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Vol.2 こうして私は統合失調症になった。

お早うございます。アザラシ(メス)です。

前回は発症した14年前の事を綴りました。明らかに仕事上によるストレスが原因でした。今はそう断言できます。しかし、仕事をバリバリこなしていくとアドレナリンが抽出されて、時間を忘れて没頭してしまう様な性格だったので、会社を辞めて編集の仕事と別れを告げる事は毛頭、考えていませんでした。そして、この先、14年もの闘病生活が始まるとは、思ってもみませんでした。


後悔 其の一 お医者さんの処方を無視して断薬した。

初めての入院から退院して、3週間に一度お医者さんにかかるはずが、わずか2回足を運んだだけで行くのを辞めてしまいました。リカバリーも早く、よくある不眠に陥ることもなく、元気いっぱいだったからです。父に相談しても、通わなくていい、と言われて安心しきっていました。仕事の復帰も出来て、担当を締め切りのきつくない広告関係のインフォメーションコーナーをやらせて欲しいと名乗り出て、受け入れて貰いました。

しかし、病気は治ってなんかいませんでした。3年経った2010年の暮れ。ロサンジェルス出張中に不眠状態が続き、次第に衰弱。意思決定がままならない状態に陥って、会話もできなくなりました。警官、税関などに対して極度の強迫観念に囚われ、怯えるように、車椅子で帰国。空港のざわつく中で両親に迎えに来て貰い、実家へ。初めて休職をとりました。

後悔 其のニ お医者さんの前で薬を飲んでいるフリをした。

そんな痛い目にあったにも関わらず、私はまだ精神病者としての自覚がありませんでした。処方される薬は飲んでも効果が感じられなかったからです。今となっては信じられないことですが、薬が嫌で嫌でたまらなく、会社で紹介されたお医者さんの前では、薬を飲んだフリをしていました。それでも、平穏に診察は終わるので悪いクセが付いてしまいました。 会社にも復帰できましたが、インターネット事業部で、いわゆる出版社においては左遷。窓際族でした。

病気は明らかに進行していました。一年後の2011年の暮れ。週末に仕事とプライベートの両方の用事が重なって、体調を崩してしまいました。具体的には街の雑踏が気になって、ワーワーうるさく感じられて右往左往してしまうのです。具体的には、東京の千駄ヶ谷で、電車の乗り換えが一向にできなくなることや、街中から帰ってくるとオートロックの自宅のマンションで、どのドアかわからなくなり、入れなくなる、などです。この時も父が音信不通になった私を心配して警察を呼んでくれて、マンション前で助けてもらいました。

まとめ 頭の病気は手術で治らないし、自分の意識が重要。

この頃から私の病名は統合失調症になりました。外からの刺激に対して非常に弱く、路頭に迷いかねない、危なっかしい存在。元々の性格を辿ると、サーフィンしたり、アメリカ車を乗り回したり、勇ましいボーイッシュな性格でした。それが故に、自分の病気を受け入れることができなかったのでしょう。

次回はまだまだ続く、私の病歴を綴ります。




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