【観劇】「恋に落ちたシェイクスピア」「僕は明日、昨日の君とデートをする」

2018-08-26 ブログ再録

観劇リハビリは絶好調!
胸キュン不足だったので、ラブストーリーを2作品観劇してまいりました。


■「恋に落ちたシェイクスピア」@劇団四季自由劇場


映画作品として有名な本作品。
私だけでなく、家族全員が好きなこの映画。
ちょうど実家に帰省した時も母、祖母とこの作品の話で盛り上がりました。
劇団四季が満を持して送る新作ストレートプレイです。
劇団四季を観るの、久々!福岡キャナルシティ劇場のCATS以来です!


タイトルの通り、資産家の娘・ヴァイオラと叶わない恋に落ちたシェイクスピアが、名作「ロミオとジュリエット」を書き上げるというお話。
当時の時代背景や、劇作家の立ち位置、エリザベス女王の権威にも触れていて、史実なのじゃないかと思わせるくらいよくできたストーリーです。


劇団四季といえばミュージカルですが、ストレート作品を作っていることを知らなかった!
シェイクスピアの詩的で膨大なセリフたち、どうしたって右から左へ抜けていってしまうのに、さすが劇団四季の俳優たち。
意味を持って、ずしりと耳に届き続けるセリフを処理するのに、頭がぱんぱんになりかけました。
基礎ができている、プロの俳優たちの力を感じました。

...とはいいつつ、やはりセリフが多い。2時間大変だった〜。

木で出来た2階立てのセットが、時にはおしゃれな資産家の家に、ときには質素な野外劇場に、
同じセットなのに全然印象が違って見えたのが印象的でした。
むき出しの木って不思議な魅力と包容力があるんやなぁ。

シェイクスピアの友人、マーロウの描き方が全然違っててよかったです。
ヴァイオラの家に忍び込んだシェイクスピアが見つかった時、とっさに「マーロウ」と名乗ってしまったことで
マーロウは命を狙われて、実際に命を落としてしまいます。
(実際はマーロウ自身のいざこざで死ぬんですが)
映画はそれだけだったんですが、舞台では随所に現れてシェイクスピアの恋を応援する立ち位置に。
物語終盤で、次回作を執筆するシェイクスピアを支えるマーロウの演出は切なく、温かかったです。
マーロウは死んでいるので、幻想の存在として、白くて暗めなピンスポット。
ファンタジックな演出ができるのも、舞台のいいところかもしれないと感じました。


でももう、カタカナが多すぎて、展開が怒濤すぎて、しかも長すぎて、
安心して楽しみたい方は映画を見て予習するのもおすすめです。
ヴァイオラは可愛いし、シェイクスピアはかっこいいし、1幕ラストのシーンはやはりきゅんきゅんでした。

パンフレットにあった「演劇の天国って実際にあったんだ」という演出家の言葉、今はかなりしみます。
天国って言われていた稽古場、どれほどの密度だったんでしょうか。
羨ましいような、なんというか...


■「僕は明日、昨日の君とデートをする」@オルタナティブシアター

朗読劇観たいな〜と思っていたところに、発見しました。
気付いた時にはもう立ち見席のご案内で、仕方なく立ち見席。
1日3回公演だったので、そこまで長くないだろうと思っていたらしっかり1時間半ありました。

映画化もされた本作品を、ロロの三浦さんが演出。
7組の男女の組み合わせでお送りする、東宝プレゼンツの「恋を読む」シリーズの第一弾とのことです。
男性たちは若手俳優(の中で、2.5を飛び出すか飛び出さないかくらい)が多く、
女性は人気声優さんや映画で活躍している方が多い印象。


今回は、最近は映画にもちらほら出演中、ミュージカル刀剣乱舞やテニミュでも有名な黒羽麻璃央さんと、
人気声優、スフィアなど音楽活動も盛んな戸松遥さん。
黒羽さん、もう少し若いイメージありましたけど、舞台上だと少し朴訥とした印象。
戸松さんは相変わらず華のある方でした。

朗読劇なので、基本的に台本を持ちながら、座って読んでいるシーンが多かったのですが、
細かな表情の違い、舞台上で体の向きや、舞台上の橋の上下運動、そして後ろの大スクリーンに描かれるアニメーションで
視覚的にも全く飽きることなく観ることができました。

いや〜〜〜、きゅんきゅん。もうきゅんきゅんでした。

黒羽さんの朴訥として、素朴で、素直なタカトシと、戸松さんのぱっと明るく、可愛く、綺麗なエミが
少しずつ距離を縮めて、恋をしていく様がまぁ可愛くて。
言葉や描写がピュアで、それを描く映像が、モノクロのアニメーションというのが、余計ピュア度を増していました。
いっそ幼いくらいピュアでした。
告白シーンで目線が台本に落ちていることが、どことなく二人の距離感を演出しているように見えたり
「愛してる」というセリフだけはしっかり相手の目を見たり。
細かい描写がきゅんきゅんでした。


パンフレットの三浦さんのコメントで、
普通のお芝居は今感じた言葉をさも今思いついたかのように言うけど、
朗読劇は、明らかにそこに描かれた言葉があって、それは追憶に近い気がする。
というものがあり、なかなか興味深かったです。
そして、この作品は「追憶」という意味ではぴったりなのかと。

朗読劇をいつかやりたいなーと漠然と考えていたのですが、なんだか朗読劇に感じる幻想的なイメージって「追憶」に近いことがあるのかもしれないです。

小説のもつ文章の透明度をそのまま舞台に上げたいな、と考えた時に、朗読劇は心象的なところもそのまま音にして届けることができる。
っていうのはすごく短絡的な考えですけど。笑

そのト書きであったり、心象的なところは、まぁ演技で補うんですけど
それでもやっぱり、捨てきれないくらい美しい日本語というものは存在していて、勿体無いなぁと思う瞬間が多いわけです。
戯曲よりやっぱり小説が好き。
声に出したい綺麗な日本語ってやつですかね。


話は少しファンタスティックで、かなり切ない事実が明らかになるのですが
欲しいところで、欲しい音量の綺麗なオーケストラ音楽が流れてきて、欲しい映像の美しさと、欲しい照明の光。
いやーー、気持ちよかった。笑
切ないときに切ない音楽、盛り上がる時に盛り上がる音量、
ベタだなとか言われるかもしれないけど、綺麗なものは綺麗なまま、純度高く演出して欲しい!笑
ロロの三浦さんの作品観に行こう!と思いました。

にしても、他の組み合わせも観たい!
未成年の三浦くん、絶対可愛いやろうなぁとか
逆に鈴木拡樹さんは大人の雰囲気漂ってたんじゃないかなぁとか
本人たちも全然違う!とおっしゃってたし、ああ見たい。他のも見たいなぁ。