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北九州〜秋育ち、関東へ

中3に上がると同時に4年間を過ごした秋田を離れ千葉県へ。

この時初めて家族がバラバラに暮らすことになりました。一番上の兄は大学の寮へ。2番目の兄は秋田の高校へ残った為そこで下宿生活。そして私はいきなり一人っ子になったのです。

4年ぶりの転校生となった私でしたが今回も意外とすんなり溶け込み普通に通えた中3の1年間でした。

でもそこでもまた違いに気づいてしまう。

なる程。環境によって同じ日本で同じ年齢でもこんなに違うんだなぁと。

一番ここは違うと感じたのがこれ。

先生がいる時といない時で見事に態度を変える周りの様子。

申し訳ないけれど…これは何だろ?と最初は戸惑った。北九州でも秋田でもこれは無かったかなぁ。もちろん先生がいる時といない時とではいる時はそれなりに私たちも静かになる。

だけど先生がいるからと言ってあからさまに良い子を演じる様な急激な変化はしなかった。先生の話を聞く態度にはなるけれどそれ以上自分がよく思われようと先生にこびる子もほぼいなかった。

もしそんな子がいたら⁈大丈夫か?何なのこいつ?と逆に思われたでしょう。

けれど転校先ではその大丈夫か?と思われる行動をする子の方が多かった事にとても違和感を感じ戸惑った。

さっきまで先生の悪口を汚い言葉で言いまくっていた子達が…

その先生が教室に入って来たらコロッと態度が急変。言葉遣いもいわゆる良い子の話し方。一斉に姿勢を正して何事も無かったかのようにお利口さんな生徒になった。見事に。

あの時の衝撃が私は今でも強く印象に残っていて忘れられないし。

何よりもそれを悪気なく無意識にやっている彼らに得体の知れない怖さを感じた。

先生達も恐らく気付いて無いんだろうなぁ。

気の毒に…と思った。

何だろ。この虚しい感覚。

そして授業が終わるとみんなサーっと帰って行く。みんな殆どの子が塾や習い事に行っていたから。

そっかぁ。この辺りに住んでる子達ってこういう生活してるんだぁ、ある意味さっぱりしてるんだな。ここでは浅い友達関係しか築けないのかもしれないな、とも思いました。

関東の住宅事情。家と家の距離感は近いけど人と人との距離はとても遠く感じた。

今まで私が過ごして来た場所とはまた違う世界なんだと改めて思った。

気が合い仲良くした子もいたけれど今も繋がっている子はいない。

私の中でここは違うと感じてしまっていなのかなぁと。

今まで見えていた景色は自然が多かった。

もちろん千葉にも畑はあったし緑も程よくあったけれどでも家ばかりで密接して建っているから息苦しい。見上げる空、視界が狭い。

そんな私を癒してくれる存在が我が家にやってきた。ようやく私の念願だったワンコが来た。

初めて犬を飼ってもらえたのだ。

北九州で可愛がっていたお隣のワンコと同じ犬種、シェルティを飼うことが叶って本当に嬉しかった。兄弟と離れて暮らす事になって1人になった私を気遣ったのか、両親がようやく飼うことを許してくれた。

ワンコを抱きしめ、話しかけ、私にとってもう1人の兄弟の様な存在となった。

当時秋田には偏差値というものがなく千葉に来て初めてその偏差値というものを知り…今考えると受験生としては苦労したけれど無事千葉県内の公立高校へ進学する事が出来ました。

そして高校入学。

私の高校時代の記憶はほぼ100%部活の記憶しかないと言っていい程濃い部活生活一色でした。

あぁ、でも担任の先生の記憶は強く残っている。今で言うならマツコのような、美川憲一さんの様な、イッコウさんの様な。そんな楽しいキャラの男性教師が担任で私たち全員その先生が大好きだった。何故なら本音で接してくれるから。

楽しいクラスだったと思う。

部活も仲間にも恵まれ一年中ほぼ休みなく一緒に過ごし楽しみも苦しみも一緒に味わった仲間。

卒業後もよく集まり出かけ、お互いの結婚もみんなで祝い、悲しみも一緒にシェアしてきた。

それぞれが家庭を持ってからは前みたいには簡単にみんなが集まることは出来ないけれど何かあれば誰かが声をかけたりと、今でも関係は変わらない。

高校で私が得たものは大きかったなと思うし一生の友達に出会えて事には感謝。

でも、何故かそれ以外の高校の記憶はほぼ無い。

男子も女子もおとなしい子が多かったなぁという印象。何気に校則が厳しくてばかじゃないかと思うようなアホらしい校則に反発もしたけれど先生たちの方がまだこの時代強かった。少しでも違反すると竹刀持った体育教師に叩かれる。

私がいた北九州は中学校の卒業式には警察が来る程いつも荒れていたので、千葉の子供達の、特に男子達のおとなしさ、良く言えば純粋さは頼りなくもあり物足りなかった。自分の意思というものはどこへいったー?と思う場面が多かった。だから殆ど記憶に残っていないのはその辺に理由があるのかな?と思う。

部活をしてなかったら恐らくほぼ記憶は残らなかった高校生活。

でもかけがえの無い一生の友人達に出会えた事は本当に心から感謝。

正直常に千葉から離れたいと心のどこかで思ってた。誰がどうという訳ではなく、私には何故か合わないと感覚的にずっと思っていたから。

だけど友人達のおかげで何とか千葉にいられた中学、高校時代だったなと思う。

私は10代前半迄に過ごした北九州、秋田がベースになっているんだと強く感じる理由はきっと関東で暮らして違いを感じたからこそなんだと…

こんな経験を通じて私は息子が育つ環境を意識するようになり、そして色んな壁にぶつかる事になるのですがまたそれは別途…

高校を卒業し短大に進学し、短いながらも充実した学生生活を過ごしました。

夏休みの間イギリスで短期留学をしたいが為に学費を稼ぐべくバイトをし、卒業旅行の為にとバイトをし、とにかく自分のやりたい事を自分で稼いだお金でやれる事が楽しかった。

友人たちと寝台列車に乗って上野から北海道へ。限られた予算。ユースホステルに泊まりながら北海道を周ったり。

卒業旅行に選んだのはニュージーランド。

今の様にネットも携帯も無い時代。飛行機のチケットだけ予約して宿は現地に行ってから。英語もロクに話せない女子4人組でまぁよく無事に行って帰って来れたもんだなと思う。

治安の良い時代だったんだなと思う。

9.11が起こるまで、飛行機に乗るのもそこまでセキュリティーは厳重では無かった。だから今は窮屈で仕方ない。しょうがないことなのはわかっているけれど人間自らの手で生きづらくしていってるなと思う。何だろ。

みんな不安なんだろうなと思う。でもその不安の原因を作ってきたのも人間なんだけれど…

当時はまだゆるゆるな国際線。

私たちは安いチケットという事でマレーシア航空。成田発マレーシア、オーストラリアブリスベン経由で行ったのだけれど初めてマレーシアに降りた時のあの蒸し暑さは今でも覚えている。

今暮らしている国とほぼ同じ様な気候だけれど当時イギリスしか行った事の無かった私には衝撃的な蒸し暑さだった。苦笑。この時正直東南アジアは無いなと思ったけれど。今は逆。笑。先進国、ヨーロッパ、アメリカは無いなと思っているのだから不思議です。東南アジア以外住めないとすら思ってしまう。歳なんでしょうか…苦笑

結局なんだかんだ就職するまでの6年間。千葉で過ごした私は都内にオフィスがある会社に就職。

1993年。新しい環境がまた始まるのです。

続く…

mai










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