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「醜形恐怖の人間が、顔がいい男と付き合って壊れたり、『東大美女図鑑』をつくっている話」


◆ はじめに

ここ2-3年くらいのことを、「醜形恐怖」という軸で、ざっくり振り返っています。エッセイというほど整文してもいない。
目的は、自己満とPR。
それから、ほんの少し、誰かの支えになればいいと思って書いています。

 目次というほどでもない。
 ・「醜形恐怖なんだよね。」
 ・高良健吾似のイケメン
 ・東大美女図鑑に飛び込む
 ・割愛するけれど、「自身があったから。」
 ・2020年夏、破裂その一
 ・2020年夏、破裂その二
 ・『東大美女図鑑 vol.13』
 ・醜形恐怖症
 ・『東大美女図鑑 vol.14』


「醜形恐怖なんだよね。」

ライトにソフトに言っている。

「そうなんだ。」「望月の容姿が悪いとか、気にしたことないよ。」

きっと、その重さで受け取ってもらえている。

私も、正直最近まで軽くしか考えていませんでした。
鏡見るの避けちゃうなあ~とか、写真撮られるの苦手だな~とか。
そういう人間なんだなって。

というか、多分みんなそうだと思っていたんです。
自分の顔を嫌いじゃない人間の方が少数派だと、
その少数派というのも芸能人くらいだと思って生きてきました。


◆ 高良健吾似のイケメン

大学二年生の夏に、高良健吾似の男の子に告白されました。
一つ年下ということもあって全く恋愛対象ではなかったけれど、
まぁ一度考えてみることにしました。

だって、彼は「顔が良かった」から。

決め手は何より、どこを好きになったのと尋ねた返答。
「初めて見たときからかわいいと思っていたし、顔が好みだったから。」
おそらくその言葉から48時間以内に彼を呼び出し、申し出を受けたのだと記憶してます。

好きなわけじゃなかった。

でも、顔がいい人に認められれば、
私はもう、誰かから「かわいくないね」と言われることを恐れなくても良いと思ったんです。

たとえ言われたとしても、
「そう?でも、イケメンは私のこと『かわいいから好き』って言うから、別にいい」って吐いて、去ればいいのだから。


◆ 東大美女図鑑に飛び込む

高良健吾似の彼氏は、結構癖のある人間でした。
付き合った最初から、カルチャーショックを受けることばかりだったし、
穏やかに過ごせる週はなかった。

でも、聞こえないのに耳の奥に居座っていた「かわいくないね」という声からは、逃れることができていた。
だから、交際は続いていました。

そんなこんなで、付き合い始めてから半年経った頃。
シェアスペースで顔をあわせることの多かった男子学生が、
『東大美女図鑑』リブランディングの記事を書いて、バズっていました。

良いので!
東大生デザイナーによる東大美女図鑑リブランディングの全思考プロセス 〜僕はJKになりたかった〜
https://note.com/sonishimaru/n/nf175ab1401d9

それを読んで、興味を持った。

というか、意外と近くにあるんだなと思った。

ずっとアイドルが好きで、特に『LARME』という雑誌に載っているモデルさんが大好きで。昔からかわいい女の子と彼女たちを輝かせる雑誌という媒体に、惹かれていました。

「かわいい」東大女子を掲載する『東大美女図鑑』も、私にとっては同じ位置にあった。

きらきら遠いものを身近な人がつくっていて、
当時十代だった私は、若者の特権とばかりに軽はずみにも

「編集部に入りたいです!」と連絡を取り、

するするするりと入部しました。

東大美女図鑑公式 Web サイト
https://stems-ut.jp/


◆ 割愛するけれど、「自信があったから。」

知人向け近況報告自分語りゾーンです。
大学では、不真面目法学徒なりに、教員免許取ったり、心理系の資格やプログラムの単位を揃えて。
ゼミ長やSAをして、フィールドワークスタディや研究室インターンに参加。兼サーもしてたな。
情報学環の研究生も合格、ダブスク状態に。

学外では、いくつかバイトしたりアート系の出版社でインターンしたり。
それから、美術館や舞台に頻繁に通うようになった。
積極的に人と会ったり、遊ぶことも多くなった。
けれどやっぱり、いつも何か読んでいた。
そういえば、大学二年生の冬にフィンランドに行ったな。

そんなこんなで、何がしたいのかわからない、
いや、「したい!」と思ったこと片っ端からやっていました。

それも、今思えば「自信があったから」手当たり次第できていたんだと思います。やればできるって、「私なら」って。

そうして、なんとなく自分のことかわいがっているうちに、あっという間に四年生になっていました。


2020年夏、破裂その一

ずっと別れたり付き合ったりしていて、周りの人に相当迷惑をかけていた高良健吾似の男の子とは、結局2020年の夏に別れました。

その日も東大美女図鑑の打ち合わせか何かがあって、活動が楽しくて脳内麻薬か何かが出ていたから、「別に仕方ないな、やっぱりな」って感じだった。

多くは語らないけれど、いわゆる「モラハラ」や「デートDV」に分類される行為を日常的にしてしまう人だったので、ドタキャンも、理由なくだんまりになってしまうことも、突然帰ることも、終電ない時間に帰されることも、もういちいち傷つく方が馬鹿馬鹿しいと思っていました。

おそらくは、傷ついていないふうでいたかった。

別れた時でさえ。
でも、結局悲しいものは悲しくて。二年間も彼の扱い方や対処法を積んでいた、我慢してきたことは何にもならなかった。

もっと早く別れる選択もあったのに謝られ縋られたら許してしまう自分は、「イケメンに肯定されること」を手放せないでいたのだと気付きました。

思うに、醜形恐怖の仕組みと同じで、
私は「みじめ」であることが最も恐ろしかったんです。

みじめになりたくなくて、苦しいことも笑い飛ばしてきてしまったせいで、何もかも終わった瞬間に破滅的な状態に陥りました


2020年夏、破裂その二

夏休み、臨床心理の勉強にも身が入らなくなります。

自分の精神状態は普通じゃないって自覚しているのに、精神疾患の話に目を通して普通でいられるわけがなかった。

毎晩泣きながら教科書を読んで、数ページ読むたびに苦しくなる。
パーソナリティ障害について、「多かれ少なかれ当てはまるよみんな」と唱えながらも、その章を読んだ後は死にたくなって。

法学部からなんとか臨床心理の院に行こうとしていた私は、ぽきっと折れて、方向を見失いました。

自分がしたい勉強が、自分のせいでできないことが、苦しかった。
すごくすごく、悔しかった。

その頃から「イケメンの肯定」という支えを失った私の醜形恐怖はぶり返していたのかもしれません。

どん底でも、8月からバイトの数が増えるし、9月にはオンライン学祭があるし、10月には介護等体験や教育実習があった。
仕事があればちゃんとやる、そんな自分のことは多分嫌いじゃない。

でも、教育実習はあまりうまくできませんでした。
教壇に立つと「ぶす」とか「声が汚い」って思われているんじゃないかって。裏で悪く言われるって不安で、上手くホームルームクラスに、特に男子生徒に溶け込めないまま3週間が過ぎてしまった。
この後悔は、一生ものだと思います。

臨床心理と教職と、ずっと頑張ってきたことさえ、自分から離れて遠くに行ってしまう感覚。破滅的な季節と形容するほかありません。


◆ 『東大美女図鑑 vol.13』

夏から少しずつ『東大美女図鑑 vol.13』の制作が再開したこと、
秋頃までに本格化していたことは、私にとって本当に救いでした。

モデルさんの表情を和らげたり、インタビューして内面を文字にして、
その人の「かわいい」を映しとり描き出す活動それ自体、私にとって大変やりがいのある楽しいことだったから。

何より、「かわいい」の概念からそれ自体を問い直せることは大きかった。それはつまり、「かわいくないよ」って声に自分一人で立ち向かえる可能性を手にする、そんなことを意味していた。

容姿だけじゃない「かわいい」を伝えようとするvol.13の方針「かわいいは、虹色」を部員として支えているつもりでしたが、それは私個人の支えになっていたのだと気づきます。

ただ、活動の中で、自分の醜形恐怖を自覚することも多々ありました。
カメラを向けられて笑顔でいられることそれ自体が、あまりに遠かった。

思い返せば、この春大学を離れたクラスの友人はみんな、
「望月って、写真撮るとき笑わないよね」って言っていた。

「いや、笑えないんだよ。」

レンズを向けられてどうしたら笑えるのかわからなかった。
それは、東大美女図鑑編集部員として撮影に何度も立ち会い、何枚も写真を撮った今でも変わりません。変われない。


◆ 醜形恐怖症

さて、醜形恐怖の話に戻ります。

確かに、「不細工」「醜い」と指摘されたことはない。
けれど、そう思われていると信じこんでしまう。

オンライン、つまり自分の顔を画面で直視しなくてはならないこの1年少しで「醜形恐怖」が「醜形恐怖症」の域だと自覚することになりました。

醜形恐怖症(参考)
https://www.msdmanuals.com/ja-jp/ホーム/10-心の健康問題/強迫症および関連症群/醜形恐怖症

授業で「通信環境が弱いので」と言ってビデオオフにしてしまうのを許してほしい。
たまにプレゼンやらがあってインカメで練習するけれど、その夜にはずっとネガティヴになる。
丸一日以上鏡を見なければ、その波が去ること。

今日まで20年余りの人生を思い返して、真面目に化粧をするようになったのはこの半年だけのことだと意識する。
ずっと、鏡を見ることが怖かったから。
始めたきっかけも東大美女図鑑の活動で、化粧することがモデルをしている女子学生との話題になるから、彼女たちの話を理解するために始めたところが大きい。
そしていざ始めれば、際限がないことも想像に難くないでしょう。

高校で周りの子が染まっていく、洗顔の文化を受け入れられなかったことも思い出しました。何の洗顔料がいいとか知らない。水だけ、あるいはもっと酷く、ウェットテッシュでささっとするだけ。
だって、濯ぎ残しを確認するために鏡を見ることさえ、したくなかったから。
中学では、いじめが直接の原因とはいえ摂食障害をしていたことまで湧き上がってくる。

自分の顔への忌避。
なんだ自分は、ずっと醜形恐怖「症」だったんだな。

たくさん泣いて、たくさん喚いて、たくさん落ち込んだ。
それで最近ようやく、しっかりした重さを持って、「醜形恐怖症っていうのがあって、」と話せるようになりました。


◆ 『東大美女図鑑 vol.14』

さて、少し時を戻して2020年最後の月に編集長になりました。
出版社インターンの経験を生かして、ライター統括の兼任もしています。

先代には「醜形恐怖治らないまま、編集長できないだろ」と言われていましたが、なんだかんが人員不足ゆえです。

正直組織として崩壊し(かけ)ていたので、すずかんゼミで鍛えていただいた力を掘り起こして再建しました。

緊急事態宣言ばかりで進行スケジュールに遅れが生じ、五月祭に間に合わせることは叶いませんでしたが、持ち前の調整力で大方の撮影を済ませています。

嘘です、部員みんなが勤勉で優秀なおかげ、ご協力いただいているモデルさんのご厚意のおかげです。
いつもありがとうございます、心からの大好きが溢れそう。
部員も好きだし、やっぱり活動自体も好き。

だって、「かわいい女の子」が好きだから。
でも、編集長だからそれだけじゃ足りない。

これまで直観的に「かわいい!!」「女の子っていいわああああ~!!」ってしてきたものを、一つひとつ見つめて、説明責任を果たさなくてはならない。

だからこの半年、「かわいい」についてずっと考えています。
その言葉が持つポジティブなエネルギーとか、この概念が孕む暴力性とか。

同じくらい、これは物心ついてからずっと考えていたことでもありますが、「性」について考えています。
どこまでが、私たちの対象とする「女の子」なのか。

完璧な答えはでない。
どこに基準を与えても、誰かを傷つける。
それでも、考えなしに傷つけるのと、確固たるものを携えて衝突するのじゃ違うと思うから。せめて後者でありたいから、考え続けます。


◆ 終わりに

こんなにまとまりのないことを文字にしてよかったのかわからない。
けれど、ずいぶんお会いしていない人、連絡できていない人もいるので、近況報告を兼ねてラフに書きました。

「最近どうしてるの?」には、「『東大美女図鑑』の編集長やって、バイトして、本読んでいる」って答えるほかないし、「将来どうするの?」には、だんまりですけれど。

これは全て私の独り言で、
東大美女図鑑編集部(STEMS UT)とは
関わりがないことをお断りしておきます。

それに編集長としての私は公私混同せずにしっかりやっているから安心してください。
と言いつつ公私混同ののろけですけれど、東大美女図鑑の活動の中で醜形恐怖症を理解して、自分の顔が嫌いな私を残してくれる友人に出会えました。

あ、渾身のテーマとそれをデザインにしてくれるキレッキレなデザイン統括兼副編集長がいるので、『東大美女図鑑 vol.14』はめっちゃすごいです。2021年の駒場祭をお楽しみに。


★重要★

とりあえず「なんだ、こいつ生きてんのか」って思ったら、
『東大美女図鑑 vol.13』買ってください。

以下のリンクから!
https://fragrant-sun-9755.stores.jp/

特別に私経由でも渡せます(♡)
拡散してもらえたら、とても喜びます。


それから、情報学環の授業で企画コンペ(?)勝ったので、
『宣伝会議』様に寄稿しました。

「オワコン」なんて言わせない! 現役・大学生編集長が考えるルッキズムが問題視される時代の『東大美女図鑑』
https://www.advertimes.com/20210322/article342593/

こちらは3000字っていわれていたのに、締切前日に12000字にしかならなくて削り取った雑な仕上がりです。正直ちょっと読まれたくない。
宣伝会議』編集長さまにお詫びしかないです。

削り取った部分も、近々何かのメディアに載せる予定なので、またご報告させてください。


◆ おわりにのおわりに。

色々あったけど生きてます。
片親、被いじめ、摂食障害、不登校、4年間の無月経、軽度の性別違和に加えて、醜形恐怖症と被モラハラ・デートDVの話を当事者性を持って聞けるようになったので。
きっと、特に現在は、一見弱いけれど、強くなりながら年を重ねています。
どんなに苦しさの中でぐちゃぐちゃになって足掻いても、この世界の誰かの苦しみを少しでも理解できるようになるなら、支えになれるなら、私はそれを「私の強さだ」と胸を張って言いたい。
いつか何か困った時は呼んでください、きっと隣には居られます。
ふつ〜に受験の相談とかも乗れます。
あとやっぱり『東大美女図鑑』買ってください。

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