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何十年も忘れられない言葉がある

なぜかわからないけれど、何十年も忘れられない言葉がある。

「たおやかな人になってください」

小学校1年生のとき、隣のクラスの担任だったタカベ先生の言葉だ。

タカベ先生は1年生が終わったときに転勤となり、朝礼の際に小学校全校生徒1200人の前でその言葉を残し、学校から去っていった。なぜそんなことを言ったのか前後の文脈は覚えていないけれど、その言葉は私の脳に彫刻刀で彫られたかのように残り続けた。

当時の担任の先生は、もはや顔も名前も男女の別さえもまったく覚えていないのに、隣のクラスの担任だっただけのタカベ先生(男)の眼鏡をかけたちょっとこわそうな顔と、名前と、この言葉はいまだに覚えている。ほとんど話したこともない先生なのに。とっても不思議だ。

おそらく「”たおやか”ってどういう意味だろう?」と、小1の少女の心にひっかかったのだろう。

でも、そのときは辞書で調べるとか、誰かに聞くとか、そういうことはまったくしていない。ただただ時間がたっても、その言葉が記憶に残り続けたというだけ。

それから数十年の間に、ときどき「ぽこっ」と、そのときの朝礼のシーンや言葉が浮かんでくる。何年かごとに思い出すように、アラームがセットされているのか?というくらいに。

「たおやか」という言葉を今手元にある『美しい日本語の辞典』(小学館)で引くと、こんな意味が出てくる。

姿や形などがしなやかなさま。ものごし、態度などがものやわらかなさま。気だてや性質が、しっとりとやさしいさま。しとやかで美しいさま。

もともとは枝がたわむ様子からきているそうだ。
外見はおそらく今からどうにかできそうにないので、せめて内面を近づけたい。

しなやか、やわらか、しっとり、やさしい、しとやか・・・・・・・・・
(むむむ・・・)

それにしても、わずか7歳のときに、ほんの少し接しただけの先生の言葉がこうして時間を経ても自分に語りかけてくれるとは、人生というものはなかなか味な演出をしてくれるではないか。もはやおまじないとか、なんなら呪いに近いんじゃないかとも思えてくる。いや、願いか。

「タカベ先生、私は たおやかな人 に近づいているでしょうか?」

そんな風に問いかけることは、これまでもそうだったし、これからも、私の人生にしなやかな指針を与えてくれそうだ。

今となっては、テレビ局の企画とかでなければ(そしてそんなことはなさそうだから)先生に会うことはきっと叶わない。もうご存命でないかもしれない。

でも、どこか同じ空の下にいらしたら、こんな私のような児童が、少なくとも1200人のうち1人はいたということが、届くといいなと思う。念じればその波動は届くかも?

うちは子どもがふたりとも男の子だから、ぜひとも自分がたおやかなおばあちゃんとなって、孫娘ちゃん(たち)に、この言葉を伝えたいものである。おばあちゃんからのおまじないとして。

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