幸せ者な私①~高校生活の宝~
常に痛みを抱える高校生活。
一緒に入学したともだちを見送る形になった高校生活。
でも私はとても幸せでした。
中高一貫校に高校から入学
中高一貫とはいえ高校から編入試験を受けたのは私に限ったことではありませんでした。
20人強居たのではないでしょうか。
女子校なんてドロドロしているんじゃないかと思い悩んだけれど、現実は全く逆でした。
気の合わない人とは付き合わない。
その代わりグチグチ文句を影で言わない。
でもみんな誰であれ挨拶されれば返すし、話題が合えば盛り上がる。
そんなサバサバしたいい関係でした。
もちろん私にも「親友」と呼べる人たちができました。
それは、高校2年生を2回やった2度目の学年の子達も同じでした。
私には生涯の宝となる人たちがまずこの4年間という高校生活でできました。
留年が当たり前の環境
私の高校では高校2年生で海外に留学する子が多くいました。
私はC医師のいる温泉病院でリハビリをするための留年でしたが、実は私の休学届けには、
「語学留学のため」
と書かれていたくらいです(笑)。
方言の語学留学でしょうか(笑)。
でもですから理由と行き先に関わらず、2年生の中には1年留年している人がいることが普通の高校でした。
もし私が地元の公立高校に入学していたら...
中学時代に「先輩」と呼ばれた子達とクラスメートになっていたら、私は縮こまって生活したことでしょう。
ともだち、先生方の暖かい声かけ
休学が明けて、いよいよ復学するという時にやはり緊張しました。
しかしその心配はすぐに解消されました。
私の高校は山の中腹に建っていたので構内は坂や階段だらけでしたが、私が杖をつきながら1人で歩いていると必ずと言っていいくらいいろんな先生方が私に声をかけてくれました。
それは担任や教科でお世話になっている先生だけでなく、普段関わりのない先生まで。
本当に私も両親もとても感謝していました。
時を越えてもまだ...
私の高校の先生方のなかには今でも入院したらお見舞いに来てくれたり、私の入所している施設まで何時間もかけて顔を見に来てくれるともだちや先生方がいます。
また、入院中に食べ物が喉を通らなかった時に、私にとっては特別な料理を作ってくれるともだちもいます。
そして私のために祈りを捧げてくださいます。
本当に感謝の一言です。
高校時代をふりかえって
ともすると、私は負のパワーに引きずり出されそうだった休学、入院、手術の中からたくさんの
「助けの手」
を伸ばしてくれた親友、先生方のおかげで、私は本当に楽しく、有意義な高校生活を送ることができました。
この高校生活がなかったら私は言語聴覚士を目指しませんでした。
一歩進んで、二歩さがる事は決して悲しいことでも、後退でもないんだ。
さがったってまた進めばいい。
自分の足で、友やかけがえのない人と手と手を取り合いながら。
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