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世の中の閉塞感と自分。

何にもない日がずっと続いていた。コロナの影響で外へ出るのも億劫だし、家にいてすることはゲームくらい。とにかく何もしていなかった。

実は3ヶ月くらい前から「イマイチ元気でないな〜」と感じていた。鬱とまではいかなくとも何となく微妙な空気が自分に漂っている。些細な取っ掛かりだけど放置するのもマズい気がしたので心療内科に行って相談をしてみた。

そしたら病院の先生から「コロナ禍になってから、貴方みたいにコンディションの不調を訴えてくる人が増えてきた。気分転換もできずに抱え込んでしまうんだろうね。」と言われてしまった。

確かに考えてみれば気分転換なんてものをしばらくしていない。マスクしたまま行楽するのも何か嫌だし、それなら家に籠もってゲームとかネットサーフィンしてたほうが全然マシな気がしてならないのだ。でもそんな日々は確実にゆっくりと僕の心を”良くない方向”に導いていたらしい。

嫌でも情報が飛び込んでくる現代だ。特に最近は暗いニュースばかり。仕方ないことだけど、感染者数とかコロナの変異種が〜なんて話ばっかりを見聞きしていたら、どうやったって気分は落ち込んでしまう。

思えば少し前まで休日になれば友達と遊んで飲んで、良い気分で帰宅していた。たまに遊ぶのが面倒な日だってある。そんな日は家にこもってゲームをする。画面の中で「もう一人の自分」を作ってヒーローになっていた。それはそれで気持ちがいいもんだ。

そうやって”アクティブ”と”非アクティブ”のバランスを上手く取っていたのだ。シーソーの片側だけが重くならないように、無意識的に良い塩梅を見つけて日常を彩っていた。

でも、それすら出来なくなった。日常のバランスが取れない。塩梅が分からない。今までずっと「自分はどっちかと言うと引き篭り体質だし、ステイホームなんて余裕だろ」と思っていたのに・・・。全然余裕じゃなかったのだ。

余裕じゃない自分に気付けた今はいいけど、気付けてない期間は大変だった。「いつか元気になるだろう」なんて何の根拠もない憶測を勝手に信じてはいけない。元気がないとき、何か違和感を感じる時は素直に原因を探ったほうがいい。原因が分かるだけでも大きな一歩なのだ。

僕の場合は篭りがちになっていたことと狂いそうだった生活リズムが気持ちの憂鬱さの原因だった。だから何とか早起きして、なるべく散歩するようにしている。早起きと言ってもそこまで早起きじゃないけど、今の自分に出来る範囲で頑張っているから良しとしよう。散歩するのも楽しい。やっぱり外の空気は美味しいし自然と気分が上々してくる。と言っても天気が悪いとか極寒の時は避けるけど・・・。天気が悪くて寒い時は早起きして家の中でヌクヌクするのが最高だ。気になっていた海外ドラマとか映画をイッキ見するのもおすすめである。お菓子とジュースを側に置いて鑑賞しよう。そうすれば僕の家が映画館になっている。

不思議なことに、気付けば悪天候が家の平和さと良いコントラストになって風情が出てくる。なんと素晴らしい景色だろうか・・・!


コロナ禍になってから世界が元通りにならない気がする。思い返せば去年の春くらいは感染者が少なくなって収束は近いなんて思っていたのに。やっぱり世界は思い通りにいかないのだ。ずっと世界中に閉塞しきった雰囲気が蔓延しているのは紛れもない事実である。こんな世の中なのだから気が落ちてしまうのも仕方ないし、誰もそれを責めない。だからどうか落ち過ぎないようにしてほしい。

どんなに閉塞しきった世界であろうが「小さい幸せ」はそこら中に転がっている。夜中にこっそり食べるカップラーメンの美味しさを噛みしめたり、面白い動画をYouTubeで見つけたり、昨日は上手くいかなった料理が上手くできる日だってある。そんな些細な嬉しいことを今まで以上に染み込ませてみよう。

今までは無視していた出来事だって、目を向けてやれば自分にとって嬉しいことだったりするものだ。

例えば、僕にとってはこうやって文章を書くことが楽しいなと感じている。誰も読まなくたっていい。自分の中で「これはよく書けたな〜」と感じられればそれで100点満点だ。

「こんな世の中じゃ元気なんて出ない」という意見も分かる。でも僕たちはこんな世の中で生きていくしかないのだ。だから小さいことでも笑って、幸せを感じていこうじゃないか。どうせ生きるなら幸せの数を増やそうよ。

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