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変わるぞ、今年は。

なんと3月の後半になって、やっと今年の目標を書こうと思う。
なぜこんなに書くのが遅くなってしまったのか?
言い訳を考えるのは得意だから、たくさん湧いてくるけど、単に『サボり癖』が発動していただけだ。

年が明けてからずっと「あ~noteに今年の目標書こう」とは思っていた。
しかし、気付いたらその目標は脳みその一番奥の引き出しに入っていたのである。
引き出しの場所も忘れ、ゲームに没頭し、WBCに熱狂し、花粉症に怒る。
そうしてやっと僕は目標を書く気になったのだ。

もっともっと前置きを長くしたい。なぜなら何を書こうかまとまっていないからだ。
こうして前置きを長くすることで、後から書くことを思考しているつもりなんだけど、まとまらなさそう。

こうなったらとりあえず思いついたことを書いてみよう。

一つのこと・一人の人へ夢中になりすぎない

僕は昔から『何かに夢中になってしまう傾向』が強い。
例えば一つのゲームにハマったら死ぬほどそのゲームをやりまくる。もう周りが引くほどやりまくる。
使える情報網は全部使って、そのゲームを遊びつくしたい。しかし、飽きるのも早い。熱がなくなったら何にもしなくなってしまう。

そうして僕は「趣味のサイクル」を回しているのだ。
本を読みたい時はひたすら本を読む。そして3週間くらい経ったら映画を見まくる。それが終わったら違うものに没頭する。

別にこれは悪いことじゃないんだろうけど、今年はもう少し上手く生きたい。
やりたいことを2つほど用意して、同時進行をしてみたいのだ。
この生き方が向いてなかったらそこまでの話。

ただやっぱり一つに没頭しすぎると、面白いコンテンツの旬を見逃してしまったりする。それがたまらなく嫌なのだ。
世の中には数え切れないほど面白いことが眠っている。食わず嫌いをせずに何でも味わってみたいな今年は。

これは人との接し方にも言える。
僕は好意を持った人に対してめちゃくちゃアプローチをする。それは恋愛感情だけじゃない。
「この人面白そう!」と思ったら、連絡しまくるし会いたがる。
だから、その人の価値観に染まってしまいがち。影響を受けやすいのだ僕は。

固定された身内だけで話すのは楽しい。だって話しやすいし身内ノリも通じる。
でも、身内ノリで形成された価値観ほど恐ろしいものはない。
歳をとるにつれて、否定することが簡単になっていく。新しい価値観を肯定して許容する器が狭くなってしまう。

僕が生涯の目標としている『世界で一番優しい人間』になるためにも、固執せずに色々な人と関わり合いたい。
影響を受けるのは悪いことじゃないのだ。たくさんの人と関わり合って、自分なりに『世界一の優しさ』を見つけたい。

恋愛に関してもそう。
誰かに夢中になって”自己中の愛”を押し付けるのではなく、思いやること・受容することを忘れないようにしなければ。

本気で恋人探しをしてみる

これも個人的に超大切な目標!
今の僕は失恋して引きずっていることに酔っている。これは紛れもない事実だ。
別に恋愛しなくても生きていけるし、孤独のまま人生を終えても仕方ねえなくらいの気持ちもあった。
がしかし、やっぱり僕は寂しいのは嫌なのだ。愛する人と楽しいことを沢山したいのだ。
好きになれる人なんて簡単に見つからない。正直出会いの場もないに等しい。

今までマッチングアプリを利用して会ったこともある。
その中で「多分これは告白すれば付き合えるのかもしれない」と感じた場面もあった。
しかし、僕は過去の失恋を盾にして新しい恋から逃げていたのだ。

始まる前から終わることばかり想像している。踏み出すことに怖気づいている。本当の自分を見せても引かれそうで何もできない。
一緒にいる時は「いい人だな」「この人なら」と思っても、勝手に悲恋を想像して失望してしまう。

いい加減こんなことはやめよう。僕だけじゃなく相手にも失礼じゃないかそれは。

出会うのも大変だし、僕のことを良いと思ってくれる人がいるかも分からない。
でも!今年は人生で初めて『本気の恋人探し』をしてみる。

恋人や結婚相手がいなくたって人生は成立する。
でも、自分の隣で好きな人が喜んでくれたほうが充実度は高いと僕は思う。
人生は生きるためだけにあるんじゃない。充実させるためにあるんだから、僕は僕が思う幸せを追求したい。

なんか大層なことを言っている感じだが、要するに「好きな人とラブラブしたい」ってだけだ。
今年三十路の男がこんなことを言っているのを許してほしい。

エッセイストになる

これは僕の夢である。
エッセイストとして生きていくのは難しい。
小説とは違って、自分の価値観や起こった出来事を文章にしなくちゃいけない。さらにファンも付かなきゃならない。
なんと大変な道のりだろうか。

でもやっぱり僕はエッセイストになりたいのだ。
この文章で誰かが救われたり、共感したり、たまにニヤッと笑っていてほしい。

「広田タカヒロのエッセイ読んだ?マジ心に刺さるわ」
「タカヒロのエッセイ読むと、なんか元気出るんだよね」
渋谷のギャルがこんな会話をするようになってほしい。

だから今年はエッセイストになるために、色々と試行錯誤をするつもりだ。
てか別に「俺エッセイストす。」と名乗るだけなら自由だし、今日から名乗っちゃおうかな。

何してるんですか?と聞かれたら自信満々に「エッセイスト!!!」と言うことにしよう。

落ち込むことが目立つ日常だけど、こうして夢を持っていると何でも乗り越えられる気がする。

いくら嘲笑されたっていいさ。僕は自分の文章であなたを救ってみせますよ。


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