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学振内定から実際に新聞社を退職した話

前回は学振申請までを書いた。今回は内定後、実際に退職した体験談。9月末の結果通知を受けてから大学院入学前までを綴る。

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何事もなかった6〜8月

学振申請後、6月に入ると緊急事態宣言や変則的な決算期が終わり、慌ただしかった記者業が落ち着き始める。これ幸いとロードバイクを購入して乗り回したり、無水鍋にハマって蒸し料理ばかり作ったりと、心に余裕も生まれていた。

前職では5日間、好きな時期に夏休みを申請できる。筆者は9月の23~25日に休みをとった。2020年9月は21、22日が連休で、直後に休暇をつなげた形だ。「Go Toトラベル」を活用しつつ、大学の研究室へ泊まりがけで遊びに行った。

先生に会うと、当然話題は学振の話になる。結果はいつ出るのか、例年だとそろそろか、今年は新型コロナの影響で発表が遅れるのか…

「もし落ちたらどうするか」も話題のひとつだ。もちろん再挑戦するつもりだが、難しいだろうなとの諦念もあった。申請書執筆中、1年以上のブランクを実感したためだ。研究から離れる期間が長いほど知識の穴は増え不利になる。卒業後の年齢も気になり始めるだろう。見通しは厳しかった。

運命の9月25日、逃した喜ぶタイミング

25日、遊びに行った研究室から自宅への帰路の途中。一本の電話が入る。画面表示には先生の名前。てっきり何か忘れ物をしたのかと思うも、あいにく特急電車に乗車中だ。後で折り返すと伝えるため、小声で電話に出る。

「先生すみません、今電車内で…」

「あ、本当ですか。とりあえず結果が発表されたようですね。おめでとうございます」

「え?」

「あれ?まだ連絡きてないですか?」

「…確認して折り返します、少々お待ちください!」

動揺しながら車両デッキに移動。スマホにイヤホンを装着。電波状況が悪くなかなかメールボックスを開けないが、程なくして新着メールの通知が入る。タイトルは"【日本学術振興会】特別研究員の選考結果の開示について"

本文中にあったメールのURLから電子申請のサイトに飛ぶ。パスワードとIDを思い起こしながらログイン。なかなかページが開かない。かたや、内心では先生からの「おめでとうございます」がリフレインしていた。

やっと開いて確認。審査結果詳細の下に"採用内定"の四文字。見つけた瞬間の感想は「やっぱりそうか」だった。

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どうやら本人以外に、受け入れ先の大学側にも通知されるようだ。先生からの祝辞が図らずしもネタバレになってしまい、内定に喜ぶタイミングを逃していた。しかも場所は電車内。歓喜の声をあげることもできない。

やむなく無言でひとりガッツポーズ。その後で先生に電話を折り返し、まずは感謝の言葉を伝える。先生は「もう1日発表が早かったら研究室で喜べましたね」と笑い声だった。

夏休み明け10〜12月、いざ退職

進路は決まった。次に進めるのは社内の手続きだ。休み明けの10月、早速職場の上司である支局長に話す。ちょうどキャップ(現場のリーダー的なポジション)が長期休暇に入る時期だったため、思い掛けず便乗する形になった。

支局長は非常に驚いていた。というのも、筆者自身が20年3月末に異動して来たばかり。次の異動まで2〜3年の付き合いになるだろうと思っていた矢先、まさかの退職宣言である。支局長が戸惑うのも無理からぬことだった。

退職時期と理由を確認、「まずは部長に報告だな」となる。メールと電話でアポイントをとり、所属部署のトップに直接事情を説明した。部長は大学院へ戻る経緯について何点か筆者に質問、特に進路確定の時期といつまで勤務できるのかは話し合いの後にメールでも確認された。

大詰め1〜3月、退路のない大学院入試

3月末に辞めるとなれば2月の経営会議で人事を固める必要があり、その前の1月末までには退職願の提出が必要だ。職場の同僚はともかく「前部署や社内への退職報告は2月以降にしてね」となる。

ちなみに、まだ"大学院入試に落ちる"という大逆転の可能性があった。学振の受給条件に「4月1日に大学院博士課程に在学」とあるので、入試で落ちたら当然研究奨励金は受給できない。

しかし、大学院入試の受験日が2月中旬、結果発表は3月上旬だ。合否は退職手続きが終わってから確定する。筆者の抜けた穴を埋める後任は既に決まっており、万が一ここで落ちても退職取り消しはできない。

なので入試は緊張した。仮に落ちたら路頭に迷う。笑い話にもならない。

試験はオンライン面接で自宅受験。休暇を事前にとって対策していたが、久しく研究の発表をしていなかったせいか支離滅裂な説明をしてしまう。英語の口述試験もあやふやな回答だ。

結局、万が一もありうる曖昧な手応えに。そのため試験直後から3月上旬までは不安な心持ちで過ごした。合格発表日に自分の受験番号を見つけた時の安堵感は、学振の結果発表を上回るものだった。

4月、そして博士課程へ

進路は確定した。晴れて取材先や職場内に退職の挨拶やメールを送信、後任への引き継ぎ資料もコッテリと作った。有休消化に入るまで記事の出稿数を増やし、紙面に貢献し続けた(はずだ)。

仕事としての責任もあるが、もし新聞社へ再就職したくなった時のため、波風立てず円満に退職したい意図もあった。円満に退職できたかどうかは…3年後に中途採用で面接を受ければ、あるいは分かるかもしれない。

以上で新聞記者が学振の申請から実際に退職した体験談を終わりとする。社会人などで、DC1の申請を検討している方の参考になれば幸いだ。

なお、国民健康保険料や失業保険、税金などお金に関する話は、実際に研究奨励金の受給が始まり色々明細が分かったら書こうと思う。

ではでは。 (fisheye)



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