12月25日(水):教育の「履修主義」から「修得主義」への転換を
昨日は日経新聞のコラム「教育進化論」で取り上げられていた一部の学校で授業時間の見直しを行い、子どもの主体性を重視して裁量をもたせた授業を行う取り組みを紹介しました。
詳細は昨日に記した通りですが、1コマあたりの授業を5分短くすることで、毎日午後に20分間の「学習タイム」を捻出し、その時間は苦手教科の克服から得意な教科の先取りまで、児童が個々に自分にとって必要だと思うことを実施できるようにしているものです。
モチベーションの心理学の観点でいえば、内発的動機付けの本質は「自律性:自分の意思が尊重されること(=楽しいからやろう)」と「有能感:自分にできることが証明されること(=進んだ、できた、褒められた、自分にもできる)」だから、今回のケースのように個々にそれができる裁量があるのは良いですね。
一方で「標準」として定められている「小学校45分、中学校50分」の授業時間を見直して柔軟な運用をしている学校は全体の1%に留まります。
これに対して北欧やオーストラリアなどの他国では、指導要領に年間の授業計画や時間数を例示するだけで、何をどのくらい教えるかは校長らに委ねられるなど、より柔軟な運用が進んでいます。
ポイントは根底にある考え方の部分で、冒頭に触れた記事内でも日本が授業を一定時間受ければ進級できる「履修主義」であるのに対し、欧米各国などは学習内容が身についたかを判断して落第や飛び級もある「修得主義」が一般的であることに言及していました。
授業時間の運用はひとつの「手段」であり枝葉に過ぎないから、やはり根本における考え方から見直していく必要はあると思います。
もちろん、この点は学校教育だけに限った話ではなく、それがそのままその後の社会人になっても持ち越されていく土台になるからです。
「履修主義」が色濃く染みついている人は仕事をするようになっても、「決められた時間を職場で過ごすことで給与をもらう」感覚で、時間労働者としてのサラリーマン的な働き方になりがちです。
これに対して「修得主義」でやってきた人は仕事においても「求められる成果をあげて対価を得る」との観点に立ち、主体性のあるビジネスパーソンの働き方をします。
この点は厳然たる違いであって、学校教育のように「6・3・3」の定められた節目があるわけではない30年や40年の長距離走のなかでは、その差がいっそう顕著になっていきます。
学生時代から修得主義の学びをしていれば、社会に出て仕事をするようになった時の考え方もそれがベースになるから、そこの転換は大事だろうと思います。
そうした点も含めて教育の場が、より良く変わっていくことに期待をしています!