三密回避とアダム・スミスの信頼
コロナウイルス感染を防ぐためには、手洗いをしっかりすること、三密を避けることが有効だ。もちろん、人に会わないことが一番だ。一人ひとりが感染しないようにして、たとえ感染したとしても人に感染させないようにすれば、ウイルスは消え去ってくれる。
自分一人くらいいいだろうと思いがちだ。人は誰でも自分のことが一番大切だ。しかし、どんな人でも利他的な気持ちをもっているとアダム・スミスは『道徳感情論』で述べている。私たちのちょっとした行動が多くの人の命を守ることにも、危険にさらすことにもなる。「自分自身のこのささやかな不幸を防ぐために見知らぬ一億人の命を犠牲にすることは、慈悲心ある人にできるだろうか。・・・世の中がどれほど堕落しているといっても、そのような行為のできる悪者はいまだかつて生み出したことがない。」というアダム・スミスの人間に対する信頼に応えたいものだ。
たとえば明日自分の小指を切られることになったら、今晩は眠れないだろう。だが、たとえ一億人に破滅が訪れるとしても、会ったこともない人々であれば、安心して高いびきをかくだろう。これほど大勢の人の破滅といえども、自分自身のささやかな不幸にくらべたら、あきらかに興味を引かない出来事なのである。では、自分自身のこのささやかな不幸を防ぐために見知らぬ一億人の命を犠牲にすることは、慈悲心ある人にできるだろうか。人間の本性はこの考えに怖気づくにちがいないし、世の中がどれほど堕落しているといっても、そのような行為のできる悪者はいまだかつて生み出したことがない。(アダム・スミス『道徳感情論』(村井章子・北川知子訳)、日経BP社、p.313)