聞かれた際、多くの人はこう答えることが多いのではないでしょうか。「いや100パーセントじゃない?」という風に。
そこには来る友人への信頼が大きくかかわってくるでしょう。
あの人は絶対来てくれると。しかし0も100もないわけです。
もしかしたら事故で来ないかも。急に帰らなくてはいけない用事ができるかもしれない。などなど考えればきりがないほど可能性があります。

「考えすぎてるだけだって、早々起こらないんだから。」
真っ先に浮かぶ反応はこれです。普通に考えて少ない確率ですから(笑)
普通にそう思うだろうし、自分でもそう深く考えません。
ただ来てくれることを偶然ととらえることができるのではと思います。
逆もしかりなわけで、その偶然を超えてきてくれることもまた偶然です。

こんな風に例えてみるとわかりやすくなると思います。
これ以外でも今日食べるもの、話す内容、今書く記事の内容。
全て偶然の産物です。人間ってそれくらい気まぐれだと思います。
となると気になるのは確定、事実という言葉が存在するのは
なんでなんだろうという順当な問いです。

過ぎたことと今からのことの境界線

最近よく○○確定、これは事実じゃないかなんて言葉を見かけます。
これは半分正しい使いかたであるなと自分は考えています。
自分は確定、事実は過去になら存在していると考えています。
もう少し具体的にしてみましょう。
今日わたしはたこ焼きを食べて、これから散歩する予定です。
この中の事実はたこ焼きを食べた。おいしかったの2つです。
これらは既に完了したことで変わりようがなく
偶然を過ぎたものであると考えることができます。
逆に散歩することはまだ偶然を抜けていないのです。

半分正しい理由はここに詰まっていますが正しくないと思うのは
このように考える以前に使っている一面が存在していると感じるからで、
いわゆる決めつけ、100が含まれていると思います。
決めつけは偶然をとらえず、変わる可能性を除外して100にしている
なんて風にも、考えることができます。

今回は偶然について書いてみました。書いているうちに
0も100も存在していないの種だったなと感じてきました。
こんな風に考えるようになってから傲慢さが薄くなって
逆に感謝をする対象も機会も増えたのかなって思います。
○○するまでが○○なんて言葉もここからきているのかもしれない
なんて考えると標語の深さを勝手に考えて面白く感じます。
ここまでご精読ありがとうございました。またいつか。


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