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照れて言えないものだから


2024年9月24日(火)朝の6:00になりました。

いいことを照れもせずに言うやつは、みんな疑ったほうがいいぞ。

どうも、高倉大希です。




照れくさくて、言えない。

そんな言葉が、生活の中にはたくさんあります。


そんな照れくささが、まわりくどさを生み出します。

そんな照れくささが、新たな表現を生み出します。


「月が綺麗ですね」の裏側には、きっと照れくささがあったはずです。

「どうしてあなたはロミオなの」の裏側にも、きっと照れくささがあったはずです。


どうしようもないことを好きなように書く。その瞬間は純度の高い阿呆になれる。それを繰り返すと、自分が阿呆の膜に覆われていく。阿呆の膜に守護されている時だけは恥ずかしいことから解放される。

又吉直樹(2023)「月と散文」KADOKAWA


わたしのこと すき?

はい  いいえ


ほぼ日(2021)「糸井重里が語るMOTHERのことば。」より


ファミコンのゲームソフト、『MOTHER』の1シーンです。

まっすぐすぎて照れくさいこんな言葉も、ゲームの中だと成り立ちます。


つくり手の糸井重里さんは、このシーンについて以下ように述べています。

「こういう場面を描きたくてゲームをつくってるみたいなところがありますよね」


ファンの方のコメントで、「『わたしのことすき?』と聞かれて、照れて、どうしても『はい』が選べず、『いいえ』を選んだら、そのまま進行して、とうとうエンディングまで行ってしまった。だから『はい』とあの場面で答えるために、もういっぺん最初からやり直しました」というのがありました。

ほぼ日(2021)「糸井重里が語るMOTHERのことば。」より


あと10秒で、世界が終わる。

そんな瞬間がもしもきたら、その10秒できみに触る。


それ以外は、ねぇ。

何も、ねぇ。


ART-SCHOOL の、『あと10秒で』という曲の一節です。

欲望に正直すぎて気持ちの悪さすら感じるこんな言葉も、音楽の中だと成り立ちます。


生きることは、ある意味で何かをさらけ出しているわけで、恥ずかしいことでしょう。生きることじたい、恥さらしみたいなもんです。でも、それを恥ずかしいと決めつけてしまったら、窒息しちゃいますよね。絵を描くことも、「さらけ出しながら生きていく」というのと同じこと。それでいいんじゃないかな。

横尾忠則(2021)「YOKOO LIFE」ほぼ日


照れずに、まっすぐな言葉をつかえるようになりたいものです。

それと同じくらい、照れくささを失わずにもっていたいとも思います。


毎朝書いているこの文章だって、照れくささというフィルターを通っています。

本当は照れくさいけれど、6:00になったらえいやっと投稿ボタンを押すわけです。


どうにも、照れて言えないものだから。

どうにか、それを言うための工夫をします。







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