「やらないで後悔するよりやって後悔しろ」という言葉について

「やらないで後悔するよりやって後悔する方がいい」

という言葉を誰もが聞いたことがあるのではないだろうか。やらないで後悔するくらいなら、何事も積極的に挑戦する方がいい、1番の失敗は挑戦しないことだ、なんて偉い人が言っていたり何かに挑戦するか迷っていることを誰かに打ち明けたら言われそうなセリフ第1位だろう。

私は、人々が当たり前のように発しているこの言葉に少し違和感を覚える。「やらなかったことに対する後悔」と「やったことに対しての後悔」は全く別物であり、かつ紙一重の位置にあるのではないだろうか?ということである。

どういうことか、少しずつ探っていきたい。

そもそも「やらなかったことに対する後悔」は、何か夢や憧れに挑戦することをやめてしまった、ということだろう。腹を括れなかったのかもしれないし、家庭の事情があったのかもしれない、今までの生活を捨てるわけにはいかないと思ったのかもしれないし、躊躇っている間にチャンスを逃したのかもしれない。「ああなんで自分はあの時これをしなかったのか。」ということだろう。これって、少し言い換えると『その行動をやらなかったという選択をやってしまった後悔』とも言えるのではないだろうか。

では「やったことに対する後悔」とはどういうことか?何かしてしまった後の後悔というのは、誰かとの関係を切ってしまった、要らない言葉を言ってしまった、傷つけてしまった、などの場合じゃないだろうか。主な「やったことに対する後悔」は、何かに挑戦するとかそういう概念とは全く違う、ということが伝わるだろうか。

また、思い切って何か挑戦して、その結果が残念に終わっても、やり切ったと言える人であれば後悔はしないと思う。失敗した直後は落ち込んでどうしようもなく自分がダメな人間に思えるかもしれないけれど、しばらくしたら失敗を経て成長することができた、と言えるかもしれない。

自己肯定感が低く失敗を引きずるタイプの人間(もれなく私もそこに当てはまると思う)が、挑戦して失敗して後悔し始めたら、それはそれは絶望しているんだと思う。「失敗」に対して、自分を全否定されたような気分になるし、「なんで私はこんなことをしたんだろう」と思うだろう。私も経験があるから言えるけれど、やってしまったことはもう二度と取り消せない。自分の不甲斐なさや挑戦したのに努力しきれず結果が出なかった時の絶望感は、多分「やらなかったことに対する後悔」の500倍辛いと思う。「やらなかったことに対する後悔」はまだやっていないんだもの。取り返せる。

また、「なんで私はこんなことをしたんだろう」という自分への問いかけは、「なんで私はこれをやらない、という選択をしなかったのか」という思考とほぼ等しいのではないだろうか。あれ?これって『やらないという選択をしなかった、やらなかった後悔』をしているのでは?


結論

「やらないで後悔するよりやって後悔しろ」という言葉における「やらないで後悔」と「やって後悔」は全く別物であり、かつ両者は紙一重な存在と言えるだろう。

色々考察してきたが、この言葉の真髄は何かに挑戦することを躊躇っている人への殺文句なのだと思う。何かに挑戦し、結果が出なくてやらなければよかったなと後悔している人、もしあなたがそういう悩みを抱えていたら、どうにか生き抜いてほしい。もちろん、やらなかった自分には戻れないけれど、きっといつか人生の財産になる。綺麗事だろうと言われるかもしれないが、多分これは綺麗ごとなんだとおもう。でも人間の記憶はいいようにできているから、しばらくしたら素敵な思い出や、笑い話にできるのではないか。

そして何かに挑戦しなかったことを後悔している人、あなたが過去に対するコンプレックスを抱えているのなら、今すぐ挑戦してはどうだろうか。あなたは、挑戦しないという選択をした、「やったことに対する後悔」を抱えているのだろう。でもまだ取り返しのつかない失敗はしていない。まだ「挑戦する前の自分」の状態をキープしているのだ。今からいくらでも未来は変えられる。「やらなかったことに対する後悔」が「やったことに対する後悔」にならないよう、とにかく全力でがむしゃらに突き進もう。


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