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連環画『関漢卿』私家訳

こちらは、fbで数コマに分けて掲載しておりましたが、改めてこちらでまとめて掲載することとしました。一コマ分ずつに箇条書きとし、原文にならってそれぞれ番号を付しました。また「AB『・・・・』」のように、発話者名を添えてセリフだけ書いたところがありますが、これは画中の「吹き出し」のセリフであります。形式上、図版と訳を並べることが困難と思われますので、原文はこちら
https://mttmp.com/c7ietnw.html?fbclid=IwAR2pQDRAU6UWVWI23E1gfh6ylpuByeenjzjlz00V2E4S5lV9PpZIuW3nqQQ
をご参照いただければ幸甚です。「内容説明」はあえて割愛しました。

(以下本文)
⑴ 関漢卿は、元朝は大都(現在の北京)の人で、700年前の我が国(注・中国)の偉大なる現実主義の劇作家であります。
⑵ 関漢卿は当時、医師をも兼業しておりました。ある日の昼前、彼が治療を終えて家に帰り、町の四つ辻を通りかかりますと、人馬の一隊がガヤガヤと騒ぎながら刑場に向かうのがはるかに見えました。護送車の上には一人の女囚が乗せられておりましたが、年は至って若く、髪はぼうぼうと乱れ、うなだれて一言も発しませんでした。
⑶ このとき、とつぜんひとりの老婦人が、供物を捧げ持って、護送車の前に立ち塞がり、その女囚を供養しようとしました。彼女はしきりに無実を叫び、声涙ともに下る様子でした。道ゆく人たちはこれを聞いて、みな首を振って嘆息しました。
老婦人「小蘭よ、 なんという無実!」
一通行人「こんなお役所にかかったら、人のいのちなど虫けらほどにも扱われないんだなぁ」
⑷ むごく荒々しい役人たちは、老婦人を後ろから加減なしに殴りつけました。老婦人は打ち倒され、供物は地面に転がりました。そして護送車がサッサと通り過ぎてしまいますと、通りの人たちはようやく老婦人を助け起こしました。
⑸ 護送車が通り過ぎたのちも、関漢卿はそこに立ち尽くしておりました。茶館を開いていた劉大娘(ダァニャン)は彼を見ると、すぐに近寄ってきて挨拶しました。
劉大娘「関先生、あなたもこの騒ぎを見ておいでだったんですね。まずはこちらへ」
⑹ 劉大娘の娘の二妞(アルニュウ)は関漢卿がきたのを見て、すぐに茶を出してもてなしました。彼女は目に涙を溢れさせて、関漢卿に、彼女の友人である小蘭を救う方法を求めました。
関漢卿「二妞よ、しばらく会わんうちに、一段と成長したようだね」
二妞「関先生、あの無実のご婦人をたったいまごらんになったじゃありませんか。あの人を助ける方法はないんですか?」
劉大娘「バカなことを言いなさい。関先生は人を病気から救うことはできても、死刑から救うことはできないよ」
⑺ 関漢卿は茶を飲む気にもなれず、小蘭が無実に落とされたわけを問いただしました。劉大娘の語るところによれば、小蘭の家は襄陽の貧しい農家で、わずかな土地もお上の養馬場として取り上げられてしまったとのことでした。

⑻ 小蘭と母とは生活に困って、大都に行って彼女の母方の叔父を探すことにしました。叔父に出会わぬうち、同郷の陳婆さんに出会ったので、彼女らはしばらく陳婆さんの家に住むことになりました。
⑼ 小蘭の母は不幸にして風邪が長引いて起きられなくなり、陳家から十数両の銀子を借り、利息もあまりに高いので、到底返せませんでした。小蘭の母は臨終に際して、彼女を陳家に預けて、童養媳としました。(注・これは古く行われた婚姻制度で、男女ともに幼児のうちに将来結婚する相手が決められ、幼女を婿になる男児の家庭が買い取って養育し、成人後に買い取った家庭の息子と正式に婚姻させることをいう)
⑽ 小蘭は結婚してから、夫の文秀との仲は安定しておりました。姑との仲も至って良好で、町では小蘭を褒めない人はひとりとしておりませんでした。陳婆さんの実家にいる従兄弟の李六順は、いつも陳家で家業を手伝いました。その日、李六順の息子の李驢児がフラリとやってきました。
(11)李驢児は兵隊ゴロのヤクザ者で、ちょうど南方の軍隊から帰ってきたところでした。彼は陳家に住み着いてから、チラリと小蘭を目にかけるや、暇さえあれば、小蘭をはしたなくからかうのでした。
(12)李驢児は文秀を目の上の瘤扱いにし、しばしば悪巧みを繰り返して、ついに彼を城外に誘い出し、堀に突き落として溺死させてしまいました。(注・当時の町は城壁に囲まれ堀が掘られていた)
(13)陳婆さんは息子を思うあまり、病気がますます重くなりました。小蘭は姑を看病し、彼女のために羊の腸のスープを作りました。李驢児は早くから陳婆さんを毒殺して、小蘭と家財とを独り占めしようと企んでおりましたので、隙を見て、スープに毒薬を入れておきました。
(14)小蘭は姑にスープを勧めました。陳婆さんは気分が悪いので飲まず、六順に与えました。あにはからんや、たちまちのうちに、六順は血を吐いて死んでしまいました。
(15)李驢児は父親が死んだのを見て、さらに口実をもうけ、小蘭を無理強いに妻にするか、さもなくば役所に、嫁と姑とで彼の父を毒殺したと訴えようとしました。小蘭は怒り心頭に発し、李驢児をさんざんにののしりました。
(16)李驢児は小蘭が彼に靡かないと見ると、すぐさま大興府(注・元朝の首府)に訴え出ました。大興府の知府である忽辛(フサイン)は大臣阿合馬(アフマッド)の長男で、残忍で陰険でした。彼は李驢児から賄賂を受け取っていたので、理非曲直も正さず、小蘭をひどい拷問にかけました。小蘭は理不尽な思いでしたが、死んでも認めようとはしませんでした。
(17)忽辛はまた陳婆さんをひどい拷問にかけようとしました。小蘭は姑がそれに耐えられぬのではと恐れ、姑を救いたい一心で、一思いに、李六順は自分が謀殺したと自白してしまったのでした。
(18)忽辛は小蘭が自白するや、デタラメに結審させ、今日すぐに斬首に処すると判決を下しました。以上を語ってから、劉大娘は、例の護送車を止めて供養しようとしていたのは、小蘭の姑の陳婆さんであったと話しました。
(19)劉大娘の一連の話は、関漢卿を嘆き憤らせました。彼は、元朝が建国されて以来、弱い者がいじめられ、人命が軽んじられるのが少なくないことを思って、やり場のない憤懣でいっぱいでした。とつぜん遠くから号砲が一発響くと、二妞は顔をおおい、絶望して泣くばかりでした。
二妞「号砲が鳴ったら、小蘭もおしまいだわ!」
(20)関漢卿はしばし呆然としておりましたが、悩みでいっぱいのまま、立ち上がって別れの挨拶をしました。劉大娘は彼を楼の下まで送りました。
劉大娘「このことは、多くの人が小蘭のために気を吐いているというのに、どうしようもないんですか?あんなに良い子だというのに!」
関漢卿「なんともはや!」
(21)関漢卿の心はあまりに重く、劉大娘の言葉はまだ耳から離れませんでした。そう、だれが小蘭のために気を吐けるだろうか?自分は劉大娘から見れば、病気や怪我を治せる医師にしかすぎない。しかしそれでも自分になにができるかを考えるのを忘れてはならない。「劇」ということを思い出し、彼は思わず興奮し始め、まっしぐらに行院(注・芸人の居所)に向かいました。
(22)行院では、芸妓の朱廉秀、芸人の謝小山、欠要俏たちがちょうど小蘭の話をしていたところでした。彼らは、みな高官たちの抑圧を受けてきたので、一人一人の顔に義憤が現れておりました。関漢卿は小蘭のために一篇の戯曲を書きたいと言い出しました。一同賛成で一致しました。
朱廉秀「えぇ、とても良いですよ」
(23)朱廉秀が、小蘭の役は自分がやろうと言いました。関漢卿は一同に、脚本を書くのと舞台稽古はできるだろうが、上演する小屋が問題になるだろう、と相談しました。一同は、そのことはあとで考えて、まず舞台稽古をしてみてからにしよう、と言いました。そこで関漢卿はすぐさま脚本を書き始め、題はとりあえず「感天動地竇娥冤」(天を感ぜしめ地を動かす竇娥の冤)と決めました。
(24)静かな部屋に、とつぜん大声を上げながら人が入ってきました。それは阿合馬配下の役人の崔四爺で、関漢卿に、明日西山園林の屋敷へ治療に行かせるべくやってきたのでした。
崔四爺「明日馬で迎えにくる。どこへ行くか、だれの治療をするかはいっさい問うてはならん。これは掟であるぞ」
関漢卿「かしこまりました。明日確かに参ります」
(25)関漢卿はちょうど文章の構想が湧き上がってきたところへ、この騒ぎで構想を中断させられ、見ればもうだいぶ遅いので、早々に帰り支度をし始めました。
朱廉秀「あなたはどうしてこれほどまで医業を好んで行うのか、わたくしにはどうしてもわからないのです。思い切って劇だけ書けばよろしいのに」
関漢卿「やれやれ!あんたは知らんだろうけれど、いま人を十等に分けるなら、わたしのような医者はちょうど六等で、ただ文章を書くだけだったら、あんたたち芸妓よりも一等低くなってしまうんだよ!」
(26)関漢卿が道を歩いておりますと、帽子を斜めに被った、目つきの悪い例の崔四爺が一群の用心棒を連れて、ひとりの娘を取り囲んでいるのが見えました。娘は馬に乗せられ、しきりに泣いておりました。あまり遠いので、何者かははっきりとわかりませんでした。
関漢卿「まただれかがひどい目にあうんだろうなぁ!」
(27)翌日の昼ごろ、関漢卿は西山の屋敷にたどり着きました。やがてひとりの侍女が茶を出しにきましたが、関漢卿はそれを見て、思わず呆然としてしまいました。
一侍女「秋燕、先生にお茶だよ」
(28)なんと秋燕とは茶館の劉大娘の娘の二妞で、阿合馬の二十五番目の公子が茶館で彼女に出くわし、彼女があまりに美貌なのを見て、ここへ連れてきたのでした。先日、関漢卿が出会った囚われの娘は彼女でした。秋燕は連れられてきたいきさつを話すと、関漢卿に助けを求めました。
二妞「二十五公子の奥さまは、わたくしをここに送って大奥さまに仕えさせましたが、きっと悪いことが起こるでしょう」
関漢卿「できるだけのことはしよう!」
(29)阿合馬の母親は、関漢卿の数回の診察で、病状もだいぶ良くなりました。この老女はたいそう喜んで、自分の太っ腹さと権勢とを見せつけようと、たくさんの金銀を関漢卿に与えて、骨折り賃にしようとしました。しかし関漢卿は固辞して受け取りませんでした。
老夫人「先生、あなたが欲しいとおっしゃるなら、世界中の金持ちのものと貧乏人のものを、すべて整えられますよ」
(30)この老女は、関漢卿が金銀を受け取らないのを繰り返し尋ねました。あまり問い詰めるので、関漢卿は二妞のほうを見やって「白璧黄金すベて羨まず、ただ謝家堂上の燕を要す」と言いました。(注・謝家は魏晋南北朝期の豪族。ここでは劉禹錫の詩に「旧時王謝堂前の燕」とあるのを踏まえて、暗に秋燕=二妞のことを言ったのである)そばにいた二十五公子の夫人はこれを聞いて、非常に満足しました。彼女は秋燕をここから去らせたい一心で、老夫人に情けをかけてやるようしきりに勧めました。老夫人は承知しました。
夫人「関先生はお目が高い。すぐに秋燕を差し上げましょう」
老夫人「秋燕よ、関先生についてお行き」
(31)二頭の馬は二人の人を乗せて、まっしぐらに大都の城内に入りました。道中、秋燕は関漢卿に絶えず礼を言っておりました。
(32)二妞を家まで送ったあと、関漢卿はふたたび執筆し始めました。秋の深夜、至って涼しいころで、関漢卿は短くなった蝋燭の下で、ときには机に向かって筆を走らせ、ときには宝剣を抜いて舞いました。更鼓が三度鳴ってから(注・現在の午後11時ごろから午前1時ごろの間に当たる)、老僕の関忠が、主人が深夜に眠らないのを見て、上着を着て起きてくると、寝るように勧めました。
関忠「旦那さま、まだ書いておいでだったのですね。お休みなさいませ。夜明けは早うございますから」
関漢卿「おぉ、関忠か、蝋燭を取り替えてくれんか」
(33)にわかに門を叩く音がしたので、関忠はすぐに門を開けました。それは謝小山と笛師の玉梅でした。彼らはちょうど鉄木耳(テムル)将軍の屋敷から来たのでした。関漢卿はたいへん喜び、すぐに彼らに声調の意見を求めました。
関漢卿「お二人とも良いところに来てくれた。『竇娥冤』は第三幕まで書いたが、ひとつ問題が生じたので、お教え願いたい。関忠、茶を」
(34)竇娥が斬られる場面になると、関漢卿は悲憤慷慨の感情をいっそう強めようとして、曲調を変えたいと考えましたが、それが劇の規定にもとることをも恐れておりました。謝小山と玉梅は、完全に彼のやり方に同意しました。玉梅は賛成したのみならず、関漢卿が古い規則を率先して変えることを願いました。
謝小山「曲調は感情に従うもの。感情が変わるなら、曲調もとうぜん変わって良いでしょう」
玉梅「あなたは演劇界を先導する方、みなを堂々たる大道に引率するのがよろしいですよ」
(35)謝小山は原稿を見ながら口ずさんでおりましたが、急に、ある一句から二字を削除すればより歌いやすくなることを発見しました。彼は玉梅と関漢卿とに呼びかけました。関漢卿は答えませんでしたが、彼は疲れ果てて眠ってしまったのでした。
謝小山「もし、関先生、この二字は削りましょう」
玉梅「もう眠ってしまったらしいから、二字削っておけば良かろう」
(36)「我々は家族を養うために、夜の夜中まで懸命にやっているが、関先生はなんのためにここまでやっているんだろう?」と、謝小山と玉梅は感嘆して言いました。そして、関忠に頼んで関漢卿をベッドに寝かせました。二人はそのまま関家の大門を出て行きました。
(37)次の早朝、関漢卿は昨日謝小山が書き換えた原稿を見て、口ずさんでいるところへ、彼の親友で「ツギハギの楊」と呼ばれている楊顕之がやってきました。(注・原文は「楊补丁」。ツギのある服を着るほどの清貧の人という意か?)
(38)楊顕之は「竇娥冤」を見ると、蔡婆(注・ヒロイン竇娥の姑。先の場の陳婆さんに当たる人物)のような高利貸しは悪人として描くべきだ、と言いましたが、関漢卿は同意せず、これは社会問題だから、と答えました。楊顕之はまた、一審だけで死刑というのは当時の慣例に合わないと言いましたが、関漢卿は、忽辛は朱小蘭をまさに一審だけで死刑にしたのだと答えました。
楊顕之「漢卿よ!これでわかったぞ。きみは古人を借りて今人を批判したいんだろう。それなら言うことはないな」
(39)関漢卿は楊顕之の意見に従い、「今日、晴らせぬ冤を天に告げん」と言うのを「賢愚を見分けられず天と言えようか」と変えました。彼らがページをめくっていくうちに、とつぜん書の中から一枚の紙片が落ちたので、楊顕之はこれを調べて見てたいへん不思議に思い、尋ねてみてすぐにそれが文天祥の「正気歌」とわかりました。
楊顕之「『天地正気あり、雑然として流形を賦す・・・』これはだれが書いたんだ?」
関漢卿「文丞相が書いたんだ」
(40)文天祥の話が出るや、関漢卿も楊顕之も思わず襟を正しました。南宋滅亡後、このひとりの硬骨漢だけが、どのような威嚇や勧誘を受けてもけっして投降しなかったのでした。
関漢卿「このような気骨の人は、亡くなっても、人の心の中には永遠に生き続けるんだなぁ」
楊顕之「そうさ。この『正気歌』は実に人を感動させる作だ。持って帰ってよく読んでみよう」
(41)楊顕之が帰ったあと、関漢卿が「竇娥冤」の劇本を吟唱しておりますと、文人ゴロの葉和甫が笑いながら入ってきました。彼は朱廉秀から、関漢卿が「竇娥冤」を書いていると聞いて、それを止めさせ、劇本で役所を批判しないように言いに来たのでした。
関漢卿「『地よ、善悪を見分けられず地と言えましょうか!天よ、賢愚を見分けられず天といえましょうか!あぁ、わたくしはただ泣き濡れるのみ』」葉和甫「関漢卿よ、よっぽど腹が立ってるんだな、天地さえもののしるとは」
(42)関漢卿は彼が来た意図を知らず、わかってもらえるのではと思い、劇本を読んで聞かせました。あにはからんや、葉和甫はゴタクを並べて、知府をののしるな、権力あるものをののしるな、強い者を恐れて弱い者をバカにするのは人の本能だ、などと彼に勧めました。関漢卿はこれを聞くや腹を立てて彼を追い返し、それ以上話させませんでした。
関漢卿「葉先生!志は人それぞれ、お帰りあれ。わたしはこれを書くことに決めた。あなたを煩わすわけにはいかん」
葉和甫「わたしは好意で言っているんだ。福の神を敵に回さんほうが良いぞ。役所との関係を重く見たら、我々は恩恵にあずかれるんだ」
(43)そこへ、朱廉秀と、関漢卿の親友の王和卿とがやってきました。葉和甫は気まずくなり、慌ててうまく口実を作って立ち去りました。
朱廉秀「おや、葉先生もおいでだったんですね!」
葉和甫「いかにも、わたしもちと用事がありましてな。これで失礼いたします」
(44)関漢卿はなかなか腹の虫が収まらないので、すぐに葉和甫のいやみな振る舞いを二人に話しました。みな苦々しく思いました。やがて芝居小屋の話になりますと、朱廉秀は王和卿と小屋の主人とが知り合いであることを思い出し、助力を乞いました。王和卿はすぐに承諾し、小屋を用意することを約束しました。
(45)小屋はすぐに見つかりました。それはもっとも有名な玉仙楼でした。その日は伯顔(バヤン)丞相の母の誕生日だったので、観客はみな高官の身内でした。
王和卿「漢卿、なにかあったのかな?」
関漢卿「知らんなぁ」
(46)舞台で、朱廉秀が扮した竇娥の亡霊が、父の竇天章に向かって「帝の憂いを取り払い、万民の害を除きたまえ」と歌いかけ、官府の腐敗を告発しました。前の方に座っていた益州千戸の王著が、思わず「良いぞ」と叫び出しますと、他の多くの観客も喝采し始めました。
(47)朱廉秀は舞台の下の喝采を聞くと、いよいよ奮い立って、舞台の前方に跪いて、涙ながらに竇天章に訴えかけました。
(48)劇が終わって朱廉秀が退場すると、関漢卿は感動のうちに彼女を楽屋へ案内し、王和卿がすぐに茶を入れてやり、一同異口同音に、彼女の好演を褒め称えました。彼らが興奮しながら議論しているところへ、何総管が入ってきて、伯顔丞相の母が廉秀の顔を見たいと伝えました。
何総管「大奥さまが劇をごらんになって大変喜ばれて、ぜひおまえさんに会いたいとのことだ。早々に行きなさい」
関漢卿「四妞(廉秀)よ、苦労をかけるね」
(49)朱廉秀はよんどころなく、かんたんに化粧して略装し、伯顔老夫人に会いに行こうとしました。そこへ楽屋の支配人が王著を案内して入ってきて、やはり朱廉秀に会いたいと望みました。
支配人「こちらは益州の王千戸で、四妞に会いたいそうだ」
王著「見事な演技だ!人民の心の叫びを、ことごとく言い尽くしている」
朱廉秀「恐れ入ります」
(50)朱廉秀は関漢卿を王著に引き合わせ、その台本の素晴らしさを話しました。彼女は何総管とともに伯顔老夫人に会わねばならないので、お詫びを言って立ち去りました。
王著「おぉ、関先生!お噂はかねがね」
関漢卿「そんな、もったいない!」
(51)朱廉秀が去るや、楽屋の支配人がとつぜん、阿合馬の副官である郝禎を案内してやってきました。葉和甫も後ろからコソコソとついてきました。郝禎は、阿合馬が「竇娥冤」の台本を書き変えるように命じたと言い、彼が指し示したところはすべて変えるように言いました。関漢卿が承知しないので、郝禎は激怒しました。
関漢卿「それはなりません。そこを変えたら、それは『竇娥冤』でなくなってしまいます」
郝禎「劇は必ず変えて上演せい。もし変えずに上演したら、貴様たちの首はないぞ!」
(52)郝禎はカンカンに腹を立てて立ち去りました。葉和甫は脅したりすかしたりして、旧友の意見に従って台本を書き変えるように勧めましたが、関漢卿は彼のやり口を見抜いて、とうとう堪忍袋の緒を切り、葉和甫の本性をぶちまけたので、彼はあたふたと去って行きました。
関漢卿「なにが旧友だ、きみは回し者だ!」
葉和甫「やれやれ、ずいぶん怒りに燃えているもんだ。阿合馬閣下はもっと怒りに燃えるだろう。どっちの怒りでどっちが焼かれるか拝見とするか」
(53)長い間そばで見ていた王著は、すぐに歩み寄ってくると、感動のあまり関漢卿の手を握り、彼の劇をも、また彼の人となりをも見届けたことを告げました。
王著「わたしもあなたのようになりたい。またお会いしよう!」
(54)何総管は、この劇を素晴らしいと思いましたが、関漢卿が割を食うのを恐れて、関漢卿に「大丈夫はよく屈しよく伸びる」ものであるから、台本を書き変えるように、と勧めました。
何総管「『官吏らは法を正す心なし』のような句はすぐに改めましょうよ。天を恨み地を恨むというのは、高官のお歴々とは無関係ですから、まぁ無難でしょうけれどね」
(55)一同が行院に帰りますと、王実甫や楊顕之もそこで待っていて、口を揃えて劇の見事さを賞賛し、また関漢卿が書き変えずもとのまま演じるのを支持しました。
関漢卿「わたしはもう決めた。たとえ上演せぬことになっても、けっして書き変えん」
(56)朱廉秀もまた、明晩の舞台はもとのまま演じ、面倒が起きたときは自分が責任を取ることを約束しました。そして関漢卿には、大都を離れた方が良い、と言いました。
朱廉秀「ご心配なさらないで!たとえこの首を失っても、あなたの劇には少しも傷はつけません」
関漢卿「そりゃいかんよ、首が飛んでしまってはなにもならんじゃないか」
(57)関漢卿たちが去ったあと、朱廉秀はその夜のうちに謝小山を何総管のところにやって、明日は阿合馬の意向どおりに上演すると伝えました。(58)その翌日、阿合馬は幕僚の徹里(チェリク)に命じ、大司徒の和礼霍孫(ホルホスン)を観劇に招待しました。
阿合馬「徹里よ、大司徒に劇を見て気を晴らすようにお勧め申せ」
(59)夜になると、大臣二人は桟敷に座って劇を見ました。和礼霍孫は非常に満足しましたが、阿合馬は劇が変えられていないのを知ると、怒りに任せて、郝禎を役立たずとののしりました。
阿合馬「郝禎よ、貴様は使いに行ってなにをしておったのだ?」
和礼霍孫「この劇は関漢卿が書いたものですな。彼は医術もなかなかですが、文筆も見事ですわい」
(60)ちょうどそのとき、舞台では竇娥が斬られる場が演じられ、賽廉秀が蔡婆に扮して、絶え入らんばかりの悲痛さで「いつの日か天がごらんになって、酷吏を罰してくださるはず」と歌い、声涙ともに下る様子でした。阿合馬はこれを見るや、怒りのあまり茶碗を投げつけ、大声をあげて劇をやめさせました。
阿合馬「急ぎ朱廉秀の女郎めを引っ捕らえてまいれ!」
(61)楼下の観衆はみな熱心に見入っていたところなので、喊声をあげて劇をやめさせないようにしました。朱廉秀は弟子の賽廉秀に目くばせし、一同に劇を続けさせました。
(62)阿合馬の護衛が刀の鞘を払って、舞台に駆け上がり、無理に劇をやめさせ、観衆をも威嚇して追い払いました。
(63)護衛は朱廉秀に衣装を着替える暇も与えず、取り押さえて阿合馬の前に引き据えました。阿合馬は関漢卿の行方を問いただしました。
阿合馬「関漢卿はどうした?」
朱廉秀「郷里に帰りました」
(64)阿合馬は激怒し、朱廉秀の髪を引っ掴み、なぜ原詞のまま演じたのかと問い詰めました。朱廉秀は、書き変えるのが遅くて、新しい歌詞が覚えられず、原詞どおりに歌った、とうそを答えました。
朱廉秀「物覚えが悪うございますので、どうかお許しを!」
(65)阿合馬は朱廉秀を斬るよう命じました。あわやというとき、関漢卿が駆け込んできて、劇本を変えなかったのは彼自身の意向だと言い、阿合馬に朱廉秀を釈放することを求めました。
関漢卿「もし罪があるというなら、わたくしひとりで引き受けましょう!」(66)阿合馬はなお激怒し、関漢卿をも斬らせようとしました。和礼霍孫は見るに見かね、関漢卿のいのち乞いをしました。阿合馬は情にほだされ、しばらく関漢卿を監禁しておくことにしました。
和礼霍孫「わしは以前関漢卿の処方した薬を飲んで、病気がすっかり治ったことがありました。いまお詫びを入れて、お気を悪くはなさらんでしょうかな?」
阿合馬「むむ、それならば司徒どのの顔に免じて、やつをばしばらく下がらせ、その女郎だけ斬れ」
(67)何総管は朱廉秀だけ斬ると聞いて、急いで進み出ると、伯顔家の老夫人が朱廉秀を養女にしたがっているから、それはよろしくないのでは、と説きました。阿合馬はカンカンに腹を立て、まず朱廉秀をしばらく監禁させて、蔡婆を演じる者を捕らえてくるよう命じました。
阿合馬「蔡婆を演じておるやつを引っ捕らえてまいれ!」
(68)賽廉秀が連れてこられました。劇中で「酷吏を罰して」という歌を加えた理由を阿合馬が問うと、彼女は、これは原詞になく、別の劇本から借りたと答えました。阿合馬は賽廉秀の身元をも問いただしましたが、彼女は阿家に迫害された農民の娘だったのでした。
阿合馬「貴様、天がしっかとごらんになって仇を取ってくださるのを求めておるのだな?」
(69)阿合馬は気の狂ったように怒り、賽廉秀の目をえぐらせました。賽廉秀はえぐられながらも号泣し続け、彼女の眼球を大都の城壁の上に掛けることを求めました。
阿合馬「まだ仇を取ってもらいたいか?」
賽廉秀「わたしは死んでも、おまえの最後をこの目で見てやる!」
(70)このとき和礼霍孫はこれ以上見るに耐えられず、怒りを堪えながら、あいさつして立ち去りました。賽廉秀もまた、二人の禁婆(注・女性の牢番)に牢獄へ引かれました。
(71)禁婆が賽廉秀を連れて関漢卿の牢房を通り過ぎますと、関漢卿はこの様子を見て涙が流れること雨のごとく、牢格子から手を差し伸べましたが、どんなに懸命に伸ばしても彼女には届きませんでした。
賽廉秀「眼球は城壁の上に・・・」
関漢卿「小二妞(賽廉秀)よ、こうなったのはわたしのせいだ!」
(72)関漢卿は怒り心頭に発し、痛さをこらえつつその場で指先を食い切って血を出し、上着の袖を破り取ると、血で処方箋を書き、賽廉秀のために薬を整えるよう獄卒に頼みました。関漢卿は以前、その獄卒の母親の病気を治してやったことがあるので、彼は特別関漢卿に親切にしてくれたのでした。
(73)翌日、王和卿や王実甫たちが関漢卿に面会にやってくると、関漢卿はあえてなにも言わず、ただ「正気歌」を口ずさんで、自らの剛強不屈の意を示しました。王実甫は彼を慰め、皆で彼を救う方法を思いついたことを伝えました。
関漢卿「人生古より誰か死なからん、丹心を留取して汗青を照らさん!」(注・この句は文天祥の詩の一節であるが、「正気歌」ではない。別に口ずさんだ体か、あるいは筆者の記憶違いか?)
王実甫「我々はちょうど友人に呼びかけて署名簿に名を連ねて、きみを救おうとしているところだ」
(74)王実甫は牢から去ると、すぐに劉大娘の茶館に向かいました。楊顕之と王和卿は、手分けして友人を探しました。
王実甫「大娘、ちと茶館を借りるよ」
(75)茶楼に登ると、王実甫は関漢卿のことを、劉大娘と客たちに話して聞かせました。劉大娘は泣く泣く、署名簿に真っ先に手印を押しました。
劉大娘「どうか手印を押させてください、関先生をお助けするために!あの方は天下一の善人なんですから」
(76)謝小山や欠要俏、それに顔見知りの客たちもやってきて、署名簿に名を記しました。
(77)王和卿が署名簿を持って街を歩いておりますと、王著に出会ったので、署名を請いました。
王和卿「どうかここに署名して、関漢卿をお救いください」
(78)王著はすぐに筆をとって署名しようとしましたが、やや考えて、筆を捨て、署名したら関漢卿先生に迷惑がかかるのでは、と言いました。
王和卿「どういうことです?」
王著「いずれおわかりになりましょう」
(79)王著はいくつもの路地を通って街を出ると、一座の廟に入りました。
(80)王著はもともと、阿合馬を暗殺し、民の害を取り除くことを考えていたのでした。その日は方丈で高和尚に会うと、長い間密談して、阿合馬暗殺の計画を立てました。
(81)ある日、阿合馬が通州を通って大都に帰ると聞いたので、二人は匕首を隠し持って、フラリと東の城門にやってきました。
(82)およそ二更(注・午後9時から11時ごろ)の時分、大勢の従者に守られて、阿合馬が騎馬で大道を通ってやってくるのが遠くから見えました。
(83)高和尚がとつぜん、道の西側から強盗殺人だと叫びました。護衛たちは急いで捕らえに行きました。
高和尚「賊だ!」
(84)王著は匕首を抜いて道の北側の木の陰から飛び出し、阿合馬の胸元を突き刺しました。阿合馬は即座に息絶えました。
(85)王著は大勢が取り囲むのを待たず、匕首を投げ捨てて、呵々大笑し、万民のために害を除くことに成功したと言って、自ら進んで捕らえられました。
王著「逃げも隠れもせぬ!」
(86)王著は投獄されましたが、関漢卿の鉄檻の前を通ると、数回大笑して通り過ぎました。関漢卿は獄吏の説明を受けて、ひそかに彼こそ好漢だと感服しました。
獄吏「あれは阿合馬閣下を刺殺した犯人ですよ」
(87)関漢卿は獄吏に、朱廉秀との面会を許してくれるよう頼みました。獄吏はしばらく渋っておりましたが、けっきょく承知してくれました。
獄吏「良いでしょう。ただし手短にお願いしますぞ」
(88)関漢卿と朱廉秀は対面すると、語り尽くせず、どこから話して良いかわからないほどでした。
朱廉秀「関先生・・・」
関漢卿「四姐・・・」
(89)関漢卿は、まず試みに、伯顔老夫人に手紙を出して助けを求めるように廉秀に言いました。しかし廉秀は首を振り、伯顔が兵を率いて千百万人を虐殺したとき、老夫人は一滴の涙をもこぼさなかった、彼女の涙はいつわりで、どうして女囚一人を救ってくれるだろうか、と言い、関漢卿とともに死ぬことを願いました。
朱廉秀「わたくしはあの人が憎いのです。死んでもあの人には助けを求めません!」
(90)関漢卿は非常に感動し、昨日書いた「蝶双飛」の詞(ツー)を見せると、廉秀は涙ながらにそれを口ずさみ、感極まった様子でした。
朱廉秀「『碧血もて忠烈を写し、厲鬼となりて逆賊を除かん・・・我と君とは髪の色は同じからざるも心は等しく熱し、生まれしところは同じからざるも死しては共に葬られん。来年躑躅の花満開のときは、漢卿と四姐と、二つの蝶となりて、とこしなえに寄り添い、別るることなからん』」
(91)そこへ、あの破廉恥漢の葉和甫がやってきました。彼はニヤニヤと笑いながら檻門をくぐって入り、持ってきた贈り物をぶら下げて見せました。
(92)葉和甫は関漢卿をそそのかし、王著が各地の民衆と連合して、大臣を殺し、朝廷に楯突き、謀反を企てていることを自白すれば、知府の忽辛は関漢卿を釈放するのみならず、大金をもって酬いるだろう、と言いました。
葉和甫「漢卿よ、これこそ良い機会だぞ」
(93)関漢卿はしばらく答えませんでしたが、やにわに葉和甫を一撃のもとに殴り倒し、贈り物を地面に撒き散らしました。
関漢卿「恥知らずのろくでなしめが!」
(94)葉和甫は腹を立てながら忽辛のもとに赴き、あることないこと尾鰭をつけて、関漢卿をあしざまに言い立てました。忽辛は歯ぎしりして憤りました。
忽辛「一人残らず処刑してくれよう!」
(95)忽辛は翌日の朝議で勅令を得ると、王著に死刑の判決を下しました。王著「いのちなど惜しくはないぞ!」
(96)忽辛と首斬り役とが王著を連行して街を通ると、王著は道行く人に向かって、「万民のために害を除いた上は、死んでも悔いはない!」と呼ばわりました。何人かはひそかに親指を立てて、王著を英雄好漢と褒めたたえました。
王著「貪官汚吏を滅ぼすのだ!」
(97)茶館の劉大娘が慌てて門を閉めると、謝小山が署名簿を持って入ってきました。彼女の婿が司徒の和礼霍孫邸につとめていると聞いて、その婿周福祥に、署名簿を和礼霍孫に差し出すよう頼もうと思ったのでした。
謝小山「お見せする方法はこれしかありませんね」
(98)劉大娘は二つ返事で承知し、すぐに謝小山とともに娘の二妞の家に向かいました。二妞は関漢卿の危機を知ると、夫に署名簿に名を記すように言い、またすぐに署名簿を届けるようにも言いました。
二妞「届けるまでは、戻ってきてはなりませんよ!」
(99)周福祥は大司徒邸に戻ると、すぐに大司徒の腹心の幕僚である澈里に助けを乞いました。澈里は正義感に富んだ蒙古人で、関漢卿の劇も好きだったので、すぐに承諾しました。
(100)和礼霍孫が帰ってくると、澈里は署名簿を差し出しました。和礼霍孫は読み終わって首を振り、それを保留中の書類の中に入れ、関漢卿の劇中での批判は正しいが、お上を誹謗した罪を消すことはできない、ましてや阿合馬亡きあと、ようやく大権を握ったばかりだから、やたらと些事に関わるのはよろしくない、と言いました。
和礼霍孫「なにごとも気をつけねばならん!」
(101)翌日、周福祥はこっそり執務室に入ると、署名簿を急用の書類の中に入れておきました。
(102)夕方に和礼霍孫が帰ってきて、書房で公文書を調べにかかりました。そして急に署名簿が目についてびっくりし、昨日場所を間違えたのだろうと思って、すぐに保留中の書類の中に押し込んでしまいました。
(103)その次の日、周福祥はとっさの方法を思いつかないので、やむをえずまた執務室に忍び込み、署名簿を急用の書類の中に入れました。
(104)周福祥はまた澈里を探すと、ふたたび助けを求めました。澈里は初めのうちは眉をひそめておりましたが、最後には必ず力を貸し、関漢卿を救おうと告げました。
澈里「必ずや救おう。またあの人の劇を見たいからな」
(105)夕方、和礼霍孫が宮廷から帰ってくると、澈里はすぐに執務室の戸を開け、彼を中に入れました。見ると和礼霍孫は喜色満面で、皇帝は阿合馬の生前の罪状を今日になって知るや、大きに怒られ、墓を暴いて死体を晒しものにするよう命じられ、また知府忽辛をも罷免された、と話しました。(106)和礼霍孫は机のそばに寄ると、また署名簿が置いてあるのが目に入り、びっくり仰天しました。澈里は、門が閉まっているからだれも入りませんでした、と言いました。和礼霍孫は急に壁にかけられた関羽(注・信仰の対象としては関聖と呼ばれる)に目を止めて、不思議な思いが湧いてきました。
和礼霍孫「もしや関聖さまが関漢卿をお哀れみになって、わしに彼を救わせようとしておられるのであろうか?」
(107)澈里はすかさず、関漢卿が山西の蒲州に原籍を持っており、言うなれば関聖の末裔であると言うことを話しました。和礼霍孫はもともと関聖を崇拝しきっておりましたので、澈里の話を聞くや、すぐさま関聖の像に向かって深々と拝礼しました。
(108)次の日、和礼霍孫は参内すると、詳しく皇帝に奏上しました。皇帝はしばらく考えておられましたが、やがて、関漢卿は名高い人物で、多くの人が署名して彼を守ろうとしているから、死罪を改めて、都からの追放に軽減しよう、と仰せられました。
(109)獄吏は関漢卿の牢房にやってくると、明日都から追放する旨を伝え、さらに「文を捨てて医業に専念すれば、これ以上のもめごとを免れましょう」と勧めました。関漢卿は大笑しましたが、同調はしませんでした。
関漢卿「きっとまたいつか、お世話になりましょうて」
(110)獄吏が行きかけると、関漢卿はいくつかの書き付けを朱廉秀に与えるように頼みました。獄吏は、彼女がすでに出獄したことを伝えました。
獄吏「牢番に命じて、行院に届けさせましょう」
(111)行院の支配人は、牢番が持ってきた書き付けを受け取ると、朱廉秀が関漢卿と一緒に行ってしまうのではないかと恐れ、その書き付けを茶壺の下に隠して、廉秀には与えませんでした。それをたまたま、香桂が窓の外から見ておりました。
(112)その翌日の早朝、香桂は書き付けを朱廉秀にこっそり与えました。朱廉秀はそれを見ると、すぐに徒弟の賽廉秀に、一緒に身ごしらえをするように言いました。
朱廉秀「早く身ごしらえをして関先生を追いかけましょう。今日すぐに護送されますから」
(113)二人は適当に言いつくろって、賽廉秀の夫の欠要俏に頼んで馬車を雇い、盧溝橋の大道へ突っ走りました。
朱廉秀「車夫さん、さぁ早く!」
賽廉秀「お師匠さん、どこまで行くんです?」
(114)盧溝橋までくると、関漢卿はすでにそこにいて、送りにきた友人の王実甫や郷民たちとあいさつを交わしておりました。王和卿が湿っぽい空気を変えようと、わざと朱廉秀と関漢卿に向かって冗談を飛ばしました。
王和卿「鶯々が別れを惜しんでいるな」(注・鶯々は元曲「西廂記」のヒロイン。ここは朱廉秀と関漢卿の様子を、鶯々が恋人の張生と別れを惜しむ場にたとえたのである)
(115)朱廉秀は関漢卿に縋りつくと、自分も連れて行ってほしいと頼みました。関漢卿はなすすべもなく、彼女を慰める言葉も出ませんでした。
朱廉秀「どうかお連れください!」
関漢卿「四姐・・・」
(116)ちょうどそこへ、行院の支配人と遣り手がやってきて、朱廉秀に帰るように迫りました。彼らは、朱廉秀は行院の管制を受けているので、楽籍から抜けることはできない、と言いました。
遣り手「帰りますよ!」
(117)行院の支配人は遣り手に命じて、強いて朱廉秀を車に乗せようとしました。しかし彼女は関漢卿に縋りついて、けっして手を離そうとしませんでした。王和卿や王実甫たちも、しきりになだめました。
(118)支配人と役人が二人を引き離すと、朱廉秀はとつぜん盧溝橋の下へ飛び降りようとしました。一同は急いで彼女を止めました。
一同「早く止めるんだ!」
(119)まさにそのとき、急に後ろから砂ぼこりをあげて、一人の役人が馬を飛ばしてきました。一同はそれが良い知らせか悪い知らせかわからず、驚きのあまり顔を見合わせました。
(120)近づいてくるのを見ると、その役人は周福祥でした。彼はヒラリと馬を下りると、和礼霍孫の命令書を読み上げましたが、それは特に朱廉秀の楽籍を免除し、関漢卿の南下に従うことを許す、というものでした。この朗報は天から降ったかのごとくで、一同いっせいに関漢卿と朱廉秀に向かって歓呼しました。
周福祥「大司徒の命を伝える。関漢卿は一代の作家で、権門と闘うことも辞さなかった。また朱廉秀はその芸術が卓越している。そこで、その楽籍を免除し、関漢卿の南下に従うことを許す。道中の関所や渡し場では、けっして妨げぬこと」
(121)周福祥は命令書を読み終わると、繰り返し関漢卿に祝いを述べ、彼と朱廉秀が末永く添い遂げ、道中無事であることを祈りました。
(122)周福祥が帰ったあと、王和卿が40両の銀を役人の李武に与えて、道中でよくよく関漢卿と廉秀の面倒を見てくれるよう頼みました。関漢卿はまた老僕の関忠が長年従って、自分を幾重にも世話してくれたことを思い出し、再三、友人たちに彼の面倒を見てくれるように言いました。
(123)賽廉秀が杯を挙げて酒を進めると、関漢卿は酒を受け取りながらしきりに涙が流れ、欠要俏によくよく彼女を世話するように言いました。やがて、欠要俏が笛を吹き始めると、一同は「沈酔東風」の一曲を合唱し、二人の道中の無事を祈りました。
(124)この一心同体となった一群の仲間たちは、役人に促されて後ろ髪を引かれつつ別れました。関漢卿たちの一行がとある村を通りかかると、道端の廟の前で芝居が演じられておりました。
(125)見れば、関漢卿の友人の謝小山や玉梅たちが、彼の作った「包待制、智もて魯斎郎を斬る」を演じているところでした。
朱廉秀「あの人たちはわたくしたちが通るのを知らず、あなたの劇を演じているのですね!」
(126)関漢卿たちが道端に馬を止めると、二人の老人が、劇の素晴らしさを賞賛しているのが聞こえました。関漢卿は大きな慰めと励ましを得られた思いがして、朱廉秀とともに嬉しく微笑みました。
老人甲「印象に残る劇でしたよ」
老人乙「関漢卿の劇は実に素晴らしいですなぁ!」
(127)役人が出発を促すと、関漢卿は舞台を振り返り、なお去り難く、感涙にむせびつつ、村をあとにして、去って行きました。
(了)

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