Melbourne Airport

そのニュースを聞いたのは田町のフィットネスジムで大雪のバレンタインデーの夜だった。
「ちょっとニュースがあるんだけど」
その彼の表情からはちょっとどころじゃないワクワクのニュースであることがすぐに見て取れた。
「メルボルンで試合決まったんだよ、WBOの地域タイトル」
その場にいた会社員の私とタレントの卵の女性2人の頭にはハテナマークがいくつも並んだ。
「メルボルン…どこだっけ…」
スマフォでググる。
その場所はオーストラリア大陸の右下あたりを指していた。

大雪の中フィットネスジムにはわざわざ他に誰も来ない。フワフワ浮かれながらととりあえずボクシングレッスンを簡単に終わらせて、3人は渋谷の韓国レストランに向かった。
このことは何年経っても不思議でしかたないのだが、なぜ3人がそもそもいたフィットネスジムのある田町で食事をしなかったのか。

雪でツルツル滑る道玄坂をなぜ登る必要があったのか。いまだに謎なのだが、
「メルボルンで試合が決まった」
ことのウキウキは渋谷に行くために山手線に乗ることも、大雪の道玄坂を登ることも無思考に行動させるほど興奮する知らせだった。

「応援…行くよ。行けたら。」

女2人は彼に言った。
そう行けたらね。
だってオーストラリアだもん、メルボルンだもん。

彼もきっとその場で何かを期待する気持ちではなかったはずだった。

すぐ後にSNSで彼がメルボルンで試合をすることを告知した。
彼の友人やイケイケな感じの応援者の男性が
『おっ!応援いくぜ!』なんて返事がいくつか連なる。

すごいなあ、いけるかな、いけないかな、などとひっそり思いながら私はオーストラリア行きの計画を練っていた。

わたしには夢があった。

ラスベガスでボクシングの試合を観る。

そのころ内山高志が連勝を続け、そろそろラスベガスで試合をするんじゃないかと言われていた。
私も内山さんがアメリカでやったら行くよ、なんて適当にフワフワと思っていた。
内山の試合を見に行ってた訳でもないのに。
でもその頃はいつかその日が来るんじゃないかとみんな思っていた。

しかし自分が応援している選手が外国で試合をするとの話が。

自分が応援する選手が外国で試合をするなんてそうそうチャンスある?
てかこのチャンスは掴むしかなくない?

知らせから試合まで2ヶ月弱、一通り考えた私はチャンスを掴みに行くことにした。

試合がある月の1日には消費税率アップ
加えて働く会社の会社名が変わる大きな出来事が重なっていた。

自分がやる仕事でオーストラリアに行って問題はあるか?
いやない。3/31までにおわらせれば問題は起きない。
上司に言った。
『いろんなことがあるけど今回だけはやめてくれ』
「私のこれまでの準備力見たことあると思いますけど失敗してます?してませんよね。大丈夫です。行きます」

上司の説得は成功した。
だが、日程は短く2泊5日のいわゆる弾丸ツアーとなった。

つぎに本人だ。

『あ、メルボルンいくね』
「ほんとに!!!???遠いよ!!??」

そうだよね、普通そうだ。
まさか来るなんて思わないだろう。

いや行くんです。
だって飛び出したいんです。
これをきっかけに人生をさらに変えたいんです。

私はその10年ほど前になってしまったパニック障害がきっかけで飛行機に乗れない時期が続いていた。バスなんかも長時間は乗れない。なので社員旅行なんかもパスせざるおえなかった。

それが新幹線に乗れるようになったのがこの2年前。これもきっかけはボクシングだった。

わたしはボクシングをきっかけに自分の行動範囲を取り戻しつつあった。次は飛行機だ。一気に外国だけど…

そんないろんな思いを乗せて、2014年4月1日にセルリアンタワーの地下からリムジンバスに乗ってわたしは旅に出た。


メルボルン空港のことはなんとなく覚えている。どの地とも同じ、都心まで行く2,3千円ぐらいのバスにのる。

着いた日は計量日だった。
せっかくの初海外試合、チャンスがあれば計量は当然見たい。

彼に連絡をする。
たしか今計量で試合をするホールにいる、というような連絡がきた。

そう、そのあとだ、携帯の充電が切れた。

久しぶりの海外旅行、完全に勝手がわからなくなっていたがWi-Fiは借りたし、中に充電池は入っていたが容量が少ないものだった。(これをきっかけに充電恐怖症になり国内でも大きい充電池を持ち歩くようになる)

だれも知り合いがいない、彼らはチームで行動してる。合流したい、でも充電がない。

わたしはこの時点で諦めた。

なぜなら、メルボルンで遊びたかった!!!
ホテルにさえ帰れれば大丈夫。
メルボルンの街を歩けるだけ歩き回った。


メルボルンは世界で住みたい街No.1に選ばれているが、文字通り欠点が見つからない街だった。
人種も白人、黒人、アジア人、そしてオーストラリアの人がいた。

わたしはアメリカ文化が好きで、大統領選の候補者のスピーチの後ろに星条旗が並んでるのを見るだけで熱狂するちょっとしたおバカさんだ。だからアメリカに住んでみたいけど、自分のお母さんになってどっちがいい?ママと自分に聞かれたら『メルボルンにしなさい』というだろう。実際アメリカより銃犯罪は少ない。

街を歩き回り、チャイナタウンで食事し、ホテルに帰りやっと充電ができるようになり(そのころはあまりレンタル充電器はなかったね!)彼に連絡すると『みんなで食事してるー』とのこと。

そしてわたしは勢いよく見に行くことにしたはいいが、実はチケットは買うことができず、スタッフの一人として入れてもらうことになっていたのだ。試合に夢中になって失敗したのだが、とあるテレビ局に託されたビデオカメラで試合を撮るミッションを託された。

なんという…幸運。

幸運をかめしめたか噛みしめなかったかは覚えてないが、街に人が少なくなるまで歩き回り、旧メルボルン監獄の目の前のホテルで眠った。

翌日の試合は夕方からだ。
それまでは適当にショッピングをしたりして楽しむ。
あまり時間がないので遠くなり過ぎず…
でもメルボルンの街を楽しんだ。4月だったからメルボルンは秋で着るものも東京と変わらず気楽に楽しむことができた。

試合に向けて、初めてトラム(路面電車)にのる。
ひさびさの海外旅行、iPadを持ち、Google Mapでトラムが線路上を走り会場に近づくのを見ながらドキドキして乗る。

メルボルンのトラムは日本のバスのようなボタンではなく、紐のようなものを引っ張って降りる場所を知らせる。
必要以上に早く会場につき、だれも集まっていない会場周りをうろつく。

中継が入る予定だったので、テレビクルーの車は止まってる。しかし会場の扉は閉ざされ観客は一切いなかった。

仕方なしに周りを見るとマクドナルドを見つけた。

オーストラリアのマックにはなんとマカロンが置いてあり、コーヒーを飲みながらマカロンを齧り、人々が集まる時間まで時間を潰した。

メルボルンのマクドナルドでひとり、ワクワクを完全に超えて少し飽きた気持ちになりながらコーヒーをすすっていると
『ホテル出たから!』との連絡が。

そのあと他の世界戦にアメリカにも行って知ることなのだが、
世界戦を行う団体のスタッフと、両選手たちとスタッフは基本的に同じホテルに泊まっている。
つまりまあまあのサイズのよさげな(試合規模によるが)ホテルに泊まってるし、決して会場から近いとは言えないリゾートホテルに泊まっていたりするものだということ。

ホテルに出たと聞いてから30分ぐらいだってからだろうか、マイクロバスのようなバスが何台が着き、WBOのスタッフたちと今回の世界戦の選手とスタッフがワラワラと降りてくる中に彼はいた。

『氷がないんだよー』と会長は言っていた。
「なんかここ食事するみたいだからもらえるんじゃないすか?」とわたし。

そうここは試合会場でありながらレストランでもあるのだ。

オーストラリアは、ボクシングの試合を観ながら食事をする。
リングの周りに丸テーブルがあり、給仕をするスタッフが走り回っているのがオーストラリアスタイルなのだ。

控室は赤コーナーのメンバーが一緒だ。
先の試合の選手が勝ったり負けたりして帰ってくる。

リングアナが紹介のときに異名をつけたいと聞いてくる。
短い時間の間に『サムライ・ダイナマイト』に決まる。
結局そのあと日本でサムライ・ダイナマイトを一度も聞かなかったので定着しなかったということだ。
でもオーストラリア人には日本人なことが通じやすかったかもしれない。

わたしは当たり前だが試合前の控室に入ったことはない。正確には一度だけあるのだが、入ったことがないと知ったある選手が『今度顔出してくださいよ』と声かけてくれたので、一度だけ、しかも『こんにちわ頑張ってさようなら』ぐらいのものの10秒で帰ってきた。
試合に関わらない自分の態度としてはあたりまえなんだが、これから戦いに挑む戦士たちの邪魔をしたくない。

それが今回はいきなり試合前の控室で待つことになってしまった、試合する本人しか知り合いじゃないのに。

でも、今考えると試合前なんてメンツが普段からのスタッフだけだったとしてもそんなに話すことなんてないんだろうな。

わたしは緊張のあまり何度もお手洗いに行ってしまい『緊張してんのか〜』などと試合する本人に言わせてしまった。いやお前もだろ、と今言い返しておく。

グローブはレイジェスだった。
世界戦のグローブチェックをテレビなんかで見ると、しずしずとグローブが選手と会長に渡され、このグローブ でいいか、変なもの入ってないかなどとチェックする。

しかしここではビニールの売ってる時のままの状態でグローブがカジュアルに運ばれてきた!ちょまれよ!イメージ!頼む!地域!タイトルだけど世界戦!

そんなことは本人たちは多分1ミリも気にせずグローブチェックが進む。

わたしは小さな一眼レフを持っていって撮らせてもらっていた。
トレーナーにバンテージを巻いてもらってる姿が綺麗だった。
トレーナーにワセリンを塗ってもらってる姿が綺麗だった。
こんなふうに戦士が出来上がっていくんだと夢中でシャッターを切った。

試合の直前になると戦士は野獣になって行った。
もう本当にわたしは見せてもらってはいけないものを見ている気持ちだったがシャッターを切った。

リングの周りには背中に羽をつけた胸の大きいラウンドガールの女の子たちがフワフワと舞っていた。

時間がくるとそのラウンドガールを先頭に、彼、会長、トレーナー、セコンドに入ったとある選手、他のスタッフ、そしてわたしが食事をしている円卓を間をぬって入場した。そして初めてほんもののブーイングを聞いた、そう相手はオーストラリア人だったのだ。

わたしはコーナーを離れ、撮りやすい位置に移動した。
その辺りには10人ほどの日本人の集団がいた。
彼はそのころ27歳ぐらいで、ちょうど同級生や仲間がワーキングホリデーに行っている時期だったらしく、現地に住む仲間が試合のために集まっていたのだ。
だが席はもう取れないので特別にはじの方に居場所を作ってくれていた。(交渉したのは英語が得意な会長なんだけど)
そんな彼らと一緒に見るような形になった。

試合は10R TKO負けで終わった。
両選手共カットが激しい試合で、最後はスローモーションのように彼が倒れ、タオルが投げ込まれて終わった。

試合後のドクターチェック後、別室で医師に呼ばれて二人は目や頬を縫われていた。
会長は「縫うのがうまい!」なんて言ってた。

試合団体の計らいで、日本人の応援者と選手スタッフは一つのバンに乗せてもらい、途中下車させてもらった。
私は彼らのホテルのずっと手前でバスを降りた。痛みと意気消沈の彼のことは気になったが、そのままついていくわけにもいかない。

またねとバスを降りた。

翌朝はもう日本に帰らなくてはいけない。
朝ごはんを食べた後思った。
負けた選手のことは基本的に落ち着くまでほっておくのが基本。

でもな、私は東京から来たんだ!顔見てもええやろ!
と連絡したところ、しばらくしたらホテルを追い出されるとのこと。

聞くところによると、これもアウェイだからなのか用意された飛行機のチケットはシンガポール経由でものすごく遠回りだったり当日も午前中にチェックアウト後飛行機が飛ぶのは遅い時間だったりなかなかの扱われようだった。

仕方なしに彼らはヤラ川近くのカフェで時間を潰していた。
セコンドに入った選手は朝一で帰ってしまい、会長ももういなかった。

目の上の腫れがひどく、サングラスで顔を隠してじっとしていた。

普段負けた選手に次の日の会うことはまずないんだけど。。。
申し訳ないと思いつつトレーナーや、メルボルンの知り合いに会うついでに来たという彼の友人とテーブルを囲んだ。

私の飛行機は結構はやかった。
こんな時だから話すこともあまりなく、チョコチップクッキーをじわじわかじりながら時間は過ぎた。
「横になりたい」という彼の希望でこれからまだメルボルンにいる彼の友人のホテルに移動することになった。その途中で私は時間切れになった。

メルボルンに来てから一緒に写真を撮っていなかった。
別れる時セブンイレブンの前で、腫れ上がった目を帽子で隠し
記念写真を撮った。

ーーーー
日本に戻った数日後、大田区体育館で彼の同僚の試合があり、知り合いだった私のその会場に見に行っていた。

そこにサングラスで晴れを隠した彼が「あーどーも〜」と照れを隠すように現れた。

帝拳ジムのマネージャーの長野さんが会場の前方にいらっしゃり、彼は挨拶に向かった。見ていると長野さんは目の上を指して「切ってしまったのね」というようなジェスチャーをされていた。

この日見に行った試合はタイトルマッチだったのだけど負けてしまった。

そしてまたそれぞれの日々が始まる。

このストーリーのアイテム https://suzuri.jp/flyto

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