英語民間試験についての私見②導入に対する反対意見(4)

前の記事に続いて、こちらのテーマです。

今回は、反対意見の

(4) 各大学の自律的な判断が損なわれる可能性

(5) 英語の「4技能」偏重の問題

について検証したいと思います。引用資料はこちらです。


(4) 各大学の自律的な判断が損なわれる可能性

 入学者選抜の方法はアドミッション・ポリシーや教育理念に基づいて各大学が自律的に決定すべきものであるが、国立大学協会の決定はそのような自律的判断を損なう可能性がある。

上記の指摘はもっともです。一方で、一次試験として最低限のふるいをかけるために、共通のツールを用いることが問題だとすると、現行の大学入試共通テストや過去のセンター試験、共通一次試験等も否定することになります。


(5) 英語の「4技能」偏重の問題

 外国語教育は、他者理解・自己相対化の礎となるはずのものである。そのような理念を等閑視した皮相の4技能論に基づく教育改革・入試改革は、グローバル化する社会に求められる能力の育成にはつながらない。
 このような他者理解と自己相対化を可能にする外国語教育こそが、急速にグローバル化する社会で求められる人材の育成に資するはずである 。いうまでもなく、このような目的の達成には、学ぶ外国語を英語に限る必要はない。
 そのような議論を棚上げにして、単に4技能を計測しているという理由で大学入学共通テストに民間試験を導入することは、中等教育における英語教育が「民間試験対策」に追われるような事態を招きかねないが、それは是非とも避けなければならない。

「学ぶ外国語を英語に限る必要はない」という点はおっしゃる通りです。そうした問題意識を持ってか、英語以外の言語を追加的に学べる高校もあります。

しかしながら、第2回の記事で示した通り、日本の教育課程において英語をカリキュラムに組み入れることは、学習指導要領(≒最低限の教育的目標)に記されていることであり、これについての変更の議論は別のベクトルの話です。よって、英語民間試験導入の是非と同時に議論すべき内容ではないといえます。

また、「英語教育が「民間試験対策」に追われるような事態を招きかねない」とありますが、この見解は2つの観点から分析する必要があります。


第一に、「既存の」外国語教育はスピーキングを無視するものではなく、4技能を総合的に伸長させることを目標としています。


「【外国語編 英語編】高等学校学習指導要領(平成30年告示)解説(P.12)」から引用します。

第1 目 標
外国語によるコミュニケーションにおける見方・考え方を働かせ,外国語による聞くこと,読むこと,話すこと,書くことの言語活動及びこれらを結び付けた統合的な言語活動を通して,情報や考えなどを的確に理解したり適切に表現したり伝え合ったりするコミュニケーションを図る資質・能力を次のとおり育成することを目指す。

問題は、従来から4技能伸長を目指していたのにも関わらず、スピーキング能力の向上を政府が課題と認識していることです。

なぜスピーキング能力が向上しないかについて、「入試で課されていないから、多数の生徒が真剣に取り組まない」という側面があることが予想されます。


次に考えるべき点として、従来の学校教育は「筆記等の大学入試対策」に追われるような事態となっていたのでしょうか。

これに関しては、個々の学校の個体差があると思われます。

仮に「筆記等の大学入試対策」に追われていたとすれば、それは英語民間教育の問題ではなく、高大接続段階の構造的問題だと思われます。

また、「筆記等の大学入試対策」に追われていなかったのであれば、英語民間試験を導入しただけで、急に従来と方針が変わり、学校が試験対策に追われることになるという論理を導くのは困難です。


まとめ

以上が、英語民間試験導入反対派の主張を分析したものになります。

結局のところ、主張に致命的な欠陥がないのは以下の2点と思われます。

①出題・採点の質および公正性の担保が不透明である点

②試験実施にあたり、人員の確保が困難である点

上記2点を踏まえて、次回は筆者の見解を述べたいと思います。

最後まで読んで頂き、誠にありがとうございました。

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