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暇という不幸せ


2023年4月27日(火)朝の6:00になりました。

変な夢を見ていたら、変なJPEGも増えた。

どうも、高倉大希です。




教員免許こと「教育職員免許状」を取得するためには、必要な単位数の講義を履修する必要があります。

その中には、実習に行く必要がある単位が、ふたつ内包されています。


ひとつは、教育実習。もうひとつは、介護実習です。

教育実習は、おそらくみなさんもイメージしやすいと思います。

数週間、学校現場に出向いて教職員の実態を学ぶための研修を行います。


意外と知られていないのが、介護実習です。

いわゆる「老人ホーム」と呼ばれるような場所で、数週間の実習を行うのです。


世の中にヒューマンエラーはない。あるのはシステムエラーだけだ。「人に失敗させるシステム」にこそ問題がある。なので、個人を吊るし上げたところで事故の「原因」は取り除けない。事故の原因を取り除かない限り、また同じ事故が起こる。

西野亮廣(2023)「夢と金」幻冬舎


もちろん人によりけりですが、この介護実習がまあ大変でした。


1日のはじまりは、フロアの掃除からはじまります。

各部屋を順番にまわって、掃除機をかけていくわけです。


正直に言うと、掃除はまったく苦ではありません。

利用者が清潔な環境で過ごせるのなら、それに越したことはありません。

問題は、掃除が終わったそのあとです。


2〜3時間ほどの「コミュニケーションの時間」がやってきます。

高齢者の集まるロビーのような場所に、ポンと放り出されます。


一生懸命コミュニケーションをとろうとするのですが、なかなかこちらの意図したやりとりができません。

話しかけるも、聞こえない。話しかけるも、わからない。

これを2〜3時間、ずっとくり返すのです。


人間は元来、「対話」を欲してはいません。価値観が近い気の合う仲間だけで楽しく暮らしていけるのであれば「対話」は必要ない。「会話」だけで十分なのです。しかし、もはや世界に出るまでもなく、日本社会も多様化が進んでいますから、「会話」だけでは対応できない。

平田オリザ(2022)「ともに生きるための演劇」NHK出版


仮に相手がお年寄りでなかったとしても、はじめての人たちが集まる場に丸腰で2〜3時間は、なかなかにハードです。


なんとかお役に立てないものかと、車椅子を押そうとします。

すると、職員の方から「なにかあっては困るから」と、静止させられてしまいます。


なんとかお役に立てないものかと、食事のサポートをしようとします。

すると、職員の方から「なにかあっては困るから」と、おなじく静止させられます。


要するに実習生は、明確な役割を与えられないままに、どうにかこうにか「コミュニケーションの時間」を過ごすしかないのです。


コミュニケイションの得意な人は、常に「元気で明るい人」ではありません。常に「元気で明るい」状態は人間として不自然です。常に「元気で明るい」という呪縛が「コミュニケイションが苦手だ」という意識を持つ人を大量に作っていると、僕は思っています。

鴻上尚史(2013)「コミュニケイションのレッスン」大和書房


この経験を通して、「役割」の重要性を痛感しました。


役割が明確になるからこそ、足りないスキルを自覚します。

そして、そんなスキルを身につけるために、目標を設定し、努力を積み重ねます。


そもそもの役割が明確になっていなければ、どうしようもありません。


まずは、与えられた役割を全うすること。

そして、さらなる役割を自ら取りに行くこと。

最終的には、他者の役割をつくり出せるようになること。


この循環がまわるからこそ、挑戦の連鎖が起こります。

役割が人を動かし、役割が人を成長させます。


言い方を変えるなら、人の変容を生むためには、役割を譲渡するしかないのかもしれないというお話でした。






サポートしたあなたには幸せが訪れます。