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「世界は贈与でできている」読む前に感想書いた

今(私の周りで)話題になっている本「世界は贈与でできている」を読みたいなと思っています。
最近、私自身が「与える・受け取る」ことだけで生きていける気がしているからです。
でもまだ読めなさそうなので、先に今の感覚で読書前感想文を記しておきます。

ソーシャルセクターに入ってから、お金とか貨幣だけの関係性って希薄だったなぁと気づきました。(脱サラした話はこちら
会社員だった時は、同僚とか同期とかと仲が良いって思ってました。
でも、何かを頼んだりお願いするときは絶対「今度ランチ奢るから」と言ってたし、無償で人にお願いしたり、請け負ったりすることはあまりなかったと気づきました。(実際に最近、元同期にお願いごとしたら「報酬がないならやらない」と言われ音信不通になりました・・)

それが顕著に表れていたのは「人脈」かなと思います。

人脈はカネになる?

会社員だったころ、「同じ会社の人間は仲間」と思っていました。でもそう思ってる人は少ないみたいで、私が社内で知らない人(でも社内の人)に話しかけるのを見て周りからは「いきなり知らない人に話しかけるとか頭おかしいだろww」って言われてました。

逆に、同期が「今日隣の部署の〇〇さんの飲むんだ」というので、私も行こうかなーと言ったら「知り合いじゃないでしょww」と言われました。飲み会がどうこうというか、同じ社内の人で知り合いとかある?と思ったり・・。

ここは会社員の時からずっと違和感がありました。

人脈はカネではない

ソーシャルセクターに入った途端に、私を見てみんなが次々といろんな人を紹介してくれました。
〇〇さんと気が合いそうだからつなげたいーとか、△△さんがそのへん詳しいから話聞いてみたらーとか。翌日にはもうメッセンジャーでグループができていたりしました。

この時、会社員あがりの私はけっこう衝撃を受けましたw
会社員時代は、部長と飲みに行ったことがある、とか〇〇銀行の役員と繋がった、とかはマウンティングの材料だったからです。
同じ会社の社員間ですら社内人脈でマウンティングしてました。「おれはセクター長と飲み行ったりするから」みたいな。同じ社員なんだから、そんな言うなら一緒に行けばいいのに?とか思いながら聞いていましたが、そういった環境にいた私からしたら、貴重な人脈をあっさりと何にも替えずに提供してくれることが新鮮でした。

人脈は社会変革への近道

ソーシャル界隈でなぜ人脈がマウンティング材料にならないかを考えてみたところ、ソーシャルセクターの人たちは基本的に「社会を良くしたい」人たちなので、「社会が良くなる」に近づくことをしているんだと理解しました。
つまり、社会を良くしたいと考えている人たちがどんどん繋がって連鎖反応を起こしてところどころ爆発したりしていいものが生まれたり社会にインパクトを与えて社会を変革していくことを期待しているんだと考えました。

実際に私もたくさんの方々と繋がれたことでアイデアもどんどん生まれて、その内容もどんどんブラッシュアップされていき、社会を変えていくエネルギーがどんどん増している感覚があります。(実際に社会変革の仕組み作りはどんどん加速している)

これまで私にたくさんの人脈とチャンスをくれたみんなに心から感謝します。

ただ、私たちはこの感謝を、その人たちに直接返すことはしません。

自分がもらった恩を、周囲にまた回していくのです。これが私の考える「世界は贈与でできている」です。
社会を変えたい、と言っている人がいたらその人に必要そうなスキルや人脈をどんどん提供していくのです。

見返りどころか自己犠牲を払って贈与できるか

ここからは私の中の課題なんですが、自分が持っているもの(スキル・人脈・金銭そのものなど)を無償で提供することは、時に自分が犠牲になる部分もあります。
その時に、それでも他者を助けられるか、手を差し出せるかということは私の中での課題です。
実際に、私が脱サラしソーシャルセクターに飛び込めた理由の一つに、ソーシャル仲間の一人が「最悪、我が家にくれば食住はあるから大丈夫」と言われたことでした。(これも、当時会社員だった私には衝撃だった・・・。)

しかし実際にこの言葉を信じて私は会社を辞めました

ソーシャル領域に飛び込んだ私のポリシーとしては「ギブアンドギブ」があります。
これまでたくさん恩を受けましたし、とにかく自分も「ギブするぞ」と思っています。テイクについては考えてません。
私自身に返してくれなくても、どこかで社会を良くするエネルギーになっていればそれが私の望みでもあるからです。

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