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謎の太鼓

今の家に越してきて、2年半程になる。
越してきてすぐの頃から、不思議に思っていたことがあった。

夕方になると「ドゥンドゥク、ドゥンドゥン」と太鼓の音が聞こえてくるのだ。すぐそばからというわけじゃなく、空気を伝わって、少し離れたところから聞こえてくる感じだ。

そういや昔、村上春樹の『遠い太鼓』という分厚いエッセイ本を、よく読んでいたっけ。同じギリシアの地を歩きたいと、トーマス・マックナイトのミコノスの大きな額入りのアートポスターを、家にずっと飾っていたなあ、なんてことを思い出す。

それはおいといて。

冷静に考えて、普通の住宅街で、普通のおうちの人が太鼓を叩くっていうシチュエーションはあまり想像がつかない。うるさいもの。

何の太鼓だろう?
自分の知識や記憶のデータベースをカリカリと検索しながら想像し、落ち着いた答えは、近くの小学校か中学校の体育館で、太鼓部が部活をしているのではないか、ということだ。

太鼓の音が聞こえてくる時間は、いつもだいたい16時20分ぐらいのことが多い。必ずその時間に在宅しているわけじゃないから、毎日かどうかはわからないが、聞こえてくるときはだいたいその時間だ。

そして、このあたりでは毎年夏に結構大きな「よさこい祭り」が行われるので、太鼓とか鳴子踊りとか、そういうのを体育館で練習しているのかもしれない、と考えたのだ。私が通っていた中学校でも、たしか太鼓クラブみたいなのがあって、そういう練習をしているのを見たことがあった。

とはいえ、最寄りの小学校や中学校は、歩いて5分くらいはかかる。
そんなに離れていて、聞こえてくるものだろうか? 太鼓の音はそんなに響くのかな? いや、だとしたら、すぐ近くの家に住んでいる人はすごくうるさくて我慢できないんじゃないか? と、あれこれ不思議に思っていた。


さらに。
私は鼓童という 太鼓芸能集団が好きで、佐渡で行われるアース・セレブレーションや鼓童のコンサートには毎年行くくらい一時期ハマっていたのだけれど(推しメンさんが辞めてしまってから行かなくなったけど)、

聞こえてくる太鼓の音は、そういう太鼓演奏とはなんか違っていた。「ドゥンドゥク、ドゥンドゥン、ドゥンドゥク、ドゥンドゥン」とずーっと一定のリズムなのだ。演奏曲のように曲ごとに変わっていったりしない。

まあ、気にはなりながらも、生活にはなんら差し障りはないので、いつの間にか2年半が過ぎていた。


そして、つい先日のこと。
午後にざーっと強い雨が降った後、青い空が見えてきたので、夕方散歩に出かけた。

雨上がりには、道路にじつに不思議なものが落ちている。
片っぽだけのスニーカー。キャップ。軍手。Tシャツなのかなんなのかわからないけど、黒い布がぐしゃっと濡れて道端にある。そういう、人が身につけるものが、なぜかいろいろ落ちている。

だれかが神隠しにあったのか?
それとも、どこかに捨てられていたものが風に飛ばされてきたのか?

などと考えながら歩いていたら、「ドゥンドゥク、ドゥンドゥン」と、あの、太鼓の音が聞こえてきた。

「!!!」

しかも、家の中で聞こえてくるよりも、音が近い。

ちょっと緊張した。
この近さだと、学校ではない。
どこかの家の庭で叩いているのか?

音のする方に歩いていくと、音の出所は、家のすぐ近くにある、少し高台に上ったところのお寺だった。

「あ、なるほど!」

太子堂という、聖徳太子の像を祀った仏堂の中に、住職さんが入って、太鼓を叩きながらお経をあげていたのだった。祈祷太鼓というらしい。

これじゃ、『遠い太鼓』じゃなくて、「近い太鼓」だな。

その太鼓の音を私は、2年半の間、中学生の太鼓の練習だと思って聞いていたのだった。

謎がとけてすっきりした半面、それまで私の頭の中で想像していた、中学校の体育館で太鼓を叩いていた彼らが、消えてしまうような気がしてちょっと寂しくなった。私の想像の世界では、彼らは彼らなりに、一定のリズムで、2年半、太鼓を叩き続けてきたのだ。

それはそれで、私の妄想記憶の太鼓部として、残しておくことにしよう。また夕方、太鼓が聞こえてきたら、その映像を再生すればいい。

そしてきっと、どこかのパラレルの世界で、彼らは汗をかきながら、今日も太鼓を叩いているはずだ。コロナのない世界で。

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