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ブルーインパルスと世田谷中学高校のプチ思い出

多摩川でブルーインパルス|千田正哉 (note.com)
 のつづき
■ 6月29日
 
(写真は撮影順)
 「甘酸っぱい」思い出も多少はありますが今回は書きませんので期待しないでください。


似た写真が多いですか?


入間(いるま)基地へ戻ってゆく午後2時40分すぎ。


濃紺は相模鉄道(そうてつ)の車両ですが新横浜発 急行 赤羽岩淵行き。
右は赤羽岩淵発 普通 新横浜行き。


河原にムラサキツメクサ。


「多摩堤通り」は自転車でも混雑。


「田進ゼミ」は長嶋一茂が通っていたと公言している進学塾です。
コンクリートですが真上は多摩川浅間神社で、フェンスに人が見えます。


その多摩堤通りを経由して二子玉川駅(東急田園都市線・大井町線)へ行く路線バスが行ってしまいましたが、十数分後にまた出るはずなので待ちます。


待っている目の前が東急電鉄東急多摩川線(←ダブっていますが正式名称です)の線路でした。


30分待ってもバスが来ない(待ち行列も長くなった)ので、一日5往復しかないが先に発車するこの系統に乗ってしまいました。


センターラインすらない住宅街も通ります。「自由通り」。


奥沢(東急目黒線)駅前の踏切で、西高島平(にしたかしまだいら)発 日吉行き。
(フリガナは首都圏以外のかたのために。)


」が五つもある長いバス停名英語は「都立大学附属高校前」ですが2011年に閉校。
自分も別の附属中学生でここから1キロなのに、知りませんでした。
首都圏にはとっくになくなったのに改名しない鉄道駅名も多く、
閉園した向ヶ丘(むこうがおか)遊園・移転した学芸大学・移転した都立大学など。


終点の国立東京医療センターは、乗車してから調べたら私が高校の授業で骨折して救急車で運ばれた国立東京第二病院の場所でした。
@目黒区 東が丘


(右が北。)
病院は中央下端で、中学のときは交差点のバス停で降りて上方向へ通学していました。
つまり駒沢オリンピック公園の中を突っ切る。
「東洋の魔女」のバレーボール決勝戦は私が加筆した矢印の「屋内競技場」です。


これが通学路。
だから当時はバス停名も「国立第二病院」でした。
中学の通学で乗車した懐かしの(田園調布駅発)渋谷駅行き 東急バスに乗ることにしました。


東邦大学医療センター大橋病院の新病棟が左端で、
クレーンで解体中なのが旧病棟。
@目黒区 大橋


日本地図センター
左端でブレているのはフジエクスプレス「渋谷シャトル」の「青葉台ヒルズ」バス停ポール。
@目黒区 青葉台


東急バス初代観光バスのリバイバルカラーを道玄坂上交差点で見る。


渋谷駅西口、「フクラス」ビルにつながる新しいペデストリアンデッキの下に着きました。
1週間後に気づいたのは、バスのナンバープレートが「109」であること。
ファッションビル「SHIBUYA 109」(マルキュー)の名称は、
東急(電鉄グループ)=「とおきゅう」=「十・九」=「10・9」に由来します。


スクランブルスクエア(ビル)第二期建設工事などが進んでいますが、
旧東急百貨店 東横(とうよこ)店 南館の壁も意外とまだありました(写真中央)。
毎朝、通学のバスはそこの前から乗っていました。


羽田空港AまたはC滑走路への着陸機※が、
開業したばかりの渋谷サクラステージ「SHIBUYAタワー」へ。
(※ 南風の午後のみ)


JR成田空港発「成田エクスプレス34号」新宿行き。
今春から別の特急列車にも使うようになった関係で前面の「NEX」文字がなくなり、黒部分が灰色になりました。
なんとなく物足りない。

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