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【非常識家の常識】

幼き頃から僕は「常識的に考えろ」と言われ続けてきた。

昨日僕は児童たちに「常識というものを考えろ」と語った。

療育という仕事をしていると、度々発達障害というのは人から嫌われる障害だなぁと感じる。

特に、大人からはよりそれが態度に出されやすいものだろうとも感じるところだ。

僕は生まれつき生粋のAD/HDで、短い期間ながら通った保育園ではお昼寝の時間になると外へ出かけようとし、活動の時間になると1人で昼寝をしだし、散歩になれば隣の子と繋いだ手を振り解いて花や蝶が舞う場所へ駆け寄るなど、とにかく大人から見たら筆舌に尽くしがたいほどにワガママで自分勝手な、掴みどころのない人間だったであろうと思う。

そんなものだから小学校では不登校で四年生まではほぼ家におり、学校の中では同級生からも上級生からも「変なやつ」と認識されており、それでもそこまで自分はそのことについて気に留めていなかったので、授業の一環で行ったディスカッションの際には、討論相手の女子に対して空気を読まずに理屈の根拠を求めたり揚げ足を取るなどして、見世物小屋のような盛り上がりは得られたもののその後に大いに顰蹙を買ったのは今でも覚えている。


小学校を卒業しても、そういった所謂「理屈人間」の部分は変わることなく、僕が「全然」という言葉を「全然良い」などの肯定系として扱った際に、学校の先生か母親かのどちらかに「全然は否定の表現として扱うものだ」と指摘を受け、

「芥川龍之介も羅生門の中で『全然,自分の意志に支配されてゐるといふことを意識した。』というように「全然」という言葉を用いている。『全然』は元来『全く、100%』という意味を持つ言葉であって、それを否定系として使うことが多くなってきたのは大正以降のことであって、肯定の形として扱うのはなにもおかしいことではない。」と持論を述べたところ、「屁理屈を言うな」と理不尽に思えるお叱りを受けたことを今でも鮮明に記憶している。

中学一年生の冬くらいの話である。

ハッキリ言ってこの話に関しては、今でも理屈として自分が間違えたことを言ったとはまるで思っていない。

むしろ、大人がそこで「マジで?ごめんだとしたら自分が間違えていたかも。ちょっと調べてみるね……」と言ってくれてたとしたら、こちらも「いえいえ、なんかすいませんね……」と素直に謝れていたことだろうと思っている。

当時の自分にとって(今でもまだ完全には抜けていないが)「正しい知識、根拠 こそが『善である』」というスキームがあった。

なので、どんなに相手が内容として良いことを言っていたとして、そこに確かな根拠がない限りは「それは感情論ではないか」という気持ちに支配され、素直に受け取ることができていなかった。

むしろ、ハッキリ言うと見下していた。

しかし、これは世においては非常識であるということを、中学ニ年生の時には理解した。

『理屈で間違えていないが、人の世の渡りかたとしては非常にマズい」ということに気がつけた。

即ちこれは、先に述べたように僕は元来の性が非常識人であるため、常識を学ぶことによって世界が広がっていったという過程を示すものだ。

中途半端な非常識家というのは、自分たちに対して選民感を抱いているものの、結局は自らの世界の中のみで生きているに過ぎないから、どんなに深い世界観を構築していると自負したところで、それはただ一直線に地面を掘り進めているだけであって、ワイドな世界を知ることができない。

それは即ち、「教養がない」ということである。

今の僕は、少しは教養人になれたこととは思う。

しかし、過去の僕というものは、明らかに教養人のそれとは全く真逆の世界の中で生きていたに違いない。


僕自身はASDの診断はついておらず、発達障害という点においてはAD/HDのみの診断であるため説得力に欠けるかもしれないが、『ASDの克服というのは世界を広げていくこと』だと思っている。

かつての自分自身のように、囚われた知識の世界の中で世界を知った気になるということは、深いようでとても浅はかなことであると思う。

真の教養というものは、知識と体験の両方を積み上げ、世界を楽しむ力をその身に落とし込むことに他ならないのだ。


さて、このように今僕が考えられるようになったのには訳がある。

それは「常識的に考えろ」と多くの人に言われ続けてきたからである。

かつての僕にとって「常識」は存在しなかった。

世界というのは無数にあり、人の数だけ常識があり、民族の数だけ、地域の数だけ、集団の数だけ常識があると考えていたからである。

しかしあまりにもそれを言われ続けるせいで、僕は考えた。

「いったい自分のなにがそんなにいけないのだろう」

「なぜ、そんなにも多くの人が口を揃えて同じことを言うのだろう」

「常識というのはなんだろう」

「自分はそんなにもいけないのだろうか」

「しかし、ここまでおなじことを言われるということは、やはり自分が理解しきれてない、多くの人が自然と持ち合わせている共通観念のようなものが存在するのだろ」

そんなことをずっと考えているうちに、僕はいつのまにか人よりも鋭利な観察眼と、人にコミュニケーションの技法を伝える役割を持つ人間になっていた。


世に多くの療育論というものかたくさんあるものの、僕は思う。

1人の当事者として確信しているのが「いくら優しい言葉で『答え』を教えられても、自分自身が本当に困って悩まない限りはいつまでたっても他人事」ということだ。

僕は今、借金が100万以上ある。

かつては寝坊遅刻ドタキャン酒乱かつ無職の日々を送っていた。

どれだけ人に言われても、どれだけ人に迷惑をかけても、自分自身が本当に傷つき、困るまで、僕は僕のルーズさに向き合うことはできなかった。

もちろん、すべての発達障害者が僕のように自堕落な人間であるわけでもないし、本当にどうしようもなくなる寸前まで改善をしない人間ばかりであるとも思っていない。

あくまで、「1人の当事者として」である。

しかし、1人の当事者として、或いは人間として言えるのは、「人は背水の陣にならない限り、自らの課題には向き合わない」ということである。

純粋に楽しくて、競技性や向上の魅力を見出している場合は別として、自らの人間的な部分においての成長というところは、痛みを伴わない限りは起こり得ないのではないかというのが僕の極論である。

僕は幼い頃から「常識的に考えろ」と言われるのがとても嫌だった。

「常識とはなんぞや」と常に考え続けた。

常に考え続けたからこそ、なにが他人に不快感を与えていたのかがわかり、人生に対する哲学が深まった。


常識家が非常識家になることはできない。

しかし、非常識家が常識家になることはできる。

これは、非常家にとってとても美味しい話であると思う。


僕は昨日、多くの非常家達に対して「常識というものを考えろ」と伝えた。

僕がこれまで言われてきた「常識的に考えろ」という言葉よりも、だいぶ優しくて親切な言葉だと我ながら思う。


表面的なコミュニケーションのスキルというものは、型さえ覚えて仕舞えば誰でもできる。

しかし、そこに至誠はあるだろうか??

悩みに悩み、考えに考えた末に心が育ち、思考力が養われる。

そして児童が考えたとしたら、それが所謂「常識的」であろうがなかろうが、「考えてきたこと」自体に敬意と承認の言葉を与えて、同時にヒントも与え続ける。

我々非常識家が心を成長させるには、こうした取り組みというのは非常に有意義なものではないだろうかと思う。

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