頑張るということ
私はよく、「頑張らなくちゃ」という言葉を使う。
これはただ形式的に言っているのではなく、頑張らないと自分はだめな人間だと思っているからである。
でも、頑張ろう頑張ろうとすればするほど苦しくなって、今の自分は頑張っていないんだなとますます思えてくる。
現代を生きる人々は、SNSやインターネットの普及によって身近な人の生活を少し覗くことができる。
そういうものを眺めていると、ただキラキラしているのが羨ましいというより、頑張れているのが羨ましいなと感じてくる。
たくさんの人とコミュニケーションを取れてすごいな、頑張ってるな。
コロナ禍なのに頑張って留学に挑戦しているんだ。すごいな。
私の頭の中は、周りの人の頑張りでいっぱいになって、それに比べて自分はなんで努力ができないんだろうと思う。
頑張ろうと思っている人は、もうその時点で頑張ってるよ、そういう言葉もネットにはたくさんおっこちているが、そんなの私には当てはまらない。だって頑張ってないんだもん。ああなんで私はこんなに頑張れないんだろう。なんで。死ぬ気で努力して倒れちゃえばいいのに。それくらいやらないと自分はだめだ。何も苦しんでいない私はだめだ。もっとがんばらないと。
こんな感じでバッドな方向に落ちること、誰でもあると思う。
これを読んでいる人も、多分そうなったことがあるんじゃないかなと思う。
その気持ち、本当にわかるよ〜〜〜〜!
どんな言葉も気休めにならないことを私はよくわかっているけれど、あえて言うと、多分人間はみんなそんなに頑張ってないんだと思う。
オリンピック選手は頑張ってるじゃん、みんなずっと努力してるじゃん。
そういうことを思うのも分かります。
でもたぶん、努力を努力と言えるかどうかは本人がどう捉えるかで、「がんばるということを頑張りたい」って思ってその競技や仕事を頑張っている人ってあまりいないんじゃないかなと思う。
みんな大切なこと、好きなこと、大切な人、守りたい人がいて、それを大切にするために日々全力を尽くしていて、それが側から見たら「がんばっている」ということになるのかもしれない。
「頑張らないといけない」「もっと頑張りたい」
そう思っているあなたは、だめで壊れそうな自分(本当はだめじゃないですよ)を必死に守るために、がんばることで大切なものを大切にするために、「頑張れた」って自分のことを少しでも好きになるために、全力を尽くしている人なんじゃないかと、思います。
曖昧なことは曖昧なままで。
頑張らなくても、頑張れなくても、好きなことがなくても、やりたいことがなくても、そんな曖昧な自分を曖昧なまま、そのまま放っておいてみるのもいいかもしれません。
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