『魔法免許』 第3話 魔法使い
名声というのは突如として失われることがある。私の身にもそれは突然起こった。
冬のある日、マジシャンとして成功を収めていた私はマジックショーに呼ばれていた。
「藤原さん、本日はよろしくお願いします」
「よろしくお願いします」
スタッフから挨拶されたので私は返事をした。
「すみません。これのセッティングはこんな感じで大丈夫ですか?」
今度は違うスタッフが機材の配置を尋ねてきた。スタッフは機材の配置メモを手に持っている。私はメモを手に取って目を通す。私はその時、他の準備で急いでいたので深く考えずにすぐに了承したが、これが仇になるとは思いもしていなかった。
本番まであと三分。準備が整ったのでマジシャンらしい衣装に身を包んだ私は舞台袖に向かった。
「皆さん、では頑張りましょう」
私はスタッフたちに励ましを送った。
「はい!」
その場にいたスタッフたちが一斉にこう言った。そして時間が来たので私は表に出た。
そこからの記憶は曖昧だ。いくらか魔法を披露して、途中で炎を操る魔法を観客に見せて、拍手をもらった瞬間に炎が近くにあった給油タンクに引火して爆発が起きた。私は爆風で吹き飛ばされて意識を失った。それ以降の数日間の記憶は無い。目を覚ますと、私は病院の病室にいて、包帯や点滴が体に付いていた。目が覚めた後すぐにナースが来て、私が意識を取り戻したことに気がついたナースに呼ばれて医者がやってきた。私は医者にこの状況で出せる精一杯のかすれ声で、
「何が……、何が有ったんですか?」
と尋ねた。医者は落ち着いた調子で私の質問に答えた。
「藤原さん、あなたは爆発事故に巻き込まれました。それで……、もうあなたは魔法を使えないと思います」
「えっ……」
私は唖然とした。こうして私のマジシャン生命は突如として断たれてしまった。医師から最初に聞いた時、嘘だろと思った。
医師から詳しい話を聞くと、爆発事故で体のあちこちが傷ついたために回復しても、あまり体に負荷になるようなことはできないという。簡単な魔法を使うには問題はないが、パフォーマンスなどで使う大技の魔法だと体にある程度の負荷がかかるのであまり使わないで欲しいとのことだった。
「どうしたらいいんだ」
医師の言葉を聞いてからというもの、私は一日でも早く退院するためにリハビリを始めていたが退院しても、もう今までの様に仕事ができないとなると、これからどうやって生きていけばいいのかを考えていた。金銭的な面は今まで頑張ってきた甲斐もあって困ることはなさそうだったが、それでは解決できない生きがいを失った気がしたのだ。
私は一人、夜の病室で呟いてしまった。病院で目覚めてからの数日、夜遅くに目覚めてしまうことが多くなっていて、当時の私は朝が来るまで相当な時間があるように錯覚し、まるで永遠の夜が訪れたかのような感覚に陥っていた。
リハビリのために入院していた期間は自分で想定していたよりも長引いた。すぐにできるだろうと楽観視していたが、自分の体を動けるようにするのがとても苦しかった。それでも、苦しさを乗り越えて、最終的に退院できたのは事故から四ヶ月後のことだった。
「退院おめでとう」
退院してから数日、私は友人の蓮とファミレスで会っていた。彼と会ってまず言われたこの言葉は嬉しかった。私は体勢を崩さないように慎重に座る。私のぎこちない動きを見ていた彼の顔は辛そうだった。私は座り終えてから、
「ありがとう」
と蓮に返したあとで店のメニューを取ろうとしたが、どうしても腕をうまく動かせず、結局彼に取ってもらった。
料理の注文を済ませてから、蓮と私は話を始めた。
「……なあ。大丈夫なのかよその体? 」
彼が尋ねてきた。私は少し考えてから、
「……しばらくしたら普通には動ける。でも、前みたいに無茶は効かなくなったな」
と返した。
「そうか……」
蓮はとても悔しそうだった。もしかするとこの時、私以上に悔しがっていたのかもしれない。
そのあと、しばらくは私の怪我のこと以外の話が続いた。食事も運ばれてきて、それを口に入れながら、会話は進行する。
料理も食べ終えて落ちついたところで、私は気になっていたことを切り出すことにした。
「なあ、蓮」
「うん、どうした?」
蓮が何食わぬ表情で聞き返してくる。
「今日、お前が俺を呼んだ本当の理由は何かな?」
蓮の表情が先程よりも落ち着いた顔をしている。彼は息を整える仕草をしてから質問に答えはじめた。
「おまえ、さっきも言っていたけどもう無茶がきかなくなったんだろ。つまりは、マジシャンの仕事がもうできないってことだろ。合っているよな?」
この時、私の表情が少しだけ崩れた気がする。それでも、この現実を受け入れなければいけないことも知っている。私は彼の言葉に頷くことしかできなかった。
「…… おまえが魔法を何よりも大事にしているのはわかるし、それが思うようにできなくなったのはとても苦しいと思う。だからこそ、俺はこれを伝えにおまえと会うことにした」
そう言って蓮はバックの中から一冊のパンフレットを取り出して、私の目の前に置いた。読んでみると、これから近所で開講するという魔法教室の宣伝用パンフレットで、裏面には大きく、講師募集と書かれていた。
この世界で魔法を仕事で使うには魔法免許をはじめとする様々な資格が必要だが、趣味で魔法を覚えたいという人間も一定数はいて、そういった人々の需要に応えるために、簡単な魔法を教える教室が世界中に存在している。
「おまえに合っていると思うぜ。その仕事」
優しい表情をして、蓮はこう言った。私は思わず、
「……ありがとな」
と言って、涙を流してしまった。
私にもまだ何かできるはずだ。そう思って、私はパンフレットに記された募集要項を確かめた。
一ヶ月後、私は例の教室の前にいた。履歴書の作成と、体のリハビリでまたしても想定外に時間がかかってしまったが、幸い開講まであと二ヶ月はあったので講師の募集は続いていた。
私は改めて覚悟を決め、教室の扉を開けた。
「失礼します……」
中に入ると、まだ内装は完成しておらず、無機質の壁と教材などが入っていると思われる段ボールの山や組み立て前の長机、袋を出ていないパイプ椅子などが乱雑に置かれているだけだった。
「あ、すみません。今、行きます」
奥から女性の声が聞こえた。私はその場で待つことにして、改めてパンフレットを読んでみる。代表の紹介欄を確認すると、代表の山内穂花はもともとマジシャンだったそうだった。魔法を使った教育に興味を抱いたから、この教室を開くことを決めたのだという。
パンフレットを読んでいるうちに奥から物音がした。そちらに目をやると、女性が出てきていた。見る限り三十代くらいの若々しい人で、身嗜みも整ってはいたが表情は少し疲れている様にも思えた。パンフレットにあった代表の顔写真と見比べると目の前の女性は教室の代表、山内さんで間違いな
「はじめまして。代表の山内です」
山内さんがにこやかな顔つきで先に挨拶をしてくれた。私も挨拶をしようとする。
「……藤原です。よろしく、お願いします」
少しぎこちない返しになってしまった。それでも、山内さんは明るく、
「こちらこそ、よろしくお願いします」
と返してくれた。
山内さんの案内で私は奥へと通された。奥の個室へ入ると、部屋には机が二つだけ、対面で置いてあり、一方の机の上には資料が山積していた。おそらく、資料が積まれている方が山内さんのデスクだ。案の定、彼女がそのデスクに座る。彼女はジェスチャーでもう一方の机に座ってくださいと私に求めた。遠慮無く私は彼女の対面の机に座った。
机に座り、山内さんと面と向かい合う私は、すぐにカバンから必要な書類を出して、彼女に渡す。事前に連絡しておいたおかげで、山内さんはすぐに資料に印鑑を押した。スムーズに手続きが進んでいく。
山内さんに電話を入れた時、彼女はすぐに私を採用したいとの声をかけてくれた。私は素直に嬉しかったが、同時にうまくやれる自信はないと感じていた。それを山内さんはわかっていたのか、たった今印鑑を押し終えた彼女は一呼吸置いてから、私に細い声で話を切り出した。
「この仕事は、人を相手にするので……、思い通りにいかないことは間違いなくあります。でも……、自分の好きを伝えると相手にも伝わると思います」
“自分の好き”、私はそれが思うように好きなものは好きと言えなくなっている。自分が今まで築き上げた魔法の王国を失ったからで、今までの思いが無に帰してしまったような、そんな感覚に陥っている。私にはこの仕事が務まるのだろうか。
「それは、こんな私でも、できることでしょうか」
私は思わず口に出していた。彼女は少し驚いた様な顔をしてから、すぐに考えて、言葉を選びながら私にこう言った。
「……できると思います。もっと言えば、それは今の藤原さんでないとできないことだと思っています」
彼女はしっかりと答えてくれた。私はそれを聞いて少しだけ自信を取り戻せたような気がして、
「…… わかりました。よろしくお願いします」
と返した。山内さんは微笑んで、
「こちらこそ、よろしくお願いします」
と言って、手を差し伸べた。私も手を差し出して、握手を交わした。
こうして、私は魔法教室の講師として人生の再スタートを切ることになったのだった。
教室に講師として採用されてから二ヶ月ほどが経った。教室は無事に開講し、生徒も集まりはじめていた。私の仕事も本格的に始まった。午後二時に出勤し、最初の授業の始まる四時までに授業の準備を行い、四時から九時まで休みを挟みつつ授業を三回行う。これが、私の新しい毎日だ。
「どうですか、慣れましたか?」
山内さんが声をかけてきた。私は少し悩みつつも、
「おかげさまで」
と返した。山内さんはその答えで満足したのか、すぐに自分の仕事を再開する。確かに、仕事の時間や必要な書類の作成などの雑務には慣れてきた。だが、一つだけうまくいかないところがあった。
「先生、物を浮かしてよ!」
ある時、児童クラスの男の子が私にお願い事をしてきた。私は難なくやってのけたが直後、すぐにその場で倒れ込んでしまった。体のあちこちが痛くて苦しくなる。
「先生! 大丈夫?」
教室が混乱する。私は体が痛すぎて返事ができなかった。しばらくして体の痛みが落ち着いたところで、同僚の先生が側までやって来た。
「先生、大丈夫でしたか?」
「……大丈夫です」
私はすぐにその後の授業を取り止めた。体が思うように扱えない。事故のせいとは言え、私は自分の体の状態に納得がいかないのだ。
「仕方ないですよ……、まだ事故から一年も経ってないですし」
後日、事故の時からお世話になっている先生からもこう言われてしまった。私は自分が情けなくて思わず、
「……じゃあ、どうすればいいんだ」
と呟いていた。それが聞こえたのか、先生は優しい顔つきで私の目を見た。
「魔法がちゃんと使えなくても、あなたはあなただ。それは決して変わらないことです」
先生のその言葉にはさっきまでとは違う、芯みたいな物が通っていた。その言葉は私の心に大事なことを訴えかけてきている。どうすればいいのだろうか。結論が出ないでいる。
私は未だに魔法を求めていて、その訳は私がずっと魔法が大好きだったからだ。幼い頃に見たマジックショーに魅せられて、それが忘れられなくて、何かあった時も助けられ続けて、私はいつの頃からか魔法使いを夢見るようになった。
そんなことを考えながら病院からの帰り道、人通りの多い場所を歩いていると、私の足元に小さな女の子がぶつかった。女の子は見る限り一人のようだった。
「ごめん、大丈夫だったかな?」
私は女の子に声をかけた。すると女の子は不安そうな声で、
「……大丈夫」
と返してくれた。私はひとまずこの子を親の元に届けるために話を聞くことにした。
「……名前、なんていうの?」
「ミカ」
「ミカちゃんか。一人で歩いていたけど、どうしたのかな?」
「パパとママとはぐれちゃった……」
「そうだったんだね」
「パパとママ、どこにいるんだろう」
ミカちゃんは今にも泣きそうな顔をしていた。私は掌から小さな火を出した。今の私でも簡単にできる魔法の一つだった。
「すごい! おじさん、魔法使いなの?」
ミカちゃんは一瞬にして元気を取り戻した。彼女の目線は私の掌の火に向かって一直線だった。
「そ、そうだよ」
私は歯切れ悪く自分が魔法使いだと認めてしまった。前よりも魔法が使えない私は、はたして魔法使いと名乗ってよかったのだろうか。
そうしているうちに向こうの方から慌てた様子で一組の男女が駆け寄ってきた。
「うちの美香がすみません」
美香ちゃんの両親のようだった。
「私は大丈夫ですよ。さあ、おじさんは帰るよ」
「ありがとう、おじさん!」
ミカちゃんは笑顔で両親と一緒に帰っていった。その笑顔を見て私は思い出した。私もああやって魔法に魅せられたのだ。魔法がどんどん好きになって、いつか誰かを楽しませたいと思うようになった。だから私は魔法使いになったのだ。
教室で働き始めてから少し経った。仕事にはだいぶ慣れてきたし、魔法も数ヶ月前よりは使えるものが増えた。だが、やはり無茶をすると倒れ込むというのは変わらなかった。
「掌から火を出す魔法はテキストの三十ページの流れを大体掴めれば使うことができます。簡単な魔法なので、すぐに使いこなせると思います」
講義をしていると、向こうのほうでドアが大きな音を立てて閉まった。私は講義を一旦止めてドアのそばで心配そうな顔をした山内さんに声をかけた。
「どうしましたか?」
「カイト君がまた逃げ出しちゃったんです」
「またですか」
カイト君という子は一ヶ月前からここに通っていて、最近は魔法が思うように使えなくて教室から逃げるということが多々あった。
「とにかく手分けして探しましょう」
私と内山さんは手分けしてカイト君を探した。すると十分程でカイト君は見つかった。近所の廃倉庫でうずくまっていた。私と内山さんは合流すると彼に近づいた。
「また教室を抜け出して、どうしたの?」
「先生にはわかんないもん! 魔法が使える先生には!」
その答えに私はどう答えていいのかわからなくなった。だが、明確に言えることはある。
「先生だって、初めはそうだったんだ。だんだん慣れて使いこなせるようになった。だけど、先生事故に遭っちゃってさ、思うように魔法が使えなくなっちゃった」
「そんなの嘘だよ! だって先生火を出すの簡単にできるじゃん!」
この子とは粘り強く話していかなくちゃいけない。そう思った。その時だった。廃倉庫の鉄骨の柱が崩れ落ちてきた。
「うわ!」
カイト君と内山さんが危ない。私は咄嗟に魔法を使った。
廃倉庫はすぐに総崩れとなった。私は以前、ショーの時に使っていた瞬間移動の魔法を使って自分とカイト君と内山さんを逃した。それがいけなかった。
「ぐはっ」
私の口から大量の血が出た。無茶をし過ぎた。私はその場で倒れ込んだ。
「先生!」
「藤原さん!」
二人が駆け寄ってくる。私はもうダメそうだ。もうじき息絶える。だが、後悔はない。魔法使いとしてできることはやった。私は魔法使いなのだから。