酒呑みの理屈

(アルコールについて肯定的な文です。そういった文を嫌悪される方はご注意ください)

「美味しんぼ」に、店を困らせるくらいの大食漢ってのが出てきたことがあります。

あの漫画のありがちな流れで、食べもののありがたみを山岡さんと栗田さんとが伝え、その人も改心して感謝の気持ちで適切な量をゆっくり食べるようになるという、仏教説話か聖書にある奇跡のようなありがたいお話。

そんな話の中、この大食いの人の理屈で、「ちょっとしか食べられないヤツは、腹に何か隠し事があるからや!(確かそんなことを言ってた‥‥曖昧)」というのがあり、ストーリーの全体よりもこの一言にヘンに納得したことがあります。

乱暴だけどわからなくはない。確かご飯をもりもり食べる人は、人としても気持ちのいい、裏表のない人が多い気がします。

ただ、食べない人が全て隠し事のある人ではない。「食べる人」は「裏表のない人」の十分条件だけど必要条件ではない、ってイメージです。


話変わって自分の周りは男女問わず酒好きが多いのです。みんなキレイな飲み方をする人ばかりです。だから、「友だちだから酒を一緒に飲む」だけじゃなくて、「一緒に酒を飲んだら友だちになる」ことも少なからず。

その一方で、最近ふと思ったのは「酒飲みは酒飲みしか信用しないんじゃ?」ってことです。

もちろん体質や年齢的に飲めない人がいるのは当然で、そういった人にアルコールを強要することはウチの周りは絶対にない。でも、そういう人とは若干の距離を持ってしまうかも知れない。腹を割って話せない気がして。一緒にいて楽しくないわけはないけど、どこか違う輪に「飲む人」と「飲まない人」が分けられているように思うのです。

それはもしかしたら、酒飲みの防衛本能なのかも知れない。飲んで足もとが頼りなくなりながらも、「飲まない人」の世界に近づいてダークサイドにおとさせてはいけない、というような。その責任を負うくらいなら酒を飲んじゃいないな。

そんなことを考えながら今日も飲んで帰っちゃったので、オチもつけないで寝てしまいます。

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