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「甘え」と「依存」の違いって何(゚_。)?

◆甘えるとは

対人関係で特別な、節度を超えた愛情や信頼を表現すること。愛情や信頼を示すことによって、相手からそれ以上のものを求めようとする態度のことも甘えといわれる。

◆依存とは

自分の"存"在を、他人に"依"る。

『依』の意味

①よる。たよる。よりかかる。「依存」「依託」「依頼」 ②そのまま。もとのまま。「依然」 ③はっきりしない。ぼんやりしている。「依依」「依稀(イキ)」

①よる。たよる。よりかかる。

が当てはまりますね。

『なんのこっちゃ?』

違いがよく分かりませんね…

では、もう少し掘り下げてみましょうか。

◆甘えの起源

甘えの起源は、乳児が、母親と自分は別の存在であり、母親は自分から離れていくという体験をするため、母親との一体感(欲求)を求めようとする感情にさかのぼる。そして母親に対する甘えの始まりとともに、他者に対する人見知りが始まるのである。一般には、甘えられる関係と、甘えることのできない関係とが区別される。

甘える心には【自分を持っている】という感覚があり、自分の欲求を満たす為に、相手を必要(利用)する感じですかね。

【甘え】の軸

アナタが行きたい方向(満たしたい欲求)に車を押してもって辿り着く(満たす)感覚。

自分軸(自分が満たしたい欲求がある)うえで、他人を必要とするということ。

仕事上で使われる『甘えるな!』というのは、自分がやりたいことなんだから他人に頼るな!という感じですね。

対人関係で使われる『恋人に甘える』というのは、自分が満たしたい(方向性が明確な)欲求を恋人と居ることで満たす。という感覚だと思います。

では、『甘える』と『依存』は何が違うのか?

【依存】の軸

依存というのは、冒頭にも書いたように【自分の存在(価値・欲求)を他人に依る。】

他人の価値観で生きており"自分が無い"状態のことです。

他人の車に乗り込み、行き先も他人任せにする感覚。

【他人軸】で生きるのが依存。

自分を持ってない人は『自分が何をしたい』という素直な気持ちを表現出来ません。

自分が行きたい方向が分からず、「なんだか不安」「ただ寂しい」という感覚を何かで満たそうとするのが【依存】です。

他人ありきの自分なので、他人に必要とされることで、初めて自分があるような感覚。

なので、満たされるようで満たされない。

誰かと一緒にいるのに孤独を感じる。

誰かに必要とされているようで無価値感を感じている。

自分で自分を感じられてないからいつまでも満たされないという感覚です。

◆根本的な違いは

「甘える」と「依存する」ということの根本的な違いは「自分軸」があるかどうか。

他人軸で生きるということは、他人の考えや世間の常識で自分の考えや言動を決めるということ。他人軸で生きていると自分の考えや行動を他人のさまざまな価値観に合わせてしまうので、自分がなく振り回されてしまう。

自分軸で生きるということは、自分の心に従って生きるということ。自分が生きたい方向に生きるということです。

これが、夫婦関係や親子関係においてだと、他人軸は、パートナーの考えや人生にのっかって人生を決めること。自分軸は自分の心に従いながら相手と共に成長していくこと。

支え合うというのは、違う車に乗りながらも、お互いに落ち込んでしまったり、自分がこうしたい!という時に甘えて押してもらう場面もあると思います。

そんなパートナーとの将来は、お互いに甘え合える素敵な関係を築けるのではないでしょうか?

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