『魔法免許』 第2話 救済魔術
病院の廊下を大急ぎで走る救命医たちと担架に担がれている重傷の患者。
「すみません、道を開けてください! 急いでます、道を開けてください!」
救命医の足立咲也は叫びながら疾走している。
「このままでは死んでしまう。急がないと!」
「直ぐそこの処置室へ! 急ぐぞ!」
手術室へと急いで入る一団。直ちに患者には様々な機器が取り付けられ、
脈などの測定が始まった。だが、手術室に入ってから数分後に心肺停止を知らせるブザー音が手術室に響き渡った。その場に居た全員が絶句した。咲也は目の前の命を救えなかった。自らの呵責に耐えられず、彼はブザー音だけが鳴り響く手術室で思わず叫んだ。
数時間後。咲也は同僚の医師、須藤朱美と病院の屋上で会話をしていた。
「今週もまた一人、命を助けられなかった……」
「……でも、今週はその人以外助かっているんでしょ?」
「そうだけどな……」
「じゃあ、今週はよくやった方だと思うよ」
「だけどな、俺の仕事は人の命を助けることだ。それができなかった」
「……」
朱美は何も言えなかった。本当なら全ての助けられる命を助けたいところだが、現実としてそれはできないことを彼女は知っていた。だが、咲也はそれを理解しつつも目の前の患者が死んでしまう現実をどうにかできないかと悩んでいる。
「新法案が通るといいんだけどな」
「新法案って、重症の患者を魔術で仮死状態にして、容態を保ったままにできるってやつでしょ?」
「そう。今、国会で揉めている例のアレ」
その法案が通れば医師にとってどれだけ嬉しいことか。だが、現状を思うと二人はため息をついた。
魔法を専門的に扱う学問、魔術学の発展によって二年ほど前に一時的ではあるが人体の活動を止められる術が見つかり、医学会はこれを利用してより多くの命を救えるとして、医師がその魔術を使えるよう魔法の使用に関する法律、魔術法の改正を訴えた。だが、様々な団体がそれは倫理的に問題があるとして社会問題に発展、国会でも改正法案を巡って議論が続いていた。
「まあ、その話題を考えても仕方ないでしょ。世論は法案を通したくないという意見に傾いてきたし。」
仕方なしに朱美は咲也に言った。咲也もそれに対して悔しくも同意せざるおえなかった。
「だけどさ、あの魔術自体は使えるんだろ?」
少し間が空けて、咲也は朱美に尋ねた。
「そうよ。魔術を使うこと自体は簡単よ。ただ、それが合法か違法になるかは不透明だけど。」
「それって、論文とか有るか?」
「探せばあると思う。」
「なるほどね……」
咲也は納得した様な表情を浮かべる。朱美はこの時、自分が何か恐ろしいことを言ってしまったのではないかという考えが頭を過ったが気にしないでおくことにした。
「こんな時間か。じゃあ、また。」
「じゃあ、また。」
時計を見て、朱美はその場を離れた。そこに咲也だけが残り、彼はその後も物思いにふけているのだった。
数時間が経って、咲也はデスクのパソコンである論文を読んでいた。読み終えると彼は手から魔法陣を作り出して、それをデスクに置かれている時計に向ける。表示されている時刻は夜の十一時ちょうど。魔法陣を向けてみたが、時は進み続けていて、彼が手にはめた腕時計と同じ時刻を示している。彼は不満げな顔を浮かべた。その後も彼は何度か、魔法陣を広げた手を時計に向けた。二十分程が過ぎた頃、時計の時刻は彼の腕時計の二分前で静止していた。魔術を使うことに成功したのである。
咲也は成功した後、論文のタブを閉じてからパソコンの電源を落とし誰もいないことを再度確認してから退勤した。
朝になり、いつもの様に咲也は出勤し、デスクへと向かう。そして、いつも自分よりも先に出勤している先輩の坂上先生に挨拶をした。
「おはようございます。坂上先生」
「おはよう、足立先生」
坂上は観葉植物に水をやりながら、優しく返した。咲也も荷物を広げながら
話を続ける。
「今日は何事も無いと良いですね」
「そうだね。仕事は仕事だけど、本当は仕事がない方がいいに決まっている」
「そうですね」
咲也と坂上のやりとりが続く。そんな中で咲也は自分のデスクに今日の朝刊が置かれていたことに気がつく。その第一面を見ると、そこには改正魔術法の一部の項目案が否決されたという内容が大々的に取り上げられていた。
「坂上先生、これ!」
咲也は慌てて坂上に記事を見せようと、新聞を掲げる。
「ああ……、それか。それならもう読んだよ」
「どういうことなんですか」
咲也が尋ねる。
「やっぱり、僕らが欲しがっていた物を世間様は許せなかったらしい。記事をよく読んでみろ」
咲也は坂上の言う通りに記事をよく読んだ。記事を要約すると、改正法案を決める上で、先端技術への倫理的な問題を考えない訳にはいかず、それを考えた時に様々な団体からの否定的な意見と、世論が抱いた恐怖感とが重なり大きな声となって、否決にせざるを得なかったということだった。
「そんな…… 」
記事を読み切った咲也は動揺した顔をして、新聞を落としてしまった。気がつくと周囲には坂上以外の同僚たちが出勤しており、咲也の様子を見ていた。
「……なんでなんだよ」
またも咲也がふと呟いた。それに対して同僚たちは何事かと思い声をかけようとしたが、彼の状況を見て何も言うことができなかった。
それから少し時間が経過した。あのあと、咲也は落ち着きを取り戻して、通常通りの業務をしていた。咲也が昼食のサンドウィッチを食べていると彼のデスクに一本の内線電話が入ってきた。
「はい。こちら救命救急センター」
『急患です。三十代男性で、自動車との接触で頭に打撲を受けて意識不明。至急対応を願います』
「わかりました、すぐ向かいます」
咲也は食べかけのサンドウィッチを置いて、直ぐに同僚たちを集めた。
「急患です! 来てください!」
咲也たちは急いでエントランスへと向かう。到着すると丁度のところで患者を乗せた救急車が現れ、咲也たちは患者を引き取り、担架を押して全力で走り出した。
「かなり、状況がひどい。手術する必要がある」
「わかった!」
彼らは患者の状況を見て直ぐに手術が必要だと判断した。院内の廊下を全力で駆け抜ける。
彼らは手術室へと入った。計測機器が患者の身体に次々と取り付けられ、手術用の道具類一式が一列に並べられる。緊急オペが始まろうとしている手術室には、目の前の人の人生をここで終わらせるわけにはいかないという医師たちの意地のような熱い執念が立ち込めていた。
「これより緊急オペを開始する」
咲也はそう宣言すると、念力で道具を手に取って必要な手術を始めた。医師たちは外傷の状況を見ながら必要な処置を手際よく行い、ナースたちが道具の交換と患者の容体を機器でチェックしている。道具は医師たちが使う念力魔法で宙を飛び交っている。
「大丈夫ですよ。いま助けますからね」
咲也は誰にいうわけでもなく呟く。彼は救える命は全て救いたいという信念のもとに、目の前の患者を救おうと全力で戦っている。
二時間近くが経過した。彼らは手術を続けていて、患者の容態はようやく安定し始めていた。
「よし、これでもう大丈夫でしょう」
一人の医師がそう言う。他の医師たちも患者の容態を確認して、安定に向かっているのを確認し、同意した。
手術中だと言うことを知らせるランプが消えた。咲也たちは患者を別の場所へと移した後、手術で着いた汚れを取って手を洗っていた。すると、そこにスタッフがやってきた。
「足立先生、患者様のご家族がいらしてます」
「直ぐに行きます」
咲也は優しくスタッフに返事を返した後、急いで手を拭いて通路を駆け出した。
咲也が手術室前の自動ドアを出るとそこには患者の家族がいた。様子を見るに患者の妻と息子と娘の三人で、彼女らは心配そうな表情を浮かべながらドアの向こうから現れた咲也を見つめた。
「佐藤さんのお家族ですか?」
咲也が尋ねる。
「はい、そうです……、主人はどうなったのですか」
患者の妻は不安げな顔で患者の容態を咲也に聞く。彼は少し微笑みながら返事をする。
「ご主人はもう大丈夫ですよ。死亡する可能性は極めて低いですし、意識も数日以内には戻ると思います」
「……ありがとうございます」
患者の妻は泣きそうになりながら感謝の意を伝える。すると今度は子供たちが咲也に尋ねてきた。
「お父さんは?」
「パパはもうだいじょうぶなの?」
「お医者さんが助けたから、もう大丈夫だよ。心配しなくて良いからね」
子供たちの表情も咲也の話を聞いて、次第に明るくなった。
家族は患者の様子を見にその場を離れた。直後、咲也の前に朱美がやってきた。
「どうしたの? そんな顔して」
朱美が尋ねる。
「いや、目の前の命が一つ助かった」
そう答えた咲也の顔はとても嬉しそうだった。
「そう。よかったね」
朱美もそれに嬉しそうに返した。
「ねえ、この後上で話さない?」
彼女が上を指差して提案する。
「良いけど、どうしたの?」
二人はその後、屋上へと登った。咲也が話を始める。
「やっぱり良いな、助けることができるっていうのは」
「……そうね」
「何かあっただろ?」
彼が朱美に尋ねる。彼女は沈んだ顔で話を切り出した。
「こっちの方でね、手術をさっきしたの。癌の切除手術で少し前から念入りに準備を重ねて、万全の態勢で臨んでいた。だけど、いざ始まると予想外のことに癌が転移していて、かなり状況が酷かった。一応、当初予定していた場所の癌は取り除けたけど、この先のことが心配になってしまって」
「そういうことか…… 」
二人はほぼ同時にため息をついた。少しの間が空いて咲也はすぐ近くの自販機に向かって缶コーヒーを二つ買って、戻ると朱美に一つ渡してから、缶を開けて口をつけた。そして、話を始めた。
「患者が死ぬまでは諦めるなよ。それが医者として、目の前の命を扱う仕事をするのに持つべき心得なんじゃないのか」
「……」
咲也は朱美に問いただした。朱美は少し考えるような仕草をして、一息ついた。
「そうよね。それが私たちにできることよね」
朱美の言葉に咲也も同調した。
「ありがとう。話に乗ってくれて」
缶コーヒーを飲んだ朱美が言った。
「いえいえ。こちらこそ、なんか吹っ切れた」
咲也はこう返した。そして、彼の表情はとても晴れやかだった。
それから数日後のこと。咲也は非番で、買い物に行くために外を歩いている。彼は綺麗な並木道を歩いていると、どこからか衝突音のような音が聞こえてきた。
「なんだ?」
そう言って、彼は音がしたと思われる方向へ全力で駆け出した。並木道を直感を頼りに疾走する。そして、疾走の果てにたどり着いた先には、衝突して大破した二台の車が十字路の真ん中に残されていて、車の中にはまだ人がいた。
「大丈夫ですか!」
様子を見た咲也は急いで車の元へと駆け寄る。それに続いて、何人かの通行人も付いて行った。
咲也や通行人たちは巻き込まれた、運転手は同伴者たちの状況を確かめる。
「これはひどいな」
咲也が呟く。
「私は医師です。すぐに一一九番通報をお願いします」
咲也が通行人たちに指示をする。彼らの一人がすぐに電話をかけた。その間に咲也たちの手で、車から降ろせそうな怪我人を外へと降ろして横たわられた。
咲也が急いで容態を確認する。
「どうですか?」
手を貸してくれた通行人の一人が切迫した表情で咲也に尋ねる。少し考えてから、重い顔つきで咲也は答えた。
「直ぐに処置をしないと命に関わります」
「そんな……」
「すみません。救急車はまだですか?」
咲也が大声で周囲に聞く。この世界ではいくら瞬間移動できる魔法が存在していても緊急処置や病院側の受け入れ準備を整えるためにどうしても救急車が必要なのだ。
「それが……」
先ほど電話をかけてくれた人が申し訳なさそうな顔をして返事をする。
「どうしたのですか?」
咲也は聞き返した。
「この事故の影響で渋滞が起きているみたいで、到着までに三十分はかかるそうです……」
「そんな……」
咲也が唖然とする。彼はそれでもすぐに今の状況を整理しはじめた。負傷者は全部で五名。内の四人は救急車が到着する三十分以上は持ち堪えられる程度の怪我だが、一人は三十分以内に処置をしないと命に関わる状況になっていた。
咲也は手立てを考える。時間はない。どうすれば、どうすれば良い。彼は悩んだ。そして一つの手立てを見つけた。迷っている余裕はない。後で何を言われようと、自分を信じるしかない。彼は医師生活をここで終えてでも目の前の命を助ける覚悟をした。
「頼む。生きてくれ」
咲也はそう呟いて両腕で魔法陣を作り出し、それを重態の負傷者に向けてから魔術を発動した。すると、負傷者は時間が止まったかの様に不自然に静止した。
「何をしたんですか…… 」
見ていた通行人の一人が咲也に尋ねた。彼は複雑な表情を浮かべて答えた。
「…… この方の時間を一時的に止めました。そうしないと……、助からなかったのです」
その後、三十分程で救急車が到着し事故の負傷者は全員、命は助かった。だが、重傷者を助けるに当たって咲也が使った、時間を一時的に止める魔法がやはり時間を操ってしまうという倫理的理由で、世論で賛否両論となり彼は務めていた病院を辞めるまでに至った。そして、現在は隠れるように生きている。
「あれで、良かったんだ」
咲也は自宅にてテレビで流れる自らが起こした問題を報じているニュースを見て自分に言い聞かせる様に一言呟いた。あの時の患者にとって自らが使った魔術が、救済魔術であったことを願って咲也はテレビを消した。
それからしばらくの時が過ぎたある日だった。咲也の家のインターホンが鳴った。彼はすぐに玄関に向かい扉を開けた。するとそこには一人の女性が泣きそうな顔を浮かべて立っていた。
「あの……、どちら様でしょうか?」
「あの時、助けてもらった者の妻です。やっと、会えた」
女性の表情は更に泣き崩れた。彼はすぐに状況を理解して、彼女を家に入れた。
咲也は女性にお茶を出した。落ち着いた彼女はお茶を一口飲んでから話をはじめた。
「あの時は本当にうちの家族がお世話になりました。今日、主人はまだリハビリ中なので私が代理で参りました。あの後、病院を辞めたと聞いたので探すのが大変でしたが、見つかって良かった」
女性は少し礼をする。彼女は当時、事故に巻き込まれた家族の一人で、当時は家にいたのだという。
「……こちらこそご主人をあの様なことに巻き込んでしまってすみませんでした」
申し訳なさそうな顔をしてに咲也深々と頭を下げて謝った。
「いえ、いいんですよ。当人は気にしていませんし」
彼女は優しい顔を浮かべる。それでも尚、咲也は頭を下げている。
「……足立さん。確かにあなたは責められる様なことをして実際に責められて、仕事まで辞めることになって今は隠れるように暮している。でもね、そのお陰で私たちはまたいつものように過ごせているのですよ。あなたがとった判断は間違いなかったと私たち家族は思っています」
咲也は頭をゆっくりと上げた。彼は直後に泣き崩れた。椅子から落ち、床に顔を当てながら泣き止むまで、泣き続けた。
女性の言葉は彼にとっての救済魔術だった。