フレッツの自己紹介

はじめまして。
先日2020年4月26日をもちまして27歳の年になりましたフレッツといいます。

まあ節目ということで、自分のことをさらけ出してみようかなと思いまして、初めてこの「note」なるものを使ってみた次第であります。恥ずかしいけれど、見てくださると嬉しいです。


現在僕は、学校事務職員をさせていただいており、5年目となりました。学校事務職員というのは、給与・人事・総務・経理などなど、様々な分野を学校現場で行う仕事です。

また、仕事をしながら、コーチングを学ばせていただいており、コーチングを絶賛見習い中であります。興味のある方は、ぜひ声をかけていただけると、オンラインで飛んでいき、あなたの輝かしい未来をサポートしますので、よろしくお願いします。僕からもお声かけしますので、その時はお手柔らかに(笑)

他にも、教育者のコミュニティや法律セミナー、カラオケ部なんかも行っています。興味がある方は、こちらも是非とも!!


性格は、基本穏やかで、怒ることはめったにありません。ただ、思ったことははっきりと言ってしまう性分なので、相手を傷つけてしまうこともなくはありません。見栄っ張りで、かっこつけ。いい声。イケメンではない(泣)何かに没頭するのが好きで、折り紙なんかを始めると、平気で10時間ぐらいやってしまいます。自転車漕ぎながら、歌を唄ったりします。

趣味として、読書、ゲーム、人間観察、カラオケ、法律、経済、手紙、お酒、折り紙、まとめること、人と話すこと、などなどたくさんあります。


ここで一つ問題が。
趣味に人と話すことと書きました。しかし、実は以前は、そんなに人と話すことが好きではありませんでした。むしろ一人でいることの方が心地よく、自分だけの世界を作っていました。(自分の世界があるのは今も同じですが、、、)

遡ること小学生のとき。
僕はイジメにあっていました。理由は、背が小さいことと、思ったことをはっきり言って無意識に他者を傷つける人間だったからだと思います。

その頃、自分の背は130cm前後ぐらいで他の子よりも10cm近く差があり、「チビチビ」と言われていました。見返すために、毎日牛乳を2Lを飲んでいましたが、未だに伸びません(笑)ちなみに、今現在は、158cmです。

背が伸びない理由は、あきらかに夜更かし。僕は、ドラゴンクエストが大好きで、毎日のように徹夜しては、学校に遅刻していました。ドラクエは、スパーファミコンで1~6までそろっており、何回もやり直しては、全クリまでやるという、「なんで飽きないの?」って思われるほどやっていました。

当然、学校の遅刻は常連に。先生に怒られましたが、「起きれないんだから、仕方ないだろ」と言って、歯向かっていましたね。どんどん周りの生徒にも歯向かうようになってきて、しまいには暴力を受けることがあったり、自分の作った折り紙を粉々にされていたりとイジメは加速していきました。

先生にも相談しました。しかし先生は、「お前の勘違いだ。いつも仲良くてるじゅないか」とろくに話も聞きません。青くなったアザもみせたのに。教室にいることも耐えられなくなって、図書室に行きつきました。


図書室は、天国でした。そこには、様々な想像や妄想を掻き立ててくれる物語が詰まっていました。もともと本を読むのが好きだった僕には、かっこうの隠れ家となりました。それからずっと図書室に引きこもりました。担任の先生が来ようと教頭先生が来ようと、「帰れ」と一言叫んで、独りを維持し続けました。

その頃、読んだ本で印象的だったのが、ゲーテの詩集でした。

その中にあった「Wie das Gestirn, Ohne Hast, Aber ohne Rast, Drehe sich jeder, Um die eigne Last」 という言葉に心が揺さぶられました。

新渡戸稲造はこれを「星のように、急がず、しかし休まず、人はみな おのが負いめのまわりをめぐれ」と翻訳しました。また、僕の大好きなAqua Timezが『夜の果て』という曲の歌詞で、「決して急がず されど緩(たゆ)まず」と意訳しました。

その言葉を知った時、読書への魅力にとりつかれてしまい、図書館中の本を読むぐらいの勢いで、読書が好きになりました。運が良かったことに、勉強の方も授業を受けていないにもかかわらず、上位の点数をキープすることができました。

自分の頭の良さに錯覚して、たまに教室に戻ってみれば、「みんな本を読まないから、頭悪いやつばかりだな」とか悪口を言いまくっていました。当然、ボコボコにされました。暴力をしてこなかった人も、嫌なやつだなと思われたかもしれません。

この時、勉強ができるからと言って威張っていましたが、上には上がいます。自分より点数をとれる生徒の存在を確認してから、どうにかしか勝とうと思って試行錯誤しましたが、毎回勝てませんでした。彼は同時に、友人もたくさんおり、何一つ勝てる要素がなく、大きく落ち込みました。「僕には勉強しかないのに、唯一それしかないのに、あいつに勝てない。勉強も勝てない。人付き合いも勝てない」もう負の感情がスパイラルしていました。

イジメられて泣いたことは無かったのに、この時たくさん泣きました。自分の存在を認めることができなくて、自分なんていなくても、何にも変わらない世界なんだと。死んでしまった方がマシだ。もうなんにでもなってしまえ。なんで僕だけ。なんで。なんで。なんで。やっぱり死んでしまおう。でもやっぱり死にたくない。そんな矛盾した感情が同居した心持ちで、小学校卒業を迎えました。


晴れ晴れしく中学校入学が祝われる中、僕自身はこの世の地獄を見るような気持ちで学校に行きました。中学校には、小学校が同じだった生徒が三分の一ほど入学していたため、たいして環境も変わりませんでした。持病の喘息もあって文科系のロボット部に入ろうとも思いましたが、イジメられてる生徒が多いという情報があり、少し興味のあった卓球部に入りました。

卓球自体はとても面白く、特に回転にハマっていました。しかしイジメは小学校の頃よりも苛烈になっていき、暴力もエスカレートしていました。おでこにたんこぶと血豆ができるぐらいのパンチや蹴りをくらいました。担任と両方の親子が校長室に呼び出されました。その場でイジメてきた生徒は、「こいつが嫌いだから」という理由でやったと言っていました。相手の親は、とても深々と頭を下げてくれて、たくさんのお菓子まで用意してくださいました。しかし、どうにも許すということはできませんでした。


一応、イジメ自体はそれ以降目立ったものは起きなくなりました。しかし、自分の胸の中には、今だ自分の劣等感に苛まれており、生きる気力もありませんでした。そんな時、ふと見に行った「ブレイブストーリー」というアニメ映画を鑑賞した際に、人生が変わるほどの曲に出会いました。それがAqua Timezに『決意の朝に』という曲です。

辛いとき 辛いと言えたらいいのにな 
僕たちは強がって笑う 弱虫だ 
淋しいのに 平気な振りをしているのは 
崩れ落ちてしまいそうな自分を守るためなのさ 
僕だけじゃないはずさ 
行き場のない この気持ちを 
居場所のない この孤独を
抱えているのは・・・

その歌詞は、とても優しい声で、でも力強い言葉でした。この歌を聴いていたら、自然と涙が溢れてきました。僕のこんな気持ちを抱えている人が他にもいるんだと、初めて知りました。でも歌っている方は、力強く寄り添うように歌っている。この人は乗り越えることができたんだ。乗り越えることができるんだと、伝えてくれているんだ。と、思ったら、居ても立っても居られなくて、Awua TimezのCDを買い漁って、いろんな曲を聴きまくりました。

ボーカルの太志さんも昔、イジメられていたそうです。辛い時やもうダメかもと思った時もあったみたいです。ですが、自分の思いを貫き、同調してくれる仲間を集め、Aqua Timezとしてデビューしました。その生き様、一つ一つの歌詞に僕は救われました。ケンカ腰でなく、一人の人間として、人と接してみようと行動できるようになりました。

近くにいる人と話しかけるようになったことで、新たな学びを得ることができました。それは、同じ事実でも、人によって捉え方や感じ方は異なるということです。それは、読書や自分の中で考え事しているだけでは、得ることができないものでした。人とのコミュニケーションを通してでしか、知ることができないものでした。

中学生にして、初めて他者との価値観の違いに興味を持ち始めた瞬間でした。これにより、自分が正義で、自分のことにしか興味がなかった僕が、他者に話しかけることができるようになりました。


高校では、メンバーがほとんど変わり、イジメの過去を知っている人もごくわずかの状況になり、高校デビューのチャンスが訪れました。おかげさまで、高校の頃の友人は、今でも付き合いがあるぐらいです。この時期は、今までと異なり、嫌われることを恐れ、調和を念頭に置いて、友人を増やしていきました。自分の過去も隠していました。案外バレないもので、友人も増えていき、この頃から彼女もできました。

それ以前にも彼女はいましたが、まだ子どもだったためか、本気の恋愛ではなかったと思います(笑) 高校生でしたので、近くの喫茶店や登下校を一緒にするぐらいの関係性でしたが、とっても楽しい時間でした。思い出の1ページというやつです。多分これが世にいう青春ですね。うんうん。


高校生の時、勉強はできる方ではあったのですが、すこし歪な成績で、選択問題が苦手で記述問題が得意という人でした。そのため、センター試験の点数が取れず、各大学の二次試験の点数が高いという状態で、担任の先生曰く「どうしたものか」でした。そのため、僕が志望していた大学には、センターの点数が足りず、行くことができませんでした。

なので大学は、初めのうちは「最悪~」と思いながら通っていました。ただ卒業する頃には、本当にこの大学に来て良かったなと思いました。理由は、3つあります。①500人以上と出会えたこと、②最高の仲間と切磋琢磨できたこと、③恩師に出会えたこと、です。

まず①500人以上と出会えたこと。自分の大学は、マンモス校と呼ばれるぐらい人数が多く、出会いは様々ありました。大学教授、経済学部生、別の学部生、サークルメンバー、公務員受験生などなど。この時期に、たくさんの人と話すことができ、ある意味で人間力が育まれたのかなと思っています。

今でもたまに連絡を取り合うぐらい、仲の良い友人も多かったですね。大学生の時に出会った女性が、僕の中で4人目の彼女となりまして、前年の6月まで長いお付き合いをさせていただいておりました。その件につきましては、まことにお世話になりました(笑)

②最高の仲間と切磋琢磨できたこと。これは公務員試験勉強ですね。この学校には、公務員講座なるものがありまして、予備校に行くよりも格安で学べる環境が提供されていました。③にも出てくる恩師の方のエネルギーに惚れてしまい、公務員試験の勉強を開始しました。公務員試験というのは、範囲がムチャクチャ広い割に、出題される問題は少ないという、高コスパ試験です。長い間から勉強をしはじめなくては間に合わないし、期間が長いのでダレてしまうこともありました。

そんな時出会ったのが、一緒に勉強していた仲間でした。2年間勉強しましたが、その2年の間に脱落していく人が多い中、僕らは残っていました。段々顔も覚えていき、気付いたら仲間&ライバルになっていました。お互いが本気なのは分かっています。なので愛想やなれ合いもいりませんでした。思っていることをはっきり伝え、ひどく落ち込んでいる時には、みんなで支え合える仲間でした。最終的に、仲間みんな公務員に合格し、最高の別れをして、大学を巣立ちました。

③恩師に出会えたこと。先ほど話題に出た、公務員講座の先生です。彼は、法律の先生で、国家一般職を何百人も輩出してきた凄腕の方で、授業はもう折り紙付きです。僕が恩師だと感じたのは、そこだけではありません。「絶対合格するぞ」と気合いのある生徒に対して120%の気持ちで接してくれたことでした。公務員講座の説明会で先生は、「僕の講座を受けてくれた人は、必ず合格させてやる。絶対に後悔はさせない」と言いました。

僕は、「必ず」とか「絶対」という言葉を使う人は信用ならんと思っていました。しかし、先生の言葉・思いは、耳からだけでなく、体全体に響き渡って、自分が合格している状態が想像できたぐらい、正確性と情熱のある立ち振る舞いでした。説明会後、僕は一目散に先生のところへ行き、名前を告げ、「僕に勉強を教えてください」と言いました。そしたら、「なんでも教えてやる」と言ってくれました。

法律が大好きになったのも、この先生が教えてくれたからです。とはいえ、僕は第一志望の公務員に不合格となりました。めっちゃくちゃ行きたかったです。しかし、うわべだけの志望動機で簡単に見透かされました。過去の膨大な面接記録を研究しまくって、面接官が求めるものを携えていった反面、自分の思いは殺してしまっていました。

一緒に勉強してくれた仲間は、最後まで僕を見放すことはせず、一緒に志望動機を考えてくれました。恩師もそうでした。「いつ寝てるんだろう」と思うくらい、恩師は呼んだら来てくださって、どんな質問や愚痴にも付き合ってくださいました。そして、ぼくが本当にやりたい仕事が何なのか、再度考え直しました。大学職員の方が、何気なく「学校事務あるよ」と教えてくれた時に、ピンときました。「これだ!これしかない!」と。

自分は過去、学校現場でイジメられていました。そして、自分を隠して、取り繕っていました。そんな過去を忘れようともしました。しかし、そんな過去があるからこそ、学校現場という環境を変えていく力・強い思いがあるはずだと確信しました。現代でも、イジメはあります。コロナウイルスがあろうと、イジメの形態は変容して、今なお蔓延っていることでしょう。また学校での学びの環境も何十年も前からあまり変わっていません。今の子どもたち一人一人に目を向けた教育・共育ができるような環境も整えなければなりません。

自分の中でガチっとはまり、そのまま面接官に話しました。気付いたら、面接官と仲良くお話していまして、長かった面接時間はあっという間に過ぎていきました。そして、合格・内定をいただき、現在の職業に就くことになりました。


社会人一年目は、覚えることが多く、ただ事務処理をする時間ばかりで、楽しさを感じられませんでした。仕事を教えてくださる先輩も、とても厳しい方でした。来て早々、「例規集」を机の上にポンっと乗せて、「これ覚えてね」と一言。

※例規集・・・市の条例や規則がまとめられたもの、事務処理のマニュアル。でももっと簡単なマニュアルもあり、事務職員はまず簡単なマニュアルで仕事を覚えるのが普通らしい(笑)

仕事が遅いと「早くやれ、相談・質問に来い」。相談・質問すれば「ちゃんと調べたのか?もっと、じっくり考えろ」と。仕事し始めの僕からすれば、どうすればいいのかともう分からないと思っていました。

しかし、段々慣れてきて、「例規集」で勉強したり、一人である程度仕事いたりしていると、だいぶ周りも見えるようになってきました。そこからは、仕事も効率的に行えるようになってきた感がありました。

3年目となり、今の特別支援学校に赴任してからは、特に自分のやりたい様に仕事をしています。これができるのは、2年間、先輩の厳しくも、正確なご指導があったからだと思っています。


また、仕事をしていく上で、コミュニケーションを大切だなとも思います。やはり、学校事務の一つ一つの仕事はすべて子どもに繋がっていきます。そして、子どものことを分かっているのは、保護者であり、直接授業や指導を行っている先生方なのです。先生方の意見や視点を取り入れないと、僕の仕事は、ただの事務処理で終わってしまいます。それだけならば、正直だれでもできる仕事だとも思っています。

しかし、そこに先生方から仕入れた情報や培ってきた条例や規則の解釈などによって、一人でも多くの子どもの学びの環境を整えられるなら、僕の仕事に「ありがとう」が生まれるんですよね。それは、子どもから直接いただくものだけではありません。子どもが毎日笑顔で、挨拶をして学校に来てくれる。保護者様が僕ら教職員を信頼して、接してくださる。先生たちとも子どものことを一緒に一生懸命考え、あれこれ試行錯誤でき、時にはバカ話もできるぐらいの関係性。それは、コミュニケーションや相手を尊敬する心によって、築かれていくものだと思います。


また、昨年の5月に大学生の時から付き合っていた彼女と別れました。長かった割に、結婚の話とかをしたことがなく、今思えば友達の延長線上にいるだけの存在でした。結婚の話をしてから、やっと全然価値観が違うことに気付き、当時の僕には受け止めることができませんでした。

そこから、彼女を探したいという思いとコミュニケーションを磨くという二つの理想を持って、行動しはじめました。この5月から今日までの期間は、社会人になってからの自分を考えると、とても濃密な時間だったなと思います。ほとんどが家と職場の往復だった僕には、多少無理もしつつ、丸裸で新世界に飛び出したというような形だったので。

まず行ったのは、マッチングアプリと風俗遊び(笑) 正直言うと、いろんな人と話していくことがコミュニケーションを鍛える術だと思っていましたので、出会いの場や一体一になれる環境を増やしていくべきだと思って、やってました。

アプリでは、3~4か月ぐらいの間に10人ぐらいの方に出会い、その中のお一方と運命的な出会いをし、付き合うことになりまして、今日まで続いております。前回の別れ方から反省し、思ったことはちゃんと伝えることが大切だと学んでいました。なので、初めて会った時から思ったことは話していました。そのためか、最初に相手を傷つけるようなことを言ってしまったのは、反省でした。それでも僕がアプローチをすると、2度3度と会ってくれて、次第に心が惹かれていきました。この人ならずっと一緒にいられるかも、と。そして今回の誕生日がとても楽しい1日になったのは、彼女のおかげでした。この場を借りて、「出会ってくれてありがとう」(*ノωノ)ノロケてしまうのでこれくらいに(笑)

風俗では、特定の人たちに何回か会いに行って、お話メインにしていました。お金を払っているので、相手は何でも聞いてくれるかと思いきや、僕がちゃんと喋らないと、ビジネスライクにもならないような人たちばかりで、我ながらコミュニケーションを鍛えるには良い環境だなと思いました(笑)

そこで「話を聴く」ことの大切さが分かってきたんじゃないかなと思います。風俗で働いている人は特に、自分たちの将来の夢がはっきりしている人が多かった印象です。それを聴いていると僕まで楽しくなってきて、いろいろ聴いてみたいとも思うようになり、気付いたら僕も相手もたくさん喋り過ぎちゃって、「時間過ぎちゃったね」みたいな(笑)


こんな感じでいろんな人に会っていく中で、「コーチング」というものに出会いました。コーチングというものは、大切な人をその人が望む場所へ送り届けるために、「聴く」「承認する」「質問する」を用いて、その人の目標達成をサポートする仕事・コミュニケーションです。

僕にとっては、願ってもないチャンスでした。そこには、きっかけはともかく、同じようにコミュニケーションを学びたいと思って集まっている人が多く、学生時代や職場以外で、初めて「仲間」が増えました。

そんなこんなで、失恋した5月からのほぼ1年の間に、400人ぐらいの人で出会ってきました。たった1年でこうも変わるのかと。この経験は、職場でも生きてきました。コーチングを学んでいたのもあるかもしれませんが、さらに職場の雰囲気が良くなったのです。今では、僕は職場で、「ソースかつ事務長」と呼ばれる役職をいただきました(笑) もともと「総括事務長」という役職はあるのですが、その人よりも情報伝達が多く速いということで、つけていただきました。なぜ「ソースかつ」かと言いますと、ダジャレになっていることと「職場の潤滑油」だからということでした(笑)

このことにより、僕だけで完結してしまっていた事務処理仕事から、職場全体で協力しながらの仕事に変化していきました。これは、僕だけの力ではありません。今まで出会ってきたすべての方々が支えてくれたからです。今の職場の方だけではありません。両親や姉、学生時代の友人、恩師、先生方、社会人になってから出会ってくれたたくさんの方々。すべての方がいなかったら、今の僕はありません。と、思うと同時に、僕がこの26年間を通して、自分で選択して、行動してきた人生です。この自己選択と行動の賜物でもあります。感謝しかありません。


そして、今僕が行っていることは、

☆学校事務職員
☆子どもと耀く共育者あすなろコーチ
☆教育者の集い 10人以上のコミュニティ主宰
☆カラオケ部 40人以上の主催

大きくは、この4つになります。


子どもの未来を思い、学校現場に新しい風を吹かすため、様々な学校関係者方にお声かけしております。相性が良かったのがコーチング。子どもは輝いているや力強く生きている人に心惹かれます。その人は、常に自分のやりたいことに挑戦していて、毎日を楽しんで過ごしている方です。コーチングは、自分の本当にやりたいことをみつけ、それに向けて目標設定、達成していくものです。自分も含め、だれもが、前を向いて、心からキラキラ輝いていてほしい。そんな人たちを子どもに見てほしい。

そんな人たちと出会うために、僕は、学校事務職員として、コーチとして生まれたのかなって思います。だから、僕は動き続けるのです。


最後に僕の大好きな歌詞を一節。

Aqua Timez 『No rain, No rainbow』より

僕の今までの人生は決して 
素晴らしいものではなかった
せめて今日から光を歌おう 
今ならまだ間に合うはず
綺麗で鮮やかな光じゃなくても 
投げ出すよりはいい
さぁ闇をくぐり抜けて
No rain, No rainbow 手を空にかざせ 
No rain, No rainbow 手を空にかざせ
晴れ渡る空に 祈りを奏でるように


以上、僕の26年間でした。
これから出会う方、はじめまして。
27歳となりましたフレッツです。

よろしくお願いいたします。

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