DXがもたらす産業構造変革と企業の勝ち筋 ~マッキンゼー分析フレームワークによる産業構造変化の考察と戦略的示唆~
エグゼクティブサマリー
デジタルトランスフォーメーション(DX)は、各産業のバリューチェーンにおける価値の源泉を大きく変化させている。日本は世界デジタル競争力ランキング2022で29位と、その競争力を過去10年で9位ランクダウンさせており、抜本的な改革が必要な状況にある。
本稿では、産業構造の変革を「アーキタイプ分析」と「データレイヤー分解」という2つの視点から整理し、勝ち筋となる戦略オプションを提示する。ここでいう「勝ち筋」とは、単なるデジタル化ではなく、DXを通じて持続的な競争優位性を確立するための戦略的方向性を指す。
重要な示唆
産業構造変化は5つのアーキタイプに分類可能
これらのアーキタイプは相互に排他的ではなく、一つの企業が複数のアーキタイプを同時に追求することも可能
勝ち筋は3つのデータレイヤー(取得・分析・接点)の押さえ方で規定
全てのレイヤーを押さえる必要はなく、自社の戦略に応じた重点領域の選択が重要
B2B/B2Cで異なる戦略アプローチが必要
特にB2B領域では、顧客企業のデータオーナーシップを尊重した段階的なアプローチが鍵
産業越境には「企業価値経営」への転換が必須
従来の収益重視の経営からの脱却と、積極的な投資判断が可能な経営体制の構築が必要
1. DXによる産業構造変化の分析フレームワーク
1.1 価値提供の進化
従来型の「経済合理性」(より安く、より効率的に)を超えた3つの新たな価値提供が出現している:
Freedom(生活の自由度向上):
時間的制約からの解放:自動運転による運転からの解放
空間的制約からの解放:VR/ARによる遠隔体験の実現
具体例:Teslaの自動運転機能、STRIVRのVR教育プログラム
Personalization(カスタマイズされた体験):
個人のニーズに応じた製品・サービスの提供
リアルタイムでの最適化
具体例:DuolingoのAI活用言語学習、Foundation Medicineの個別化医療
Innovation(革新的な体験):
これまでにない新しい体験の提供
産業の枠を超えた価値創造
具体例:Tesla保険の運転データに基づく動的保険料設定
1.2 産業構造変化の5アーキタイプ
各産業で観察される変化パターンは以下の5つに集約される。これらは産業構造の変化を理解し、自社の戦略を検討する上での重要な分析枠組みとなる:
産業の再定義 (Industry Redefinition)
特徴:既存産業の枠組みを超えた新産業の創造
メカニズム:デジタルデータを橋渡しとして、異なる産業を接続
事例:
Teslaによる自動車×保険×エネルギー産業の統合
Walmartによる小売×ヘルスケアの融合
実現の要件:大規模な投資力、データ活用基盤、新規事業開発能力
下流の重層化 (Downstream Value-Add)
特徴:ユーザー接点での価値の多層化
メカニズム:顧客データの活用による個別化されたサービス提供
事例:
Coursera/Duolingoによる個別最適化学習
Krogerの顧客データ分析に基づく商品開発
実現の要件:顧客接点の確保、データ分析能力、サービス開発力
中流での限界利益極小化 (Midstream Commoditization)
特徴:既存バリューチェーンの効率化極限追求
メカニズム:デジタル技術による自動化・最適化
事例:
製造業での予知保全
物流業での配送ルート最適化
実現の要件:プロセス改善能力、デジタル技術の実装力
上流イノベーション加速 (Upstream Innovation)
特徴:顧客データ活用による開発サイクル短縮
メカニズム:デジタルツイン等による開発プロセスの効率化
事例:
InsilicioのAI創薬
BASFのマテリアルズインフォマティクス
実現の要件:R&D能力、データサイエンス能力、計算インフラ
上流チョークポイントの絶対化 (Strategic Resource Control)
特徴:半導体等の重要資源の戦略的価値向上
メカニズム:デジタル化に不可欠な資源の確保
事例:
TSMCの半導体製造技術
NVIDIAのAIチップ開発
実現の要件:技術力、投資力、知的財産戦略
2. データレイヤー分析による勝ち筋の特定
2.1 3つの重要レイヤー
DXによる価値創出の成否は、以下3レイヤーの押さえ方で決定される。各レイヤーは独立して機能するのではなく、相互に連携することで価値を創出する:
データ取得 (Data Acquisition)
機能:
センサー/IoTによる生データ取得
既存データの構造化・統合
重要性:
価値創造の源泉となる高品質データの確保
データの種類と量の両面での優位性確立
実現方法:
自社デバイス・センサーの開発・展開
外部データソースとの連携
データ標準化・クレンジング体制の構築
データ分析/AI解析 (Analytics)
機能:
機械学習/AIによる価値抽出
リアルタイム分析能力
重要性:
収集データからの意味ある洞察の導出
予測モデルの構築と継続的改善
実現方法:
データサイエンティストの採用・育成
分析基盤の整備
アルゴリズムの開発・改善
ユーザー接点 (User Interface)
機能:
アプリケーション/サービス提供
顧客体験の設計
重要性:
分析結果の価値への変換
継続的な顧客エンゲージメントの確保
実現方法:
UI/UXの最適化
カスタマーサポートの充実
フィードバックループの構築
2.2 産業特性による戦略の差異化
B2B産業の推奨アプローチ:
段階的な価値提供と信頼関係構築が重要
Step 1: 特定用途での価値実証
限定的な領域での具体的成功事例の創出
顧客企業の実際の課題解決
投資対効果の明確化
Step 2: ユーザー企業との信頼関係構築
データ共有に関する明確なルール設定
セキュリティ・プライバシーへの配慮
共創的なアプローチの確立
Step 3: 段階的な機能・領域拡大
成功体験に基づく展開領域の特定
追加的な価値提供機会の発見
長期的なロードマップの共有
B2C産業の推奨アプローチ:
二つの異なるモデルからの選択が必要
自社完結型:
特徴:垂直統合によるデータ活用
メリット:
データの一貫した管理
迅速な意思決定
サービス提供の柔軟性
要件:
強固な顧客基盤
十分な投資余力
総合的な開発能力
非完結型:
特徴:エコシステム型の協業モデル構築
メリット:
リソースの効率的活用
多様な専門性の獲得
拡張性の確保
要件:
パートナー管理能力
データ連携基盤
Win-Winの関係構築
3. 産業越境を目指す企業の変革要件
3.1 経営思想の転換
従来の経営スタイルからの脱却が不可欠
FROM: 短期P/L最適化
四半期ごとの収益重視
リスク回避的な意思決定
既存事業の漸進的改善
TO: 企業価値の持続的向上
長期的な成長機会の追求
積極的なリスクテイク
破壊的イノベーションへの投資
3.2 組織・ガバナンスの再設計
新しい価値創造を可能にする組織体制の構築
独立事業部門化の検討
既存組織からの分離
独自の意思決定プロセス
柔軟な資源配分
専門人材の積極登用
デジタル人材の採用
外部専門家の活用
新しい評価・報酬制度
独自KPI/評価制度の導入
非財務指標の重視
イノベーション指標の設定
長期的な成果評価
3.3 投資戦略の転換
成長に向けた積極的な投資姿勢の確立
大胆な成長投資の実行
R&D投資の拡大
デジタルインフラの整備
人材育成への投資
M&A・アライアンスの積極活用
技術獲得型M&A
スタートアップとの協業
異業種との戦略的提携
リスクマネー調達手法の多様化
資本市場の活用
CVC(コーポレートベンチャーキャピタル)の設立
プロジェクトファイナンスの活用
4. 日本企業・政府への提言
4.1 企業の実行項目
自社の位置づけとターゲットアーキタイプの明確化
現状の競争力評価
目指すべき姿の設定
必要な能力・資源の特定
データレイヤー戦略の具体化
重点領域の選定
投資計画の策定
実行ロードマップの作成
必要な組織変革の実施
変革推進体制の構築
人材育成計画の策定
評価制度の見直し
4.2 政府の支援策
スタートアップ・エコシステムの強化
資金供給の円滑化
規制緩和の推進
人材流動性の向上
産業横断データ基盤の整備
データ標準の策定
セキュリティ基盤の構築
相互運用性の確保
規制・ガイドラインの整備
データ利活用ルールの明確化
プライバシー保護の枠組み構築
国際標準への対応
5. 結論
DXによる産業構造変革は、単なるデジタル化ではなく、バリューチェーン全体の再定義を迫るものである。この変革の波に乗り遅れることは、企業の存続にも関わる重大な問題となりうる。
日本企業が勝ち残るためには、以下の3つの行動が不可欠である:
産業構造変化の本質理解
5つのアーキタイプを理解し、自社に関係する変化の方向性を見極める
データレイヤーの重要性を認識し、必要な投資領域を特定する
産業特性(B2B/B2C)に応じた適切なアプローチを選択する
変革に向けた体制整備
経営思想を企業価値重視へと転換する
必要に応じて既存組織から独立した事業体制を構築する
デジタル人材の確保と育成を積極的に進める
実行力の強化
スモールスタートでも良いので、具体的なアクションを開始する
成功事例を基に段階的に展開領域を拡大する
エコシステムを活用し、必要な能力を効率的に獲得する
さらに、政府には以下の支援が期待される:
環境整備
スタートアップとの協業を促進する仕組みづくり
データ利活用に関する明確なガイドラインの策定
産業横断でのデータ連携基盤の構築
支援制度の充実
DX投資への税制優遇
人材育成プログラムの提供
研究開発支援の拡充
日本は現在、世界のデジタル競争において後れを取っているが、製造業を中心とした強固な産業基盤と、質の高い人材を有している。これらの強みを活かしながら、本稿で示した方向性に沿って変革を進めることで、グローバルな競争力を回復することは十分に可能である。
重要なのは、変革に向けた一歩を踏み出す「実行力」である。完璧な準備を待つのではなく、できるところから着実に実行に移していく。そのような企業こそが、新しい産業構造において勝者となる可能性が高い。
情報ソース
マッキンゼー・アンド・カンパニー作成:令和5年度内外一体の経済成長戦略構築にかかる国際経済調査事業報告書(2024/03/29)
現代のトレンドを踏まえた産業構造の変化及びDX等のトレンドにおいて高付加価値を創出する産業群・ビジネスモデル等に関する調査