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承認欲求が止まらない

追いかけていた美容インフルエンサーが亡くなった。
本当に突然のことで目を疑った。直前まで普段通にSNSや動画を更新していたのに。イベントも控えていた気がする。死因や詳細は伏せられているが、以前よりメンタル不調を患っていて活動休止も何度かしていたのでそういうことだろうと察している。
努力でコンプレックスを克服してもこの世は耐えきれないものなのかと思った。交通事故などやむを得ない死因であってほしいと思っている。でなければ彼女を支持するも同じように努力できなかった自分の身の置き場がない。
私がブスのくせに生き残っていることへの負い目のやり場がなくなる。
もし遺書があり内容が公表されていたら別の感想を持っていたかも知れないが、現状何も発表はないから憶測に囚われて苦しんでいる。

神戸で若い医師が過労自殺してしまった。
私も死んでおけば社会に一石を投じられたのだろうか。 
医師の遺族は「労働問題を明るみに出すためではなく、患者を助けるために医師になった」とコメントしている。労働問題にメスをいれるために頑張る人など現場に存在できないことを知っているから、そらそうとしか感想を持てなかった。
私は医師ではない。親に反発してその道は選ばなかった。医師でないから人助けはできない。そんな私が生き延びる意味とは。

いまはだいぶましになったが、休職当初は希死念慮がきつく、薬の副作用もひどくて散々だった。現在は合う薬が見つかりかなり収まっているが、このようなニュースを見ると少し考えてしまう。
揺らいでいた人にとって、これらはとてもセンシティブなニュースだ。揺らぐ前とは比べ物にならないダメージを受けた。
いまは死にたい気持ちはかなり薄まったが、ニュースを受けて生きる意味や理由について考えさせられた。

何もない自分でも生きていかないといけない。それはとても厳しいことだ。
私が死んでも悲しむ人は少ないだろうし社会への影響も少ない。
生きていても死んでもモブには変わりない。
そう思うことで雑に死を回避している。
こんなのでいいのだろうか。カウンセラーや主治医はいいと言ってくれそうだが。

仮に過労自殺をしたとき、どれくらい大きく報道されるかは気になる。
親は後悔するだろうか。同僚は惜しんでくれるだろうか。労働環境は変わるだろうか。
とても気になるが自分の目で確かめられないから実行に移さない。それだけだ。

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