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「ムカつくあいつら」を合法的に殺す方法、が蔓延する社会と戦っているあいつらを合法的に殺す方法、に対して抗うことはできるのか?桐野夏生『日没』感想

※それなりにネタバレがあるような気もするので、その前提で読んでください。あと最後まで無料で読めます

恥ずかしい黒歴史が現実になっちゃうことも、ある

入学時のコミュニケーションに完全失敗し、友人ゼロの暗黒時代だった高校時代、まっとうに友人をつくり「リア充な高校ライフ」を送っているあらゆる生徒が妬ましくしょうがなく、「通学途中とか集会中とかにテロリストが来てこいつら全員殺してくれないかな…」という妄想をほとんど毎日のように繰り広げていた。

いじめに遭っていたわけでもなし、彼ら彼女らに何の罪もない、100%自分のヒガミ根性から生じる、誰からも擁護されない言いがかりであることは当時の自分にもわかっていた。それでも「あいつらがムカつくから何か理由をつけてどうにかしてやりたい」という感情は湧き出てくるし、「君の気持ちもわかるよ」と言われたくて仕方なかった(幸いにも言われることはなかった)。MDの音量を最大にしてナンバーガールやソニック・ユースやゆらゆら帝国なんかを聴いている時だけ、その感情を押さえつけることができた。

(実際は演劇部に3年間所属していたので「誰とも話さない」というようなレベルではなかったし、高校の演劇部は大抵女の園なのでそれなりに色恋すったもんだもあったけれど、学校帰りですらない完全オフ日に誰かと遊びに行ったことは本当に数えるほどしか覚えていない。ただ土日も部活や予備校の予定がガンガン入っていたのでやることには事欠かなかったし、後に自分が「オフ日くらい1人で好きなことをさせてくれ。休日まで平日のコミュニティで過ごしたくない」という傾向がかなり強いタイプだということにも気付かされたりもする)

あれから20年以上が経ち、当時の自分の感情が世界を覆うとどうなるか、ということをシミュレートしたらこうなるんじゃないか、と思えて仕方ない小説が登場した。それが桐野夏生『日没』だった。

本の帯には

ポリコレ、ネット中傷、出版不況、国家の圧力。
海岸に聳える収容所を舞台に
「表現の不自由」の近未来を描く、戦慄の警世小説

とあるけれど、これはもはや「釣り」レベルのミスリードをあえてやっているというか、釣られている人をSNSであぶり出すことによって本書の重要性を高めるダシに使うような、ある種の皮肉めいた悪意すら感じてしまう。岩波書店のTwitterアカウントですら言及ツイート全RTとかやる時代!出版不況!!!

本作は性描写がメインの小説を数多く発表する女性作家、マッツ夢井のもとに、総務省傘下の「文化文芸倫理向上委員会」からの召喚状が届くところから始まる。指定された駅に向かうと、断壁に経つ海辺の療養所(という名の強制収容所)へ収容される。なぜマッツが収容されたかというと、彼女が「レイプを推奨するような小説を書いたり、別作品では子供を性対象にするような男を描いた」という「読者からの通報」があったからだという。療養所所長の多田はこんなふうに理由を説明する。

「一年半前に、ヘイトスピーチ法が成立しましたね。これを機に、ヘイトスピーチだけでなく、あらゆる表現の中に表れる性差別、人種差別なども規制していこうということになったのです。それで、私どもは、まず小説を書いている作家先生にルールを守って貰おう、ということになったのです。それは法的根拠としてありますので、私どもは違法行為をしているわけではない」(P60)

もちろん、マッツはすぐさま抗議をするが、多田の反論はこうだ。

「そもそもヘイトスピーチは、表現ではありません。あれは煽動です。差別そのものです。でも、芸術表現は創作物なんですから、創作者が責任を持つものです。一緒にするのは間違ってます」
私は必死に無力感と戦いながら言った。
「先生、文句は政府に言ってください」(P61)

「非があるムカつくアイツ」が死んだら、自分は「ざまあwww」と思うだろうか

「反リベラル」感情を訴える人たちは、こういう作品を読むと大抵、中国の文化大革命やカンボジアのクメール・ルージュの例を引き合いに出し「自分たちの理想とやらのために、喜んで表現規制に賛成して他者を迫害するのはいつだって左派とフェミじゃないか!」と熱弁を振るう。だが、療養所に収容された作家はそうした「ポリコレ違反小説」の書き手だけでない。政府批判や反原発を訴えた作家ですら「社会風紀を乱す」として少なからず収容されていることがわかってくる。政府批判や反原発は、果たして「理想のために他者を迫害する行為」なのだろうか。

20世紀には帝国主義の名の下に市民の弾圧が起こり、その次は共産主義の名の下に市民の弾圧が繰り広げられたのはなるほど事実ではある。では、21世紀(以降だと思われる)の『日没』世界の作家収容所は、それらに類するような「思想」のもとに存在するのだろうか。作中ではそうした描写は一切ないし、たぶん無いのだと思う。

あるとすれば、それはやはり「あいつらがムカつくから何か理由をつけてどうにかしてやりたい」という欲望だけで、ポリコレだなんだというのは取って付けたような「それっぽい」理由を添えるためだけに選ばれているのだろう。いわゆるポピュリズム政治ってやつですかそれは、なんて言った日には「ポピュリズム野郎はむしろお前だ!」という反論が取って付けたような理由を添えてこちらに向けられるに違いない。

岩波書店アカウントがバッチリRTしているTogetterまとめ「ポリコレが蔓延し表現の自由がなくなった日本を書いた、桐野夏生のディストピア小説『日没』が怖すぎると話題に(https://togetter.com/li/1610853)」には、こんなコメントがついている。

ところがポリコレ屋さんは「これはアベが進めるファシズム化の末路を描いた作品だ!」で大絶賛中なんですわ・・・。人は見たいものしか見ない
だってこういう発言、執筆意図https://tanemaki.iwanami.co.jp/posts/4031 を読むと、ヘイトスピーチ規制法が言論弾圧にすり替えられる危惧をしているのに、野党がどんな役割を果たすべきかには触れてないんだもの。この作者、そもそもがパヨクでしょ。

ぼくは自分の政治志向が彼らの言う「パヨク」寄りなので、このコメントに対しては「プッwwwバカじゃねえのwww」と吹き出し、「見たいものしか見てねえのはどっちだよwww」と煽りリプライのひとつも入れたくなってしまうのだが、彼らはきっと本心からこう思って大真面目にコメントしているだろう。

例えば「百歩譲って安倍政権まではギリギリその反論は当てはまったかもしれないけど、菅政権に入ってソッコーやらかした日本学術会議問題なんか典型的なそれとしか言いようがないんじゃないの?」と反論できるかもしれない。ただ、彼らからすれば論点がズレているのだろう。

自分たちが特段問題ないと思っているモノ・コトをなんか知らんけど反対して攻撃してくるのはいつだって「パヨク」の側であって、あいつらが攻撃してくるから自衛しているだけなんだ、という感じだろうか。「パヨク」という蔑称を使う人間を、左派は「ネトウヨ」と規定して批判しがちだが、もはや左派・右派といった「思想」の問題ではないだろう。

フェミやポリコレ棒がうんぬん→それを推進するのは「パヨク」であるから批判し戦わなければならない→「パヨク」を否定する言説を探すうちに、「反日」というワードを獲得する者も現れる

といったように「義憤を発露できそうな伝言ゲーム」が無限に展開されているような気もする。そしてもちろん、それは左派の間でも似たようなことが起こっている。

『日没』世界に登場する療養所の描写は、アウシュビッツやシベリアの収容所も想起させるような、ねちこっくて陰惨さマシマシのうんざりするようなものだ。特に繰り返し描かれる、残飯さながらの酷い食事(しかも予告なくナシになったりする)がだんだんと唯一の楽しみになっていく様は、こうも簡単に人間の心を壊すことができるのか、と恐ろしくなってくる。

本書は終始主人公であるマッツの視点で語られているので、そうした無数にある陰惨さの一つとして目立ちはしないが、収容者の世話係の一人である女性、「秋海」とマッツの会話でこんなシーンがある。

「コムギ何ちゃらってさ、グルメ気取ってるでしょう。どこそこ行って今日は何食べたって。ツイッター読んだら、毎日すごいもの食べてるじゃないか。銀座で高級鮨に行ったり、ミシュランの三つ星レストラン行ったりしてさ。あれって、どこからお金出てるの? 出版社から出てるの? まさか自前じゃないよね」
(略)
「あいつ嫌いだよ。顔も結構可愛いし、スタイルいいのに、変なペンネームにして目立とうとしている。コムギがここに来ればいいのに。そしたら、不味いもの食わせて苛めてやるんだ」(P152)

読み進めていくと療養所のスタッフ各人が鬱屈した思いを抱えている「らしい」ことがわかるのだが、それが本当なのかは謎のままだ。そしてこれは自殺者がガンガン出ている「収容所」での話である。いくら相手が「責められるべき悪いヤツ」だったとしても、自分の行いによって死んでしまったら後味の悪さを感じてしまうんじゃないだろうか。

高校時代の自分だったらどう感じていただろう。さすがに亡くなった人はいなかったけれど、クラスメイトでも理由はわからないが何人か中退した人はいた。あの時は「戦争で自分の部隊のメンバーが死んでしまった時はこういう感覚を覚えるのかな」と思っていたような気もする。気の毒だとは思うけれど、自分も同じような状態に陥ったっておかしくないよな、と思っていた気がする。でも、特にムカついていた彼や彼女だったら…?「ざまあwww」と思っていただろうか。

今の自分は「考えたくないな」と思っている。でも、Twitterで見かける「非があると感じるムカつくアイツ」が同じような目に遭ったら…………?

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