見出し画像

あいつの痛みはあいつのもの


2024年8月13日(火)朝の6:00になりました。

ただいちどの微笑みが、あんなに上手に喋るとは。

どうも、高倉大希です。




あいつの痛みは、あいつのもの。

分けてもらう手段が、わからない。


だけど、力になりたがる。

こいつの痛みも、こいつのもの。


BUMP OF CHICKENの「真っ赤な空を見ただろうか」の一節です。

冷たくもあり暖かくもある歌詞は、フロントマン藤原基央の得意技です。


わかりあえないというところから歩きだそう。湿潤で美しい島国で育った私たちには、それを受け入れることはつらく寂しいことかもしれない。「柿くへば」を説明することは、とても虚しいことかもしれない。しかし、おそらく、そこから出発する以外に、私たちの進む道はない。

平田オリザ(2012)「わかりあえないことから」講談社


風邪をひくたびに、「風邪ってこんなにしんどかったっけ?」と思います。

そのくせして、平常時は「風邪なんて大したことないでしょ」と思っています。


自分の痛みさえ、簡単に忘れてしまいます。

他者の痛みなんて、わかるわけがありません。


簡単に「あなたの痛みがわかる」と言う人は、信用ならないなと思います。

体験の類似性とそこで個々が感じる痛みは、まったくの別ものです。


いちばん危ないのが、客観性を手に入れたと思った時の意見の揺るがなさ(笑)。自分は客観的だと思っているから非常に厄介ですね。そう考えると、僕らが到達できるところは、せいぜい「客観的ではないかもしれない」と疑いをもつろことまでかもしれない。

為末大、今井むつみ(2023)「言葉、身体、学び」扶桑社


子どもが転んでしまったときに、大人が過剰に心配します。

そんな大人の姿を見て、子どもは大ごとだと判断し、えんえんと泣きはじめます。


一方で、大人が落ち着いて対応すると、子どもはすぐに泣き止みます。

数分もすれば、まるで何ごともなかったかのように、子どもは遊びはじめます。


実際の痛みは、自分にしかわかりません。

他者が心配したところで、痛みが変わることなどないわけです。


「あなたのためだから」と言いながら、結局は自分が相手をコントロールしたいだけなのです。ですが、ひとはしばしばその事実に気づかず、忘却し、自らうちなる矛盾を抱え込むことになる。

近内悠太(2024)「利他・ケア・傷の倫理学」晶文社


ため息のわけを、聞いてみても。

自分のじゃないからわからない。


だからせめて、知りたがる。

わからないくせに、聞きたがる。


わかるために、聞くのではありません。

わからないくせに、聞くのです。







サポートしたあなたには幸せが訪れます。