まなざしの誕生

この妄想という他の動物にはない独自の知性。それを人類は進化の過程でなぜ獲得したのだろうか。その理由については、この一〇〇年のほどのあいだにも膨大な数の学説が出されているが、本当のところはまだよく分かっていない。脳の発達と関係していることは明らかであるが、その脳がなぜ発達したのかにも諸説ある。

 人類学で主流な説としては、樹上生活をしていた猿が地上へと降り立ち、直立二足歩行を始めたことが端緒になっているというものである。二足歩行の結果として両手が使えたこと、咽頭を降下させ音声言語の発達へと結びついたこと、そして直立姿勢になることで脳の重量を支えられるようになったこと。そういった因果関係が唱えられている。それは約二〇〇万年の人類の歴史の中ではそう古いことではないようだ。

 「サピエンス全史」を書いたイスラエルの歴史学者であるユヴァル・ノア・ハラリは、約七万年前から三万年前の人類の頭の中で「認知革命」と呼ばれる何かが起こったと述べている 。おそらくその頃、人類は周囲の環境に“まなざしを向けている自分の存在”に初めて気づいたのだ。とどまることなく常に変化していく不安定な自然の真只中で、それを見ている自分のまなざしを発見したことだろう。意識に飛び込んでくる周りの風景に対して次々と湧いてくる想像力をコントロールできずにいたのではないか。

 そして同時に自分がまなざしを向けられている存在であるという意識も生まれたはずだ。それはエデンの園で自分が裸であることに気づいたアダムとイブのようだったのかもしれない。むき出しのまま自然に投げ出された自分の存在が理解できず、なす術もなく恐れおののいていたにちがいない。妄想はそんな自意識の芽生えとともに生まれたのだ。

 自分の存在に気づいてしまうと、それを脅かすものに対する恐怖も生まれる。そして自分の存在を存続させたいという渇望も育つ。そして何より死への恐怖が強まってくるのである。そうした渇望と恐怖が、今度は神や悪霊といった見えない存在への想像を生み出す。そんな見えない超自然的な存在の現し身として、自分にまなざしを向ける動物たちが信仰の対象になってきたのではないだろうか。

 そうして向けられる他者のまなざしは自分の存在を証明するものにもなる。まなざしを交わし合いながら、互いのアイデンティティを確認することには重要な意味がある。自分では身体の一部を見ることしかできない。あるいは自分の影や反射した像に自分の存在を感じることはできるだろう。しかし自分そのものに対して外からまなざしを向けることは出来ない。だから常に外部のまなざしから、自分の存在を確認し続けるほかないのである。人間が協力しあう理由には、自分に向けられるまなざしを通してアイデンティティを確認する欲求が強く働いている。自分への意識の芽生えは、人類を協力へと導いた要因の一つであると考えられる。

 自分の存在はこのように外部から保証される不安定なものである。一方で自分の内部で連続する記憶も自分の存在を証明するものになる。なぜ人類が洞窟の奥深くに入っていき、その岩壁に何かを刻んだのか。その場には存在せず、自分の心の中にしかない風景を描くのは、記憶や心を確認する行為だったのかもしれない。そしてそれを刻むことは同時に、刻んだ自分の存在を再び確認するためでもあるのだ。芸術表現とは、そうした自分の心の中とアイデンティティを確かめる行為として誕生したと考えられる。

 そんな様々な方法を通して、繰り返し何度も自分を確認することで、人類は自分を確かな存在として想像できるようになっていったのではないか。その結果、外部に確認するものがなかったとしても、自分の存在に対するまなざしは揺るぎないものになる。自分のまなざしを発見することとは、単に周囲を見ることではなく、“見ている自分”を発見することである。そのまなざしの発見が全ての妄想の源泉となっているのである。

 そして人類の驚嘆すべきことは妄想を生み出したことだけではない。さらにその妄想を互いに共有する方法を発達させたことである。それが音声言語という意思疎通の方法である。これが人類を他の動物とは決定的に違う存在へと進化させた。

 ゴリラやイルカなども、鳴き声などを通したシンボリック・コミュニケーションを行うことができる。しかし人間に備わった意思疎通の能力は、その場所に指し示されるものがないような抽象的なものや、この世に存在しない架空の事物や概念も表現し、それを共有することが出来るのである。この能力は妄想を一人の頭の中にとどめず、別の個体の頭にも移し、それを広げていくことを可能にした。複数の頭の中で増幅された妄想は、さらに別の妄想を生み出し、次々と妄想を前に進める要因となったのだ。

 人類が身体ではなく頭の中の妄想を育て、それを共有するという方法をとったことは、自然界の中で人間という種をさらに特殊な進化の形態へと進ませた。それは形質や遺伝子を変化させる生物的な「進化」ではない。自らの意思で自らの状況を改善・改良していく社会的な「進歩」という言葉の方が当てはまるのかもしれない。

 しかし進化・進歩のいずれと呼ぶにしても人間の場合、そうした変化は個体ごとに起こるわけではない。

互いに協力しながら妄想を積極的に共有し、交換しながら膨らませていくのだ。そして妄想は見えないからこそ、共にまなざしを向けることで確かなものになっていく。妄想は厳しい自然の中で人間が協力しあうための媒体としての役割を果たしていたのである。

この記事が気に入ったら、サポートをしてみませんか?気軽にクリエイターを支援できます。

大学准教授として研究するかたわら、デザインや美術などの芸術表現、映画や舞台などでのパフォーマンス表現も行う。