介護と相続と 21/09/24

日々の煩雑なあれやこれやがあって思うように自分の時間が取れないでいるのだがそんな時にぽっかりと時間ができると一体何をしたらいいのか分からなくなっている自分に気づく。昨日はお彼岸の中日ということで妻と次男と母を連れて実家のお墓まいりに行ってきた。毎年繰り返す行事ではあるが必ず何かを忘れてしまっている。今年は花を買い忘れてしまった。そんなこともあるさと笑って済ませ、それでも一応心の記憶装置に来年は忘れないようにしようと記憶した。そして毎年同じことだがお墓まいりの後は実家でご馳走をいただく。特別な何かを出すのではないが妻の手をなるべく煩わせないようにスーパーから買ってきたお惣菜を中心に家族で食卓を囲む。そうこうしているうちに妹家族もやってきて一気に賑やかに。甥っ子たちが家の中を走り回り、それを母が目を細めて見ている。いい光景だ。妻と妹も何か話をしているし、そんな穏やかな時間をビールを呑みながら眺めているのは至福の時間なのかも知れない。母の繰言を聞かずに済むし自分自身がストレスを感じないでいられる。本当に気持ちが楽でいい。甥っ子も来年は小学1年生になる。少しずつ子供から少年になろうかとしているのを感じて月日が流れるのは早いものだと感慨深くなる。次男もこういう時があったなあと思い見つめる。そういう時間は母にとってとても大切な時間のはずだ。しかし今の母には刺激が強いのか疲れてしまうのかごろりと横になって眠ってしまった。食事も終わり片付けをしてお茶にしようと母に声をかける。お彼岸といえばお萩を食べるのが我が家の習わし。スーパーで買った大きなお萩を一人一つずついただく。そういえば昔は手作りをしたものだった。妹とお萩を作っていた手順について思い出す限り話をして見たり、それがご飯の代わりであったことなどを思い出して見たり。ビールを呑んですっかり気持ちよくなって、後は妹に任せて家に帰ることに。家にはこちらも認知症の犬が留守番をしている。長い時間家を留守にすることもできず慌ただしく帰ることに。帰ってみると特別何か変わったこともなくちゃんと留守番ができていた。さてこの後はどうしようかというくらい時間がある。夕飯にも早いし呑んでしまっているので運転もできない。何もすることがない、というか何をしていいのか思い浮かばない。この状態では本を読んでも頭に入ってこないだろうし、などと思うともう何もする気が起きてこない。ごろりと横になって目を瞑るとふっと気が遠くなる。さすがに昼間の酒は良く効く。それほど呑んでいないのになあと思うしそれとも弱くなってしまったのか。自分の年齢を考え母の年齢を考え子供たちの年齢を考える。母は後どれくらい生きていられるであろうか。自分の残りの寿命はどれだけだろうか。これから何ができるのだろうか。そういうことを考えた秋分の日だった。

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