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鉄がつくられる場所に立ってみて

独立する前に勤めていた会社の社長は、1年に300回以上の講演・研修を行っていた。1日のなかで2~3時間の講演をハシゴして3回行う日もあったし、2日間の研修を、別々の企業で週に3回実施することもあったスーパーマンのような人だ。

秘書だった私は、そのすべての依頼の窓口であり、スケジュールを見ながら日程を調整するのが大事な仕事の1つだった。さらに、そんな講演・研修に同行することも多かった。担当役員や人事の方々とご挨拶をし、当日の資料配布やグループセッションのサポートをする。

何十もの企業の研修に同行させてもらったが、その中でもっとも印象深く覚えているのが、新日本製鉄さんでの研修のときのことだ。かなり以前から、毎年管理職向けの研修を請け負っていた。大きな企業さんなので、都内にある専門の研修施設でのことが多かったが、各地の工場に伺ったこともある。

あるとき、千葉県の君津工場で所員さん向けの講演会が行われ、講演会の前の時間を利用して、ご厚意で工場見学をさせていただいた。君津市にある新日鉄君津工場は、東京ドーム220個分!の広大な敷地面積を有している。その広さだけで、もう途方もない感じがする。その広大な敷地内を車で移動しながら、各工程を案内してくださった。服装はスーツだったが、安全用のヘルメットをかぶって、安全靴と言われる靴に履き替えた。

小学校の社会科見学などでパン工場を見学したり、前々職で自動車工場のラインを見学させていただいたことはあったが、製鉄所はそのどれとも違っていて、とにかく圧倒された。

一言でいうと、なにからなにまで、デカい。

担当の方が、どの機械で何をしているのかを説明してくださったのだが、その一つひとつの機械がデカすぎて、ただただほげーっと圧倒されてしまう。「すごーい!」くらいしか言葉が出てこない。

たとえていうなら雄大な山を前にして、畏怖を感じるときと似ているかもしれない。何かとてつもないことが目のまえで行われているような気になるのだ。

そのなかでも特に目を奪われたのが、「転炉」という工程だ。転炉とは、高炉で鉄鉱石がどろどろに溶かされてできた銑鉄(せんてつ)から、炭素や他の不純物を除去して鋼に「転化」する炉のことだ。その炉の容量が300トンだという。単純に考えたら、10tトラック30台分ということだ。

日常、見慣れているものの中で「大きいもの」となると、トラックや電車だ。その何倍も大きいその炉を目の前にすると、大きいの観念がゆらぐ。「すごーい、でかーい」としか言えなくなる。

さらにそこに流し込まれている溶けた銑鉄の色がまたすごい。色でいえば「オレンジ色」なんだけど、それは「オレンジ色」をはるかに超えている。当たり前だけど熱そうだし、どろんどろんしているし、ラスボスがそこから出てきそうな、何もかもを飲み込んでしまいそうな、おどろおどろしいオレンジ色なのだ。

それは溶岩やマグマを思い出させる。溶岩やマグマを直接見たことはないけれど、記憶のなかの映像と、目の前の溶けた灼熱の鉄がリンクする。それを見ながら、「地球の始まりはこんな感じだったのかな」と思わずにいられなくなる。

こちらの記事に、君津工場の「転炉」の写真が掲載されている。この工場は、NHKの山崎豊子原作ドラマ「大地の子」でロケ地にもなったのだそう。


この記事の写真だけでは、まわりに大きさの比較になるものがなくてわからないが、この樽のような形をした転炉の大きさは、普通に考えたらトラックくらいと思ってしまいそうだが、そんなもんじゃないくらい、尋常じゃなく大きいのだ。そしてそこに、オレンジの鉄のどろどろに溶けたものが流し込まれていく。その工程は、大げさだが、今ここで天地創造が行われているんじゃないかと思ってしまうほどの迫力だった。

これはいくら見ていても飽きない。でも、そのままずっと見ていたら自分がその場で溶けて無くなってしまうんじゃないかという気にさせられた。

新日鉄の担当者の方は、お会いするたびによく言っていた。
「我々はみんな、鉄が好きな男たちなんですよ。いわゆる鉄バカなんですよ」と。プロジェクトXの「地上の星」と、田口トモロヲのナレーションが聞こえてきそうである。

「鉄は国家なり」とはドイツ帝国、首相のビスマルクの言葉だ。戦争中は、各家庭の鍋まで国に差し出したという。軍事力も含め、国力を支えていたのが鉄、という時代があった。

戦争が終わって、高度経済成長期が過ぎて、バブルが終わって、失われた30年が過ぎて、私たちは今コロナ禍の渦中にいる。だが、どんな時代に生きていても、そして意識してようがいまいが、大部分の構造物やインフラを支えているのは鉄だ。

あの燃えたぎる鉄の鮮烈なイメージを思い出すと、小さな枠の中にいる自分の意識の範囲を、一気に飛び越えて、広げてもらえるような気がする。

さらに。
自分の中に情熱の炉があるとしたら、煤けた黒い塊ではなく、あのようなオレンジの光を放っていてほしいものだと思う。そのぐらい「力」を感じる、肚に喝が入るような、忘れられない光景だった。

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