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vol.5 アルバイト医として生きていく ~開いてしまったパンドラの箱~

やさぱす サウザーの白熱教室
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※試聴版。オリジナル版(59:15)は購入後に視聴可能。

Vol.5 最終章

人間社会の発展は、他人が作った解に納得しない天才が創ってきた。天才の定義をゼロからイチを創る者、あるいは現存物から新たな価値を生み出す者としたとき、昭和以前は前者が、平成は後者が主だったように私は感じる。では令和の天才の定義は何か。小さな価値を拾い上げて別の大きな価値へ変換することは資本主義が行き詰まった時代の定義として候補に挙がるだろう。このとき、やさぱす氏は令和の天才と呼ぶべき最右翼である。医師なら誰でも知っている小さく暗い業務としての「寝当直」。業務としての価値は極めて低い。しかしその中にある隠れた別の大きな価値が眠っている。全ての医師はやさぱす氏が開けてしまった箱の中身の正体を、知っているようで知っていない。Vol.5はそんなパンドラの箱を世に晒す白熱教室の最終章である。

天才がどうやって生まれるか。言わずもがな、教育からは生まれない。即ち人間社会の発展を教育がもたらすことは無い。教育が社会の現状維持を担ったならばそれは大成功であり、現実には長い年月をかけ社会を没落させる力に作用する。この悪夢から我々が逃れる方法として教育を無くすことは極めて難しい。すると教育システムは動かしたまま、教育に馴染まない者を自由にさせるのが唯一の手段となる。実際に国はそれを分かっていて、教育を洗脳だけで無く天才の選出として機能させている。可能な限り教育から外れる人間は拾い上げられている。上に外れる者も、下に外れる者も。しかし幸か不幸か、拾い上げられない人間は存在する。

教育とは洗脳であるとは言われ尽くされた感すらあるが、洗脳が成功した結果、「困っている人を助けたいから医者になりたい」などとのたまう子供ができあがる。人や社会の役に立つ事を夢とするのは素晴らしいことだ。しかし洗脳から免れながらも国が拾い損ねた天才にとって、この論理破綻した文章に気づきもしない人間に溢れた世界で共に生き抜くことは耐えがたかったらしい。彼は今、当直室という阿片窟で誰もが知らない方法で開花しようとしている。

「誕生日プレゼントは何が欲しい?」。幼い子供にふと尋ねたとき「仮面ライダーの変身ベルトが欲しい!」と笑顔で答える子供を苦々しく思う大人は少なくないだろう。それは分かる。資本主義がもたらした消費社会の養分に子供が既になっている証拠だからだ。しかし「お金のなる木が欲しい!」はどうだろうか。現実を知らないと嘆くことはできるだろうか。この言葉を、社会を少し知った若者の言葉に変換させるどうなるか。「一日ゲームをしたい!だからニートになる!」である。そう、これはサウザー氏が学生時代に掲げた目標だ。金のなる木が現実にあることを信じたというか、知っていたのだ。そしてその目標の実現に向けて研究し、本当に勤め人を卒業した。今では実業家として新たな目標に向かって進んでいる。なんと素晴らしい人生だろう。ここから分かることは、自分の目標が他人からどう見えるかなんてどうでも良いということだ。むしろ馬鹿馬鹿しい方が良いのかも知れない。誰かに作られたものではない証拠だからだ。そして分解できないところまで自分の感情を分析してもなお残るものこそ本物だ。やさぱす氏は臆面も無くこう断言する。「バリのリッツカールトンに泊まり続けたい」。なんて馬鹿馬鹿しく、素晴らしいのだろう。いやいや分解できるじゃん、と真っ先に思った私は洗脳されコモディティ化した医師なのかと悲観した。こんな目標を本気で掲げて真摯に向き合い逃げない姿勢は筆舌に尽くしがたい。

目標から逃げないと決めたとき、手段の選び方は重要だ。彼はこの目標は勤務医でも開業医でもたどり着くことが出来ないと確信した。不労収入こそリッツカールトンへの切符になると結論づけたのだ。そして彼は医師の最たるアイデンティティであるやりがいと名誉をいとも簡単に投げ捨て、寝当直と検診にシフトした。洗脳から解き放たれた天才が目覚めた瞬間だ。そしてサウザー氏を訪ね共にボロ戸建てに息を吹きかけた。目標の達成には師は欠かせない。実存するなら直接問うのは必須であり、共に戦うのは最強の一手だ。

だたし私や貴方が不労収入を得たいと考えたとき、不動産が最適解かは一度立ち止まって考える必要はある。何故ならサウザー氏は不動産を持っていたし、やさぱすパパは大工だ。我々は皆、自ら備わった能力の他に持ち得る能力がある。それは親の生き様だ。親の経験は間接経験として自ら機能させることが可能だ。親は時代を遡った自分そのものだからだ。生存バイアスを除いて期待値で考えられるかは難しいところだが、参考にすべき先人であることは間違いない。ここに気付き利用できるかは、誰もが持ち得る成功への鍵なのだ。

そして使う手段は法に準じていなければならない。しかし真正面から準じることが上位構造の養分となるリスクは自覚すべきだ。このリスク回避には一次情報を分析する能力が必要だ。これはコモディティから抜け出すための重要な能力である。通常は一次情報にアクセスする前に、経験者の話を聞くことは多い。白熱教室の中で紹介されている、やさぱす氏とサウザー氏による「残置物の扱い方」は必聴である。サウザー氏がユーモア混じりで語るこの場面を、応用して自らの武器に昇華させたとき、得られる利益は1時間足らずの白熱教室の価格より桁違いの価値になるだろう。

貴方には捨て去った夢や目標は無いだろうか。やさぱす氏からそう問われたら、私はなんと答えよう。人生に酸っぱいブドウはあっても良い。そう考えることで人格崩壊が回避できることもあり得るからだ。ただ中途半端な挑戦で諦め遠目にみたまま悪態ついたブドウの存在を、人生最後の走馬灯で見てしまったとき私は何を思うのだろう。

もし貴方が本気で阿片窟に飛び込む覚悟があるならば、やさぱす氏は貴方と一緒に歩む覚悟を持っている。最後に問おう。「貴方の目標は何か」と。

蛇足だが、私の5才になる長男の誕生日プレゼントが仮面ライダーの変身ベルトであったことは言うまでも無い。


著:ソーダ

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