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見上げた空と、見下げる床。


高校生の頃は愛とか恋とかよく分からなかったけれど、
好きな人と見上げた青空だけは不思議と鮮明に思い出せる。


冬の朝は寒い。
だけどもわたしは嫌いじゃない。
「冬はつとめて」、わたしの感性が枕草子に肩を並べたと少しだけ歓喜して、初めて古文の先生に感謝する瞬間もあったりするわけで。
すっかり早朝の散歩が日課になってしまった。



「寒いから」の一言は免罪符。
普段は甘えるのが苦手なわたしも、「寒いから」って言って少しだけ彼に身を寄せる。
彼は私を引き寄せて、大人の遊びが始まって。

手を床について、後ろからのリズミカルな衝撃に身を委ねると、勝手に嬌声が出て、それが時々自分のものじゃない気がして、ふと冷静になってフローリングの床に平行に走った線をなぜか何本も数える。
「あー、(私も数ある女の一人に過ぎないかもなあ。)」
その内の一本を目で追うと、大体どこにも行きつかない。
「あーあ、(私たちこれからどうなるんだろう。)」
わたしはいつの間にか床の木版にリンクしている。

いかんいかんと現実世界に意識を戻して、あーとかうーとか、馬鹿みたいに叫ぶ。これはわたしたちの先の見えない関係を嘆く声に近しい響きを含んでいるのだが、彼は一向に気づく素振りもなし。

彼にはお決まりの賢者の時間が来て、わたしも満足げな表情を浮かべて頭をぼーっとさせようとするが、かえって頭は冴えてくる。
彼はまどろんで、朝日が差し込んでくる頃には深い眠りについている。
はだけた毛布を掛けてあげて、わたしは一人で服を着て、「グッバイ」のメモ書きを残して、ブーツを履いて、扉を開けて、合鍵で施錠する。
ついでにゴミも出してあげる。なんて出来る女なんだろう、わたし。


そして今日も散歩をする。
冬の早朝、つとめて。
段々と、夜が明けていく。
明け方の空はお世辞にも青空とは言えないけれど。

見下げた床より、見上げる空。

空高く投げて弧を描いた合鍵は、あっけなく川に散っていった。






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