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「九十歳まで働く!」

「九十歳まで働く!」(郡山史郎 ワック)

ソニーの常務取締役をやった著者による、高齢者の仕事についての本。副題に「こうすれば実現できる」とあるが、ソニーの経歴をもとに再就職をしたり会社を興したりしたという話なので、その部分は凡人には全く参考にはならなかった。ただ、高齢者の職探しについて、歯に衣着せぬ言葉が並んでいて、その部分は少し参考になった。

「古希」間近の私は見向きもされなくなった
求職者を年齢、性別などで、差別してはいけないことは、日本でも法律で定めてある。ところが七十近くになったビジネスマンの求人はゼロだった。突然、自分が市場で無価値であることが分かる。年齢はガラスの天井どころではない。鋼鉄の小部屋で出口がない。そこで、私は人材紹介会社を創って、高年齢者の再就職の研究を始めた。(67ページ)

高齢者でも専門職はそこそこできるではないか。高齢の医者、薬剤師、弁護士、会計士などはたくさんいる。百歳を超えた医者・日野原重明さんもいる。(74ページ)

十年も前になるが、会社で、高齢者対応のプロジェクトをやってみた。情報産業を主体としたある団体にお願いして、メンバーに定期的に集まってもらい、企画会議をすることにした。テーマは高齢者の再就職。錚々たる有識者、学識経験者が侃々諤々の議論をした。
一方で、厚生労働省、日本商工会議所、地方自治体の地域活性化担当者などとも連絡を取り合い、実情調査と対応の研究をした。リクルートの研究所にもお願いをして、講義をしてもらった。そして......。どうなったか。
結論として、全ての活動は、何の成果も生まなかった。いや、生んだかもしれない。それは、「高齢者の再就職に関する、組織的、効果的活動は不可能である」という結論を生み出したからである。(112-113ページ)

ところが、人材紹介業では、受注は極めてやさしい。良い人材が欲しくない企業は無いので、良い人がいますよ、と言って歩けば、注文はいくらでもとれる。だが、良い人は滅多にいないから、納品できない。良い人がいないから、いたら、大金をくださる。つまり紹介料は、良い人を探す手間賃であり、見つかった時の成功報酬である。この関係は言葉で言うのは簡単だが、実際にやってみると難しい。私の納品率は、この仕事を始めたころは一〇%くらいだった。今は一%くらいだろう。つまり、百件頼まれても、一件しか納品できない。(116-117ページ)

即戦力は、要するにその仕事ができる人を探すこと。プロ野球の他チームからのスカウト、戦力補強に似ている。ただ、米国大リーグからたくさんの選手が日本にくるが、ほとんどが外れであるように、他社では仕事ができても、環境の違うところでは、能力が発揮できないことは多い。また、能力と思ったのが、単なる幸運だったり、周りに良い人がいたからで、当人の実力はさほど関係なかったということもある。ビジネスの世界は、ルールや相手が野球ほど明確でも、単純でもないから、むしろ人柄や、論理的思考力に長けている地頭がいい人や、応用力のある人を中心に採用したほうが良いように思う。(120ページ)

システム、制度が創れないのは、高年齢者の多様性のためであるとすでに書いた。では、システム、制度は無いにしても、個別に、どうすればよいか。これは社会の問題ではなく、個人に課せられた課題である。一人一人が個別に対応する以外にない。そのための提案はある。まず、なぜ就業機会がないか考えてみよう。理由は簡単で、その価値が無いからである。高年齢者は伸びしろは無いから、その仕事ができなければならない。若い者にはまけないと言っても、ほとんどの場合、高年齢者は、若い者と体力的に同じ仕事はできない。スポーツを例にすれば、わかりやすいが、ビジネスの現場はほとんどスポーツと同じである。スピード、耐久力、最新のツール、機材を使う能力など、若者には勝てない。知恵や経験が生きる職場はビジネスの現場にはほとんどない。知恵や経験があってもそれを活かして活躍できるのは、せいぜい五十代までだから、どうしようもない。(141-142ページ)

高齢者の就業は、自分は無能であり、社会の中ではほとんど通用しないという認識から始まるべきであろう。ただ、人材紹介業のように、良く出来るものがある。それを丹念に探して、自分でその能力を磨き、成果をあげるべきであろう。これは非常な多様性の世界でそれがなにであるかわからない。ただ、知識労働者としたのビジネスマンは、体力が衰えても、余人に代えがたい能力を発揮できる機会はあると思う。大きなお金は稼げまいが...。年金の足しにはなり、そのような活動は、GDPを押し上げるから社会的意義もある。

私は「個人事業者」になることを勧める。雇用関係だと、どうしても「上下関係」になり、気まずい思いをすることが多い。個人事業者は、実際上、社長なのだから、どのような仕事をしても、上司はいない。少なくとも対等である。そこにはいやな株主もほとんどいなければ、憎らしいメインバンクもいない。日本の将来は、「高齢者個人事業者の大集団」によって運営されるというのはいかがだろうか。(142-143ページ)

ともあれ、ここで、再度強調しておきたいが、職業紹介は、個人からみても会社からみても顧客満足度の極端に悪い業界であるということだ。(148ページ)

長年の経験などで尊敬すべき老人は沢山いる。また人類のため、国のため、家族のため、貢献してくれた先輩たちには、その一因として、恩義を感じ敬意を表すべきであろう。ただ、それは個人によるし、年齢だけが、尊敬すべき理由にはならない。高齢者は、本質的に、心身の能力が低下してくるから、それでも社会の一員としてやっていくには、それなりの対応と努力が必要になる。若い時とおなじことはできないので、仕事の内容、時間などは変えなければならない。それは高齢者が自分で解決しなければならない問題である。(158ページ)

いくら自由があり、好きなことが出来る時間があっても、人は幸せにはならない。アンドレ・ジッドが、「人の幸福は、したいことが出来ることの中には無い、しなければならないことを受け入れる中にある」と書いている。「リベルテ」(自由)の中ではなく「デボワール」(義務)の中にある。ある人がインドの貧民窟で孤児の世話をしているマザーテレサに、「そんな大変なことを、よく自分からなさいますね」と言ったら、マザーテレサは、「とんでもない、ボランテァーをしているのではない、キリスト様に言われてやってるだけです」と答えたという。(159ページ)

六十歳から百歳までの間のビジネスマンに、まだ途半ばで八十代前半の若造の私であるが、自分の体験から申し上げたいことがある。
お勧めしないもの
一 学校に行く。
二 資格を取る。
三 語学の勉強をする。
四 ジムに行く。
五 本を書く。
六 葬式。
七 勲章。
八 NPO参加。
九 会社を創る。
十 勝負事。

お勧めしたいもののリストを作ってみる。
一 図書館。
二 散歩。
三 趣味。
四 おしゃれ。
五 家事。
六 病院。
七 交際。
八 車。
九 住まい。
十 仕事。
(161-172ページ)

マラソンは折り返し点で終わりではない。人生の勝負はゴールできまる。後半戦を成功させるには、その本質を基本的に理解している必要がある。いや、理解せずとも、本能的に感じるだけでもいい。折り返し点まで行けば、後半戦に入れる喜びが生まれる。前半戦を走り終えたのだ。そこでの順位や成績は関係ない、まずは折り返しまでのコースを「完走」したことを喜ぼう。後半戦は全く条件が異なる。体力は徐々に無くなり、いつ倒れて退場になるかわからない。走行中に倒れて終わりとなるかも知れない。無理をせず、出来るだけ到達点を長くする。もちろん、完走が目標だが、一歩一歩進んでいくことの価値がおおきい。だれも助けてくれないし、原則として、自分だけが頼りの、おもしろい世界である。(174-175ページ)

仕事をしたくても見つからないときは、仕事を探すことも仕事と考えて、計画的にきちんと、楽しくやる。仕事探しは、高齢者でなくても、難しい。私の会社のモットーは、「あせらない、おそれない、あきらめない、笑顔でやること」になっている。どうしても見つからなかったら、自分で発明するくらいの、気持ちがほしい。後半戦は、くたびれた体力で、やるのだから、気持ちだけはくたびれたくない。マイペース。

もちろん仕事のある人は、それを大切にしよう。良い仕事は、自分のためになる。誰かの役に立っているという気持ちほど、自分に力と達成感をくれるものはない。自分の幸せはそこから生まれる。仕事がある幸運に感謝しよう。(177-178ページ)

人生は長い。いまですら長く生き過ぎたと感じる。フランスには、「永遠と人生は同じくらいの長さだ」という言葉がある。(182ページ)

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