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mystery train

アメリカ カリフォルニア バークレーのランドリーでその日わたしとパートナーは洗濯中乾燥機をかけてる間2人で付近をぶらついた。

1989年から1990年にかけて約2ヶ月間 ロスアンゼルスからフロリダ、ニューメキシコそして1番の目的地ベイエリアへの旅は続いていた。
何故1番の目的地かと言うと お目当てのグレートフルデッドのニューイヤーズイブのLIVEチケットを手中に収めていたからだ。
まずはロスアンゼルスで彼らのLIVEを3日間見た時にLIVE会場前にできるデッドヘッズ達の店でご機嫌なGジャンを買った。
背中一面にアメリカン・ビューティーの手描きイラストにビーズ刺繍が入った一点物で色味に味があった。これを着ていれば知ってる人には充分アピールできる代物だ。
アメリカ人は世界一お洒落の型が少ない…と言うと悪口のように聞こえるが 実際TシャツとGパン冬場になるとパーカーかGジャン、ネルシャツ ワードローブ代表的なラインナップ。これらを長い歴史を経て極めてきて 日本人はこれらをアメカジファッションとして定番化しているのだ。
お洒落の型が少ない分そのジャンルの極め方が深いのだと思う。
デッドヘッズのファッションはいわゆるアメカジとは違い オルタナティブなファッションを好む人々が多かった。グアテマラの織物やインド綿のワンピースは女子に人気があるようだった。実際本物のインド人よりインド綿の物を着ているに違いない。薄手で総柄のインド綿はヒッピーファッションの定番アイテムだ。
私の買った手描きイラストのGジャンは、正統派アメカジにアーティスティックさが加わり 最高にクールな感じだった。これを手に入れてからはほとんど外に行く時は着ていた。
 乾燥機が終わるまで街をぶらぶらしようとパートナーと歩き始めたその時、1人の中年白人男性が声をかけてきた。
「日本人ですか?」
綺麗な発音の日本語だったので 目を見張った私達に彼は更に目を見開く事になる話を続けた。
彼はグレートフルデッドのギタリストと昔アコースティックバンドで一緒にアルバムを作ったことのあるバンジョー奏者であること。
そしてこういうことを見ず知らずの人に普段は話さないこと。そして昨夜ジム・ジャームッシュ監督の新作映画を見たばかりだという。
以上の話はゆっくり目の英語で話してくれた。
私が理解してパートナーに通訳している様を見て
彼はカフェで話さないかと持ちかけてきた。
ランドリーの作業を終えて、指定のカフェへ向かったのは言うまでもない。
 地中海という名の古いカフェは昔ダスティン・ホフマン主演の映画のロケで使われた雰囲気のあるカフェだった。結婚式の会場にダスティンが現れ花嫁と手を取り逃げるラストシーンを思い出しながらあたりを観察すると アーティストや詩人のたまり場のような感じだった。何故それが分かったかと言うと カフェに誘ったサンディーが説明してくれたからだ。シャボン玉を吹いてるオールドレディーは詩人だよと。
 サンディーは終始にこにこしていた。
30分ぐらいカフェで話していただろうか 自分のアパートに来ますか?とまた誘うではないか。
もちろん!
2つ返事で私達は答えた。
ニューメキシコ、タオスでインディアンに自宅に誘われて以来2回目の招待であることが気持ちを軽くさせていたと思う。何となく面白い展開への鼻が利くという旅が続いたのだ。

サンディーの住むアパートを訪れた。
昔、日本に住んだことがあって日本人の彼女もいた事があったが彼女はあまり日本のことを教えてくれなかったらしい。それが不満だったのだろうか 今は気ままな独身生活をしているようだった。
 タオスでインディアンに出会い1泊させてもらったことを話すと サンディーはそれは凄い体験したね、彼らは白人にそこまで心を開かない そしてしばらく間があった後 こう言った。
グレートフルデッドの事務所に連れて行ってあげようか?
やばいやばい マジで?
oh my God❗Really?
私は叫んだ。
何故 サンディーがそうしたのか後にジム・ジャームッシュ監督のmystery trainを帰国後見てから
なるほどねと納得した。
路上で声かけられ、カフェで1次審査、自宅に誘われて2次審査をパスしたかのように 私たちは 翌日サンディーの車でサンラファエルのグレートフルデッドのオフィスへ向かった。
郊外の住宅地にある平屋の一軒家を並んで2軒オフィスにしていた。看板がある訳でもないから訳を知らない人が気づくこともないだろう。
第1オフィスには1960年代からのスタッフが居て、サンディーは彼らと仲良さそうだった。カントリーミュージックの前身がブルーグラスミュージックと言い サンディーは、このブルーグラス界のバンジョー奏者なので ファミリー的な付き合いがあるのだろう。
一軒家オフィスに訪ねる人は皆縁ある人。
私たちもその仲間になったような気持ちになった。隣の部屋からインディアンの青年が私たちのところに歩み寄って挨拶をした。
スモーキースモーキーという多分あだ名なのだろう 彼がパートナーの首にかけられた 鷹の羽を見て
「あなたは何処かでインディアンと仲良くなりましたね?」と聞いてきた。
タオスで出会ったジャスパーの話をグレートフルデッドのオフィスですることになろうとは!
あの時 ジャスパーは私たちの旅が安全で楽しいものになるように祈りの歌を歌ってくれたのは こういう事に繋がるとは。
 そして最後にもう1人の来訪者がやってきた。
信じられない事にグレートフルデッドのベーシスト、フィルが来たのだ❗
震えていたに違いない私たちと握手して 今日はプライベートなので失礼するねと隣室に消えた僅かな時間がまるで1時間のように感じた。
サンディーは始終にこにこしていた。
私たちのリアクションを楽しんでいたのだろう。
わたしはジム・ジャームッシュのオーディションに合格した工藤夕貴みたいだったなと後日思ったのは言うまでもない。
ジム・ジャームッシュよありがとう😊
インディーズ映画界の巨匠よ
mystery train に乾杯🍻
 
noteの記事でmystery trainを書いたsmall worldさんに触発されて記事を書きました。
狭い世の中ってやつですなほんとにって話ですね
偶然性は必然かもしれないんです
映画より実体験が超えることってほんとにあるんですよぉ
人と人の距離が近い時代のお話でした。


ストレンジャーザンパラダイスで鮮烈なデビューをしたジム・ジャームッシュ
オハイオ出身、パリに住んだこともあり、後にニューヨークで活動。
ミステリー・トレインは、同じホテルに滞在した3組の客の話が交わることなく三部作のオムニバス形式になっているが、曲で繋がっていたり洒落ている。工藤夕貴は既にハリウッド映画デビューしていたからギャラが永瀬くんより高かったはずである。工藤夕貴が魅力的なのと同じぐらい、イギリス人の役でジョー・ストラマーが魅力的だ。
ジョー・ストラマーと聞いてピンと来ないひとにはCRASHのギタリストと言えばわかるだろうか。
ロックンロールの現代のアイコンはかつてのプレスリーに匹敵するのかもしれない。映画の中でもプレスリーと呼ばれて、その名前で呼ぶな!という台詞が出てくる。

1989年のカンヌ国際映画祭最優秀芸術貢献賞をジム・ジャームッシュが受賞。ホテルのフロント係とベルボーイ(サンク・リー)の間の会話内容、発砲音、エルヴィス・プレスリーの楽曲「ブルームーン」などを三話のいずれにも反復して挿入し時間の同期をとっており、観客に群像劇としての説明効果として展開を行っている。映画のタイトルの「ミステリー・トレイン」は、エルヴィス・プレスリーの同名曲から由来している。


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