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人生のメリーゴーランド


アクセサリー作家のmaicoです。

今日はワイオの理論そのものではなく、わたし個人のこと。

ブログを書くときは、割とスムーズに言葉が出てくる方なんですが、

今日は、記事を書き終えるまで、何度も何度も考えこんでしまいました。

2月は自分の弱さを痛感し、自分を見たくない、そんな心理状態が続いていました。


いろんな苦しさの中で、みじめで弱い自分を情けなく感じながら、

でも、ちょっとずつ、少しずつ、自分と向き合い始めました。

スピリチュアルな世界を一通り見聞きしたわたしが、スピリチュアリストという肩書きは持たないと決意したことや、

MUSE JEWELRYを作り始めたとき、なにを思っていただろうということも振り返りました。

わたしは見えない領域を信じているけれど、見えない世界からの計らいを感じたって、

現実を歩いているのは、いつも見えているわたし自身のこの足。

いつだってこの足で、試行錯誤しながら歩いてきた。

いつも、今いるその場所からかすかに見える道を辿って一歩づつ。

不安があっても、誰かの言葉に影響されても。

最後には自分の心の奥にある思いに従ってきた。

本当に好きなことはなんだろう。

わたしの真の部分とはなんだろう。

いつも、自分を見失わないように、そうやって進んできたことを思い出しました。


ワイオ理論は様々な方々が、その人の言葉で伝えています。

同じ曲でも、奏でる人によって音色が変わるように、

やっぱり同じ言葉で同じ理論を語っても、人によって発するものは違ってくると思います。

でも、ワイオ理論として伝えていることの芯にある部分は自立。

それが小笠原先生がいつもおっしゃっておられたという、「決してこの理論をそのまま信じないでください」というその言葉にすべてが集約されているのだと感じます。

自分の人生を使って、自分で実験し、自分で結果を確認する。

だから、縄のように生きる。

試行錯誤しながら、右へ進んだり、左へ進んだり。

わたしはその生き方が大好きだった。

先月からずっと、わたしの頭の中に永遠と繰り返し流れている曲があります。

人生のメリーゴーランド

上志満先生は、ときどきなにかの音楽がふと流れてくるときがあって、それも信号、メッセージのひとつだと教えてくれたことがありました。

初めて先生とお会いしたとき、わたしと喋っているとアカシアの雨がやむときという曲が頭の中に流れてくる、と懐かしそうな目をして言っていました。

いまだにどういう意味だったのかわからないんだけど、その時、そういうメッセージの受け取り方もあるんだなーと目から鱗でした。


人生のメリーゴーランドはハウルの動く城のテーマソングだから昔からいい曲だなって思っていたけれど、

なぜ、今なんだろう?

みじめで卑屈になっている自分を受け止められない状態のとき、この曲が頭の中で流れていることに気づきました。

それから、ふっと考え事をするとき、ごはんを作っているとき。

こうしてブログを書いているときも。

メリーゴーランドって、遊園地やカーニバルでもひときわ華やかに目立っていて、だれもが乗りたくなるような、いわば楽しさの象徴。

そして、この曲はワルツ。

ワルツはテンポよく、淡々と男女で優雅に舞う。

きっと、恋人同士こんなふうに笑顔で軽やかに。

でも、この人生のメリーゴーランドの中には、楽しさだけじゃなくて、悲しみや苦しみのシーンがある。

そこにすごく反応するように感じました。

この動画では1分50秒あたりから転調して、一気に曲の空気が変わる瞬間がとても素敵。

この場面なんて、まるで社交の場で大勢の人たちがワルツを踊っているようにしか見えないんです。

涙が勝手に流れてくるのは、祖の時代、悲しみや苦しみを隠しながら、優雅に舞うふりをして生きるしかなかったから?

ワルツを踊るひとたちみんなが、本当はそれぞれの内面に様々な事情を抱えていて、

それでも社交の場では悩みを忘れて華やかに過ごす。

だれもが寂しい思いを隠して、だれよりも1番楽しそうに。

そこにわたしの思凝霊さんが反応しているんだろうか。

でも、もう、偽りの華やかな世界から抜け出さないと。

自分の足で、抜け出すんだ。


そう思って、この移行期の時代をあえて選んで生まれてきたのかもしれないです。



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